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顧問の部屋


かながわスポーツタイムズ71号(2018)
福間先生インタビュー記事


福間先生監修の本が出ました

「部活で大活躍できる!陸上最強のポイント50 (コツがわかる本!)」
メイツ出版 (2012/03)

定価1,300円(税別)

「部活で大活躍できる!陸上最強のポイント50 (コツがわかる本!)」その一部を以下ご紹介

  普段の生活習慣が、練習や記録を左右する陸上競技は心構えも重要。指導者の考えを理解し、
 信頼関係を築いて共に成長していこう。

 「文武両道」は理想ではなく最高の人材育成法
  (チェックポイント)運動で脳を活性化させ、学習の向上を
  日本の文武両道という伝統は、最高の効果を生む人間育成法と考えられる。運動をして脳細胞を
 増やし、しっかり学ぶ。そしてそのバランスが、重要なポイントとなる。

 「人生は魂の修行」人間として成長しよう!
  (チェックポイント)良い本との出会いは成長につながる
  良書や心惹かれる言葉との出会いは、人としての成長を早めてくれることもある。いずれ「人生の
 指南書」となるような書物をもてるよう、多くの本を読むことも大切だ。
  (アドバイス)仲間を大切にして部活にはげもう
  個人で戦う陸上競技は、試合では自分との闘いが基本だ。しかし周りには必ず応援し、見守って
 くれている仲間や指導者がいることを忘れないようにしよう。


福間先生お薦めの本

稲盛和夫『生き方 人間として一番大切なこと』サンマーク出版

人生は心に描いたとおりになる

☆58期生に向けた贈る言葉に、この本が紹介されています。そして、練習や試合の折々に福間先生が、上の言葉を多く引く機会がありました。そこで、管理人である私が、この本を読んで心にとまった部分を引いておきたいと思います。

※著者の稲盛和夫氏は現・京セラや現・KDDIの設立者。

・人生は心に描いたとおりになる、強く思ったことが現象となって現れてくるーーまずはこの「宇宙の法則」をしっかりと心に刻みつけてほしいのです。人によっては、このような話をオカルトの類いと断じて受け入れないかもしれません。しかし、これは私がこれまでの人生で数々の体験から確信に至った絶対法則なのです。
 すなわち、よい思いを描く人にはよい人生が開けてくる。悪い思いをもっていれば人生はうまくいかなくなる。そのような法則がこの宇宙には働いているのです。思ったことがすぐに結果が出るわけはないので、わかりづらいかもしれませんが、二十年や三十年といった長いスパンで見ていくと、たいていの人の人生は、その人自身が思い描いたとおりになっているものです。
 ですから、まずは純粋できれいな心をもつことが、人間としての生き方を考えるうえで大前提となります。なぜなら、よい心ーーとくに「世のため、人のため」という思いーーは、宇宙が本来もっている「意志」であると考えられるからです。
(中略)
 ですから、すべてに対して「よかれかし」という利他の心、愛の心をもち、努力を重ねていけば、宇宙の流れに乗って、すばらしい人生を送ることができる。それに対して、人を恨んだり、自分だけが得をしようといった私利私欲の心をもつと、人生はどんどん悪くなっていくのです。
 宇宙を貫く意志は愛と誠と調和に満ちており、すべてのものに平等に働き、宇宙全体をよい方向に導き、成長発展させようとしている。このことは・・・

・世の中のことは思うようにはならないーー私たちは人生で起こってくるさまざまな出来事に対して、ついそんなふうに見限ってしまうことがあります。けれどもそれは、「思うとおりにならないのが人生だ」と考えているから、そのとおりの結果を呼び寄せているだけのことで、その限りでは、思うようにならない人生も、実はその人が思ったとおりになっているといえます。

・冒険家の大場満郎さんからお聞きした話が参考になるでしょう。大場さんは世界で初めて、北極と南極を単独で徒歩横断した人です。その冒険に京セラの製品を提供したことから、お礼にと大場さんが訪ねてきてくれたことがありました。
 私はそのとき、開口一番、命がけの冒険を辞さない大場さんの勇気をたたえたのですが、大場さんはちょっと困ったような顔をして、それを即座に否定されました。
「いえ、私に勇気はありません。それどころか、たいへんな怖がりなんです。臆病ですから細心の注意を払って準備をします。今回の成功の要因もそれでしょう。逆に冒険家が大胆なだけだったら、それは死に直結してしまいます」

・「人間の能力は無限だーー」
 いっけん無理だと思える高い目標にもひるまず情熱を傾け、ひたむきな努力研鑽を惜しまない。そのことが私たちの能力を、自分自身もびっくりするほど伸長させる。あるいは眠っていた大きな潜在能力を開花させるのです。
 ですから、できないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。

・「こんなことを毎日くり返していて、世界一になるにはいったい、いつの日のことか」
 夢と現実の大きな落差に打ちのめされることもしばしばありました。けれども、結局のところ、人生とはその「今日一日」の積み重ね、「いま」の連続にほかなりません。

・人生というドラマを中身の濃い、充実したものにするためには、一日一日、一瞬一瞬を「ど」がつくほど真剣な態度で生きていくことが必要になってくるのです。
(中略)
 そのど真剣な熱意がなければ、いかに能力に恵まれ、正しい考え方をしようとも、人生を実り多きものにすることはできません。いくらすぐれた緻密な脚本をつくろうとも、その筋書きを現実のものとするためには、「ど真剣」という熱が必要なのです。

・何事に対してもど真剣に向き合い、ぶつかっていくーーこれは「自らを追い込む」ということでもあります。それはすなわち、困難なことであっても、そこから逃げずに、真正面から愚直に取り組む姿勢をもつ、ということ。
(中略)
 どんなことがあっても成功を勝ち取るのだ、という切迫した気持ちを持ち合わせているとーー加えて物事を素直に見られる謙虚な気持ちを忘れなければーーふだんは見過ごしてしまうような、ごく小さな解決への糸口を見つけることにつながるものです。
 それを私は「神のささやく啓示」と表現しています。あたかもそれが、必死に努力を重ねて苦しみもだえている人に神さえもが同情し、そんなに一生懸命やっているなら助けてあげたいと、答えを与えてくれるように感じるからです。ですから、私はよく「神が手を差し伸べたくなるぐらいにまでがんばれ」と社員に檄を飛ばしたものです。

・困難があれば、成長させてくれる機会を与えてくれてありがとうと感謝し、幸運に恵まれたら、なおさらありがたい、もったいないと感謝するーー少なくともそう思えるような感謝の受け皿を、いつも意識的に自分の心に用意しておくのです。

・他人から「してもらう」立場でいる人間は、足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする。しかし、社会人になったら、「してあげる」側に立って、周囲に貢献していかなくてはならない。そのためには人生観、世界観を一八〇度ひっくり返さなければならないと、諭したのです。

・つまりこのままでは、日本という国が破綻してしまうだけでなく、人間は自分たちの住処である地球そのものを自分たちの手で壊してしまうことになりかねない。それと知って、あるいはそれと気づかず、沈みゆく船の中で、なお奢侈を求め、飽食を楽しむーー私たちはその行為のむなしさ、危うさに一刻も早く気づき、新しい哲学のもとに新しい海図を描く必要があるのです。
 では、新しい哲学に何を求めたらいいのでしょうか。
 私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学をひと言でいうなら、「足るを知る」ということであろうと思います。また、その知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにした、他人を思いやる利他の行いであろうと思います。

☆人生を励ます言葉とともに、福間先生からの〜陸上競技部の部員である君たちは『何ものかを「求めんとする意志」に駆られて苦闘しつつある若者たち』の内の一人となっているだろうか。〜との問いかけに対して、より深く考える示唆を与えてくれる本ではないかと感じました。ぜひ、ご一読をおすすめします。

文責:O


ちょっと割り込み:管理人お薦めの本


舛田光洋『夢をかなえる「そうじ力」』総合法令出版

 著者は長年のハウスクリーニングの仕事の経験から、そうじには2つのパワーがあるといいます。それは「マイナスを取り除き、本来のあなたの能力を発揮させるパワーと、プラスと引き寄せ、どんな夢もかなえるパワー」です。
 汚れている状態をそのまま放置しておくと、そこにマイナスの磁場ができ上がり、悪い事態をどんどん引き寄せてしまうのだといいます。マイナスを取り除き、その場所に「ありがとう」というプラスの言葉・思いをのせて、「ありがとう空間」をつくり、プラスを引き寄せる効果が“そうじ”にはあるというのです。
 「換気」「捨てる」「ヨゴレ取り」「整理整頓」「炒り塩」といった、そうじの実践に入る前にあなたが本来の輝きを取り戻して、幸せになれるかどうかの分かれ目があるとプロローグに述べられています。「『あなたの部屋はあなた自身をあらわしている』と聞いてドキッとしたなら、その気持ちを忘れないでください。それは、『あなたの部屋の状態があなた自身であると認識した』ということです。カビ、ヨゴレ、不要物。ゴミ、あらゆるマイナスのエネルギーを、あなた自身がつくり上げたものであると認識したということです。このドキッとした心が『現状を把握した』ということなのです。自分自身を客観的に見ることができるというのは、幸運を引き寄せることができる人の特徴なのです。」「人は気付くことで変われるのです。現状を受け入れた時点で、別のあなたになっているのです。」と。
 その他、人生の問題点をあらわす場所のヨゴレとして、「玄関」はすべてに影響が出る場所、「リビング」のヨゴレは家庭不和の素、「キッチン」・・・、「寝室」・・・、「洗面所」・・・、「お風呂」・・・、「トイレ」・・・、「排水溝」・・・、それに「タンス・クローゼット」、「窓ガラス」、「本棚」などが取り上げられていきます。
 クラブの大掃除の時にも、この本の話をしましたが、夢をかなえる成功へと導く「ありがとう空間」をつくるということが大事に思えます。「すべての幸運は感謝の気持ちがつくる」そうですから。「夢の実現=宇宙の繁栄のエネルギー+感謝+ゴールデンルール」つまり、「最高に輝くあなたを世の中に与えましょう。宇宙があなたの味方になります!」「周りがいるから、世の中があるから自分がいるのです。小さなことにも感謝してみましょう。」というわけで、まず口からゆっくりと細く長く息を吐き、腹の底から息を吐ききったら、鼻からゆっくりと息を吸い込みます。3回に分けてこのいわゆる腹式呼吸法で心と磁場を整えたら次に、「ありがとう」という言葉とぞうきんを使い、感謝の磁場をつくります。「ありがとう」と言いながら、はじめにタテに、続けてヨコに、一筆書きで、ずらしながら、前に拭いた箇所に重なるように拭き上げます。最後に周りを拭いて完成です。
        文責:O


福間先生お薦めの映画


地球交響曲(ガイアシンフォニー)

以下のコラムは、2007年横須賀自主上映会プログラムから

『 トマトは待っていました 』

 「地球交響曲第一番」。この映画のラストシーンは推定10,000個のトマトが真っ赤に実っているところ
です。そして、そのシーン撮影の夜に事件は起こりました。

 ラストシーンの撮影が終わり、監督とスタッフ一同が野澤さん
(*)とトマトにお礼を言って帰った後、夜中
に野澤さんは不思議な音で目を覚ましました。トマトが落ちる音を聞いたのです。気になった野澤さんが
トマトを見に行くと、トマトがポトリポトリとひっきりなしに落ちているではありませんか。長年研究に当たっ
てきた野澤さんでさえ見たことがない光景でした。翌朝、落ちたトマトの数、推定5,000個、まさに撮影の
ためにトマトは真っ赤に熟した実を落とさないように待っていたのです。

 (*)野澤重雄1913〜2001年。ハイポニカ(水気耕栽培法)トマトが筑波国際科学技術博覧会の日本政府館メイン展示に採用され、バイオ
    テクノロジーも特殊肥料も一切使わずに、普通のトマトの種から1万数千個の実をつけた。


 これには裏話がありました。野澤さんからトマトが赤く熟したから撮影に来て欲しいと連絡を受けたとき、
龍村監督は他の出演者ラインホルト・メスナー(*)の撮影でヨーロッパにいました。しかし、「撮影は佳境
なので、いま帰る訳にはいかない」と伝えました。その後も、「熟した実が落ちそうなので、帰って来ない
と、撮影にいい時は過ぎてしまいますよ」と何度か連絡が来ました。メスナーの撮影が終わらずに、悩ん
だ龍村監督はひとつの決断をしました。

  「野澤さんはトマトには心があると言っていた。そうだとしたら、あのトマトは映画の意図も理解して
  くれていて、我々が帰れないことも分かってくれるはず。きっとトマトは待っていてくれるはずだ。」

 その日から、スタッフ全員で毎日、日本のトマトに向けて『待っていて欲しい』と祈ったのです。メスナー
の撮影が終わり帰国したのは、野澤さんが、いいシーンとなる限界だと言った日から2週間が経過して
いました。それでもなお、トマトは待っていてくれたのです。そして、撮影が終わったその晩、いっせいに
実を落としました。まさに「トマトには心がある」ことを証明してくれた瞬間でした。まさしく地球が交響曲を
奏でてている、見事なまでのワンシーンではないでしょうか。
 (*)ラインホルト・メスナー1944年イタリア生まれ。大きな組織や科学技術の助けを借りず、世界で唯一人、単独で世界の8000メートル
    峰全山14座を制した。現在は一線を退き、山の環境美化運動などを行っている。


 残念ながら、実が落ちるシーンは映画にはありません。でも、みなさんに、たわわに実るトマトのラスト
シーンをぜひ見て欲しいと思います。撮影を待っていたトマトの実たちを。

  
「地球(ガイア)の声が聴こえますか?」

 龍村監督は、この映画を通じて、そう問いかけています。みなさんに、地球(ガイア)の声が届くことを
信じています。

                                                  2007.10.6 福間博樹


福間先生お薦めの本

立花隆『青春漂流』講談社文庫

(以下のコラムは、1999年度記録集から)

   卒業生へ

 立花隆著「青春漂流」という本の「エピローグ」の中で、彼は、空海の「謎の空白時代」になぞらえて、『すべての青春は「謎の空白時代」である』と書いている。

◆四国の讃岐出身の空海は、十八歳のときに京に出て大学に入った。大学というのは、貴族階級の子弟の教育機関で、古代のエリート教育機関である。
 しかし空海は、せっかく大学に入ったのに、ほどなくしてドロップアウトしてしまう。そして、乞食同然の私度僧(自分勝手に頭丸めて坊主になること)となって、四国の山奥に入り、山岳修行者となる。
 これ以後、三十一歳の年に遣唐使船に乗り込むまで、空海がどこで何をしていたかは明らかでない。この期間は「謎の空白時代」と呼ばれる。山野をめぐり、寺院をめぐり、修行をつづけたと推定されるだけである。それがいかなる修行であったかは明らかでない。
 彼が、遣唐使船に乗り込むに至った経緯もまた明らかではない。ただ一つはっきりしていることは、彼がその直前まで私度僧であったことである。空海は留学僧として遣唐使船に乗り込んだ。しかし、留学僧になれるのは、正式に出家した僧だけである。そこで空海は、遣唐使船に乗り込むほんの一カ月ほど前に、あわてて東大寺で正式の出家を果たすのである。その記録が東大寺に残っている。
 遣唐使船に乗り込んだ空海は一介の無名の留学僧にすぎなかった。彼に注目する者は誰もいなかった。 しかし、唐の地に入るや、空海はたちまち頭角をあらわす。十余年にわたる彼の修行時代の蓄積が一挙に吐き出されて、唐人から最高の知識人として遇されるにいたるのである。密教の権威、恵果阿闍梨をして、門弟の中国人僧すべてをさしおいて、外国人たる空海に、密教のすべてを伝授しようと決意させるほど、空海に対する評価は高かった。
 「謎の空白時代」に、彼がどこで何を修行していたかは明らかでない。しかし、その修行がもたらしたものは、歴史にはっきり刻印されている。唐に滞在したわずか一年余の間に、空海は名もなき留学僧から、密教のすべてを伝えられた当代随一の高僧となる。それは、留学の成果というよりは、「謎の空白時代」の修行の成果が、留学を契機に花開いたものというべきであろう。
 「謎の空白時代」は空海の青春である。
 空海においてそうであったように、青春は誰にとっても「謎の空白時代」である。◆
(中略
◆青春とは、やがて来るべき「船出」へ向けての準備が整えられる「謎の空白時代」なのだ。そこにおいては最も大切なのは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は、「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし、その当然の帰結として、「船出」の日も訪れてこない。彼を待っているのは、状況に流されていくだけの人生である。◆

 さて、陸上競技部の部員である君たちは『何ものかを「求めんとする意志」に駆られて苦闘しつつある若者たち』の内の一人となっているだろうか。あるいは、今現在、なろうとしているだろうか。状況に流されているだけの者はいないだろうか。
 君たちにとって、未だ海のものとも山のものともつかない、つまり自分が何者になっていくのかを自身で分からない時である今現在という時間は、将来への夢と期待の膨らむ時であり、そして同時にたとえようのない不安感や焦燥感にさいなまれる、まさに「接近−回避」の葛藤状態の時である。そして、その中を、何ものかを「求めんとする意志」を持ち、ひたすら自己を鍛え、磨き、強靭な肉体と精神と頭脳を造り上げた者に、よき「船出」が訪れるということを、著者の立花隆氏は言っている。
 学校での学びは、そのためにある。何ものかを「求めんとする意志」を欠く者に、学校の中に学びはない。状況に流されていくだけの時間となる。学校が与えてくれるテスト、球技大会、文化祭や体育祭、修学旅行などのプログラムに一喜一憂し、振り回されながら、3年間が過ぎていき、気が付けば、大学受験がすぐ目の前に近づいているということになる。「求めんとする意志」を持つ者は、そのプログラムの中で様々なことを吸収し成長してゆく。その差は歴然としているものの目に見える形で認識できないため、当人たちは気づかない。その差はいずれ明らかになる時がくるのであるが、気づいたときには当然手遅れである。もちろん、それらのプログラムをきっかけにし、ある日突然に目覚める可能性もある。目覚めを触発することもまた学校の重要な役割のひとつであるが、聞く耳を持たない者、好奇心のない者、疑問を抱かない者、自己中心的な者が目覚めることは難しい。
 君たちは、今、体力、知力に優れている。今こそ、やるべきである。君たちの今の能力は、残念ながら永遠には続かない。物忘れが増え、頭の切れがなくなり始めた時のショックの大きさは、今の君たちには分からないだろう。衰えて、やろうとしてもできなくなった時、後悔しても遅いのである。「鉄は熱いうちに打て」、英国の諺から日本に定着したこの言葉には含蓄がある。真っ赤に焼けて柔らかくなった鉄を、叩いて延ばしては折り曲げる、これを何度も繰り返すことで良質の鋼になる。時間が経ち冷めて固くなってからでは遅いのである。君たちは今、真っ赤に焼けた鉄である。時を逸してはならない。今、目の前にあることに、夢を持って取り組むこと、何ものかを求めんとして取り組むこと。そして跳ね返されても、何度も繰り返し挑んでいく、その苦闘の中にこそ学びがある。何度も失敗や挫折を味わい、プライドが崩れ、痛い目に会いながらも立ち上がり、今までよりも強い自分に生まれ変わることで、大きく成長するのである。あるレベルまで成長した人間は、何をやっても応用が利くものである。
 そのとき僕は、君たちの、不屈の精神で立ち向かい乗り越えた時の充実感あふれる笑顔、自信に満ちた笑顔を見て、一緒に喜びたいのである。大事な今を、無気力と怠惰で過ごし、状況に流され、それに不平不満を言うことで自分を正当化する、もっとも救いようのない人間の顔は見たくもないのである。
  先の一文は、僕が言いたいこと、皆に伝えたいことを、見事に表現してくれた、心から共感できるものであった。皆を覚醒させるきっかけになれば幸いである。

この文は、秋に1・2年生に伝えたものです。ぜひ卒業生にも伝えたいと思い、記録集に載せることにしました。この文がなにを君たちに語りかけているのか、すぐに理解できるかもしれません。でも10年後に読み返してみると、別の理解ができるかもしれません。40年後には、もっと変わるかもしれません。そのことを期待しながら、書いています。君たちのこれからに、「よき船出」が訪れることを祈っています。

2000.3.25 

 横高に着任以来、文武両道、効果的なトレーニングで県大会・関東大会の突破を目指す集団、全国大会で入賞する集団を目標に指導してきましたが、少しずつではありますが近付いて来たように思います。昨年は部活動も好成績でしたが、進学状況も好成績でした。20人弱の部員の約3分の2が、指定校推薦や一般受験で希望の大学に現役で進学しましたし、浪人組も半数は、合格したものの、よりレベルの高い大学を目指しての浪人でした。部活動も進学も同じと改めて感じさせられた年でした。つまり物事に取り組む姿勢が大事であること、高い目標を目指して、妥協せず、よそ見をせず、ひたむきに努力し続ける姿勢こそが結果を生むということでした。やっているつもりはだめです。本当に必要なことをやり通さなければなりません。部員には、「陸上競技は才能と努力と運の3つが大事」だと話しています。「勉強も同じ、そして横高を卒業した後、『陸上競技』が何か別のものに変わっても、基本は同じ」だとも話しています。わたしは、部活動は教科学習という『座学』では学び取りにくいもの(「生きるための哲学」とでもいいましょうか)を学ぶのに最適なものだと考えています。身をもって経験した感動や挫折、そしてその中からつかんだものは決して忘れないからです。これからも前進を続けたいと思っていますので、今後ともご家庭でのご支援をお願い致します。

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