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管理人のつぶやき


 ひっさしぶりに、つぶやきたくなりました。思い出の面々に会えたもので。福間先生退官式に行ってきました。上郷・横須賀・希望ヶ丘3校合同ということで、企画スタッフの方々には感謝申し上げます。おかげで卒業生の皆々の顔を見ることができて、実に懐かしくも、嬉しいひと時でした。そして福間先生ご結婚されたとのことで伴侶の方のご紹介もありました。おめでとうございます。また、いま福間先生がサポートしている三段跳の山下祐樹さん、走高跳の久保木春佑さんのご紹介もあり、今後の活躍が楽しみです。(2023.11.23)

 初春か、晩春か、夏頃かあ、ここんとこ、つぶやいてるのは。今年は4月はつぶやきませんでしたね。小谷先生は海洋科学高校で副校長に、私はまた母校で非常勤講師として。福間先生には5月にセイコーゴールデングランプリを国立競技場へ観に行った時にお目にかかり、お元気そうでした。
 さて、この時期は過去にも何回か、つぶやいておりますが、今日はちょうどテレビで「天空の城ラピュタ」を放映するとのことなので、それにちなんで。国語の授業のようになっちゃいますが、物語のメタファーを考察するならば、「飛行石」とは何か?ということでしょうか。以前にもふれたかなと、見返してみると、(2012.8.9)・・・。10年前かあ。「飛行石」をウラン鉱石と重ね合わせる印象を語りましたが、このことは、児童文化論を教授する村瀬学氏も平凡社新書『宮崎駿再考』の中でふれています。この本では「飛行石としてのシータ、石炭としてのパズー」という項をたてています。二人はどちらも「石」に関わる存在で、その「石」の共通点は共に火を作る「石」だということを指摘。そして、シータをこの「飛行石」の所持者としてだけとらえておくとしています。「保持者とは、まだこの石の値打ちのわからないものという意味である。彼女は、最後にこの「飛行石」の謎を解かないままに、呪文と共に『石』を封印し、空高く遊離させる役目をする。物語はこうして、石の力の解明には至らずに、封印・遊離で終わる。それは現在の、核兵器や核施設(原子力発電所を含む)の封印・隔離の動きと同じである。私たちはみんなシータなのである。恐ろしい石を保持したけれど、その力を解明できないままに、おそれおののき、封印と隔離を選択するしかないところにいる。」(前著59頁)
 ちなみに「バルス」はラピュタ語で「閉じよ」という意味。トルコ語で「平和」を意味する単語が由来ではないかともささやかれているようですね。この時期に「ラピュタ」をやるのは夏休みだからというのもあるかもしれませんが、時期を得ているという印象をもちます。冒険活劇として楽しんで見たこ物語の記憶を刻んだ子どもたちが大人になってから、この隠されたメッセージに思いをいたし活躍してくれることに未来への期待をつないでいるのでしょうか。
 期待と言えば、我が横高陸上部の現役生。3年ぶりの合宿。苦労も多かったと思いますが、1年生ながらマネージャーの藤原さんが合宿を終えて、うれしい感想を寄せてくれました。
「チームのために何ができるかを一人一人考えながら練習を行うことができたのではないかと思います。そして、他校の人達との関わりから、チーム全体の良かった点、改善した方がいい点、個人での良かった点、改善した方がいい点を再確認することができました。良かった点は伸ばしつつ、改善した方がいい点は改善しながら今後の練習を行っていきたいと思います。
この合宿を通して選手たちは、声出しの大切さ、感謝を伝えることの大切さを感じており、これから先の練習でも今回の合宿で感じたことを持ち続けていきたいと考えています。」

 もお、うれしくて、久しぶりにつぶやきたくなりました。(2022.8.12)
 おまけ:今年の苗名の滝


 2022年寅年あけましておめでとうございます。さて、箱根駅伝。古豪復活という表現がありますが、シードを失い年月をかけてチームづくりに勤めた様々が報われたかと思われるシーンに胸打たれました。その感動は元日のニューイヤー駅伝にもさかのぼります。Hondaの初優勝に貢献した6区で先頭に躍り出て区間賞にも輝いた中山顕選手。中央大学を卒業するときに藤原正和監督から「Hondaの初優勝を成し遂げてこい」と送り出されたといいます。さらに1区区間賞には九電工の舟津彰馬選手。藤原監督から1年生ながら主将に任命され、チーム革新に向かったものの、箱根連続出場が途絶える苦境も味わい、中距離から長距離への移行と苦しんだ、あの舟津選手が!そして古巣Hondaの初優勝と中山選手の活躍に、藤原監督も感慨ひとしおだろうと勝手に胸を熱くしてしまいました。もうひとつは、昨年は浦野選手が、今年は土方選手がゴールテープを切るというのも前田監督にとっては感慨深いのでは?と、これまた勝手に、箱根につながればと思いをつのらせ、母校を応援。いずれも上を目指す意識が育ち、闘うためにチーム一丸となっていることが伝わってくるということ。さあ、横高陸上部は今・・・期待します!(2022.1.5)


 今日8月6日は広島の原爆投下から76年を迎える日。一方で今年1月には核兵器禁止条約が発効したというのに・・・。「日本は世界に向けて堂々と核反対を訴えるべき国なんだ」(これに類するはずの内容を菅首相は式典あいさつで読み飛ばしたそうな)と東宝の田中友幸プロデューサーが世に送り出したのが「ゴジラ」でしたが、折しもハリウッド映画の「ゴジラvsコング」が公開されております。見てません。やっぱり、かつての東宝映画「キングコング対ゴジラ」に思いを馳せてしまいます。シリーズ化の先駆けとして娯楽映画の要素が強い作品となっていますが、日本の立場のメッセージは忘れていません。防衛隊の総監が「国連ではこのままゴジラを放置しておくことは世界の破滅になる。よって世界平和のため、水爆攻撃の計画を考慮してほしいという声がおこっているそうだ。」と話すと、士官が「いや、先に決定をみた埋没作戦と100万ボルト作戦があります。その結果を見てからでも決定はできます。」と核兵器使用に即座にはなびきません。1984年版「ゴジラ」では、ゴジラへの戦略核兵器の使用を迫るアメリカとソ連に対し総理大臣が「日本には非核三原則があります」と言ってキッパリ拒否。「それは日本のエゴイズムだ!」と息まく両国に対し、総理大臣はさらに「非核三原則が我が国のエゴイズムだと言われるのなら、それは認めざるを得ません。しかし、核を使いたがるのもアメリカとソ連のエゴイズムではないでしょうか」と毅然として言い放つ場面まで設けているのに、現実の総理大臣は・・・。あと、ゴジラが埋まっている氷山が青白く光る場面で私は、チェレンコフ光という専門用語を初めて耳にし、記憶に残しました。とにかく日本版「コング対ゴジラ」は、高度経済成長を背景に怪獣を商品宣伝の媒体化して視聴率競争の愚を描くという風刺とともに笑いのエッセンスも効いています。ぜひ見てほしいゴジラ映画の一作です。さて、オリンピックもいよいよ大詰め。小谷先生はオリンピックの審判業務にあたっていらっしゃるそうです。猛暑の中、そしてコロナ禍の中、どなたさまもご自愛を。(2021.8.6)


 おっと、1年ぶりでしたか。3月27日の市記録会にて不入斗競技場で60期の近藤君に会いました。3000mを走って、挨拶をして行ってくれました。65期の田栗君も気持ちよく挨拶しくれます。スターター業務に従事してくれてます。同じくスターターに60期の伊藤さん、アナウンスには62期の上野さん。コロナ禍で1年を経て、まだ窮屈さは変わりませんが、やはり人と出会えるのは嬉しいものです。
 さて、この4月から私は10年ぶりに母校で非常勤講師として勤めることになりました。小谷先生は海洋科学高校の教頭に人事異動となりました。みなさま、どうぞ健康に留意されつつ、今年度も歩みましょう。(2021.4.1)


 いやあ、つぶやいてませんねえ。忙しかったんでしょうか?たしかに疲れはしました。ということで、私儀、令和2年=2020年3月31日をもって退職することにいたしました。お世話になりました皆々様に感謝申し上げます。小谷先生は、この4月1日付けでスポーツセンター事業推進部スポーツ活動支援課長 併 総合教育センター選任主幹(体育指導担当)です。学校のほうは、コロナウイルス感染症拡大予防のための臨時休業を4月6日の始業日以降2週間程度延長すると発表され、部活動も臨時休業中は中止。再開が待ち遠しい限りです。県記録会も中止。県高体連陸上専門部からは高総体競技大会を実施できないと判断、4月27日に改めて判断するとのこと。厳しい状況ですが、まずはしのいでいきましょう。(2020.4.1)


 このホームページも開設して15年が経つんですね。この「つぶやき」はその思い出ともなりました。そして、なんと長年お世話になりましたYahoo!ジオシティーズが2019年3月31日をもってサービスの提供を終了とのこと。これを潮時にギブアップして、走友会の吉倉さんにお任せしようかなあと考えたり。結局、有料サイトを申し込んで移転しました。もうちょっと頑張ってみます。そもそもホームページ作りの原動力は生徒たちの頑張りに力をもらったからでしたので。毎年夏には合宿地にも訪れてしまいます。この日は滝の水量も多かったですね。みんなの活躍に思いを馳せながら、細々と。(2019.3.10)

 


 昨日は市民体育大会。折しも台風24号接近ということで、2日目は中止が発表されましたが、競技出場ということで卒業生の中澤君や松原君が写真判定室に挨拶で顔をのぞかせてくれました。そーれにしても、畑木君〜ごめんね〜準備や片付けの手伝い、現役は心もとない状況だわ。榎本先生の日頃の指導の苦労も察せられます。アンテナもないし、みんなで覚えようって気も、気を回すという姿勢も乏しいのかなあ。横高生だから任せられるという思いをはじめとした周囲の期待というか、そういうものを感じて自負をもってほしいなあ。まあ、もっともこちらも伝える機会が少なくなっているのですが、OBの伝える力も課題なのか。こちらも皆で、なんとかしましょう。もし、このつぶやきをお読みの方は、どうぞよろしく。さて、今年は3月に逗子高校で退職を迎えられた関澤先生を囲む会がありました。関澤先生とは三崎水産高校の時にメイン顧問を務めていただきました。その三崎水産高校は、海洋科学高校になって10周年。現任校は40周年、なんでも10期前後の方たちのタイムカプセルを掘り出すとか。そして横須賀高校は110周年ですか。いろいろ時は流れます。いろんな出会いがありました。あっ、そうそう、体育センターに異動した小谷先生が、今年早期退職をされた福間先生を取材した情報誌の発行を知らせてくれました。どうぞ、お読みください。「かながわスポーツタイムズ71号」紹介ページへ http://www.pref.kanagawa.jp/docs/ui6/6/sports-times/01.html (2018.9.30)


 竜崎さんに会いました。横浜へ研修ということで出張だったのですが、その研修の講師の会社に勤めているということでした。「岡花先生、リュウザキです。」と声をかけてくれたんですが、はじめはポカンとしてしまいました。鈍くなって歳ですねえ。でも、うれしかったです。この気持ちを伝えたくて、一言だけ。(2018.5.14)


 さて、また転勤しました。小谷先生も学校現場から体育センターへ異動となりました。オリンピックに向けた県の要員シフトでしょうか。あと、福間先生は定年を前に早期退職をされました。東京オリンピックに向け吉田孝久さんを助け、選手の強化指導に専念されるそうです。
 で、私はなんとか毎年恒例のように、この時期、横高のグランドを訪れることができました。やっと、みんなに会えました。部長のヤマグチくんが改めて2年生と1年生を紹介してくれました。久しぶりに半日グランドに立って練習を見ていたら日焼けをしたようで、おでこが少しヒリヒリします。この感覚を味わうのも久しぶりです。
 あと、つい草も刈りたくなりまして、刈り込みばさみを倉庫から取り出して、トラック東側をやっつけていたら、マネージャーがとんできて、「先生、私たちがやりますから」と言ってくれました。いや、ちょうどラグビー部の練習を見に保護者の方々が上がってきて、トラックを横切るもんだから、東側を回ってくださいと言おうにも、草が茂っていたので。ここを通れるようにして、トラックを横切らないでくださいと言えるようにしておいてねと頼んでおきました。福間先生がいらしたら、厳しく声がとんでるよなと思い出しながら。懐かしいですね。 もう横高を離れて8年目、ホームページを立ち上げて15年が経つんですね。
 そう、懐かしいと言えば、私の初任校である三崎水産高校(現海洋科学高校)の大型実習船「湘南丸」が新しくなりました。3月にお披露目があり、見学してきました。三崎花暮岸壁に新旧の湘南丸が並んでいたので写真におさめました。ここに載せておきます。左が5代目の新船。右が4代目です。(2018.5.4)


 2018年、あけましておめでとうございます。先年暮れの市民駅伝の結果をやっと載せました。申し訳ありません。下を見ると、つぶやきもあまり更新してないですね。あと、「新年のあいさつ」の更新もまだでした。重ねて申し訳ありません。現役マネージャーのオイカワさんが気づいてくれて、どうもありがとう。新部長は誰になったのかよく知らないありさまで。そんなこんなのように、母校陸上競技部とも疎遠になる中、年賀状をいただく卒業生もあります。今年は60期の川越そして旧姓三浦から連名で賀状をいただきました。めでたく嬉しい便りでした。
 さて、年初の駅伝も印象的な場面が多々ありましたね。みなさまのご記憶にもいくつかが刻まれたのではないでしょうか。箱根駅伝には横須賀陸協から走路員として高10期饗場様、高11期早川様、高14期馬渕様、高20期青木様、高22期小島様に田中様など諸先輩が戸部から西平沼にかけて持ち場につかれた由。ご苦労様でした。それにしても、早稲田大学のアンカー4年生の頑張りに、涙で出迎える同期の姿。順天堂大学のアンカーも病を抱えての力走、それを支えてきた同期の絆。胸に染みました。この先輩の姿を胸に焼き付け後輩もまた奮起していくのでしょう。かつて、私も3年生が駅伝まで引退を伸ばして頑張る姿を目にしました。受験も間近ですが、チーム作りのために長距離3年生の義務であるという意地のようなものを感じました。コラム欄も、そんな思いを残しておきたいという想いから原稿を依頼したのが最初でした。シバタ君の記事は、これを読んでくれた52期などの卒業生が「みんな成長するんだね〜」と感想を寄せてくれたのを思い出します。(ちなみにケンジ君のハイテンション版はマウスでなぞって反転させると読むことができます。本人、恥ずかしがってましたので、でも載せないのも惜しいなと思い…。)自分でも読み返してみると、No.13までしか作れませんでしたが味わいがあります。では、今年もよろしく。
 そうそう、ここ数年、初詣は記念艦三笠の中にある三笠神社(神棚ですが)を参拝してます。スタンプラリーをやっていて、最後に福引のガラガラを回して景品をもらうのですが、いつもハズレで缶バッジでした。今年はひとつ上の赤玉が出て、祝明治150年と書かれた三笠カレンダーが当たりました。明日から仕事。今年は、いいことあるかなあ…とつぶやき。(2018.1.3)


 2017年です。のっけから競技結果の更新が遅れております。半島駅伝の結果をようやく載せました。ご容赦ください。
 まあ、こんな感じですが今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 今日は朋友会の新年懇親会と横須賀陸上競技協会の定期総会・新年会に行ってまいりました。
 横須賀陸協は役員改選ということで渡邉武新会長に、新理事長は小谷先生となりました。石井満副会長は顧問に、代わって三縄保副会長の体制です。若手も伊藤翔子さんが強化部副部長として加わり、東谷洵さんも勤務先の中学校では野球部顧問ですが、横須賀陸協では競技運営部の(審判担当)副部長、榎本先生は(競技担当)副部長です。
 また、横須賀陸協は昭和11年の設立以来、82年の長きにわたり陸上競技の普及や競技力向上に取り組み、地域スポーツの普及にも大きく貢献しているということで、1月14日に平成28年度神奈川県体育功労者表彰を受けたとのこと。まずは、この場でご報告まで。⇒画像
 若い卒業生の皆さんも審判資格を取得して、今後の競技運営にもご協力いただければと思います。
 そうそう、朋友会の方にも是非ご参加を。YPP(Young Power PROJECT)という活動も始まったとのこと。
 私も、朋友会のHPの方に参画もし、「母校の今と歴史」の「母校の行事」や「あつまれ朋友」の「ようこそ同窓生」の欄などでいくつかの原稿を作成しております。こちらも、どうぞよろしく。(2017.1.28)
 なお、朋友会HPはこちら。http://www.hoyu-kai.com/renewal/index.htm
 (朋友会の役員改選に伴い、新HPが立ち上がり、これまでのコンテンツは見られなくなってしまいました。あしからず。)


 忙しかったといえば忙しかった1年でしょうか。更新もすぐにとはいかず、つぶやきもないまま。今年最後に、紅白歌合戦を見ながら、ふと思いついたので、今年見た映画の話をいくつか。まずは、やっぱり『シン・ゴジラ』。感激でした。この監督が作るとこうなると、はっきり個性がわかるゴジラ映画になってました。ちゃんと横須賀も話題に出てきますし、リアルです。音楽の使い方もいい!エヴァの曲がここで使われるか、なるほどと。そして往年のゴジラ映画の挿入曲が、ぴったりな場所に使われている。欲しいところに手が届いた映画でした。圧巻は『宇宙大戦争』使用曲とともに新幹線爆弾が登場するクライマックスシーン!!感動の涙です(それだけに紅白にゴジラを使われると質を下げた茶番にされたようで少々がっかり…。映画としてのリアルの質は高いはずです。さらに文科省の職員役の高橋一生がいい味を出してます。来年の大河ドラマにも出る注目若手です)。とまあ、マニアにしか分からない話はこれぐらいにして。『君の名は。』も見ました。風景はリアル、ストーリーはファンタジー?といえば突っ込みどころも解消するか?ストーリーも作り込んではありますが、ううん、トータルのリアル感では『聲の形』の方が心に染みました。『君の名』と同じくこれまた舞台設定は岐阜だそうですが、2015年4月に神奈川県手話言語条例を施行した県は手話普及推進を図るためにコラボレーションのリーフレットも保健福祉局から発行しました。「県のたより」の表紙にもなりましたから、ご覧になった方もおありでしょうか。もう一つ、胸を熱くしたのは『海賊とよばれた男』です。話は戻って『シン・ゴジラ』の中に「永く我が国はかの国の属国だった」という台詞が出てきますが、戦後日本の復興期に、そうした抑圧と闘う男の姿に涙がこらえきれませんでした。過去、横高陸上部の選手たちの闘う姿にも力をもらいました。さて、来年はどんな年になりますやら。(2016.12.31)


 3か月のご無沙汰でした。またまた転勤です。去年も1年ずつというのは勘弁してほしいとつぶやいたのに。でも、小谷先生とまたご一緒できました。でもでも、仕事は忙しくなる一方。このホームページの運営も、「ひっじょーに、きびしーーー}(財津一郎調〜分かる方は同世代!?)。それはそうと、先日の市記録会で木村先生と一緒に写真判定の業務終了後、ご挨拶。ありがとうございました。新採用は5年で原則異動となっていますので、短い期間と知りながら、よく務めていただきました。新しく迎えた鵜野先生は妙高合宿でのお仲間です。よろしくお願いします。そうそう、横高の新校長は私と同期(高31期)の九石さん。そして横高初の女性校長。がんばってください。あっ、そうだ、先月の横須賀市陸上競技協会創立80周年記念式典・祝賀会の写真を載せます。世界大会で活躍した横高陸上部OG上野(高62期)と平野(高65期)の二人が表彰されました。上野は競技選手を引退して中学校の先生を目指すそうです。精進!精進!(2016.4.3)
      (←2016.3.21)


 暮れも押し詰まって訃報が届きました。本間先生は横高陸上部にとって、私が申し上げるのもなんですが、いわばレジェンド的存在でいらっしゃいます。私にとっては、1年生の体育でまず青年体操を教えていただき、夏の水泳補習、体育祭の時の「帽子、帽子」コール、そして貧血で倒れた時に体育準備室で介抱していただいたことなどが思い出となっています。その本間先生と、母校に戻り陸上部の顧問として近しく接する機会を得させていただいたこともありがたく。競技場などで生徒たちに優しく微笑んで声をかけ、身振り手振りを交えアドバイスをしてくださったお姿も思い出されます。そういえば、昨日のお通夜に、本間先生から直接多くのご指導を仰がれた諸先輩方の中に、そのようにお声をかけていただいた60期など懐かしい顔もあったことをうれしく思いました。さて、とにもかくにも「ゆく年、くる年」。新しい時代の到来を!(2015.12.31)


 2年前か…テレビで瀬川(65期)の姿を見たことを記したのは。そして今日第33回全日本大学女子駅伝に大東大の4区として前走者が2位に押し上げた襷を守って走りぬいた姿を見ることができました。ということで、久しぶりにつぶやきを更新しようという気になりました。10月に入って、ばかに忙しくなり、一昨日まで修学旅行同行で出かけておりまして、競技記録などの更新がすっかり滞っております。正直なところワクワクしないということもあります。なんとか小さく固まらないでほしいものです。先輩の頑張ってる姿とともに、現役のガンバる姿を重ねながら今回はぽつりと。いや、疲れてますが、私もがんばらねば。(2015.10.25)


 お久しぶりです。また転勤です。1年ずつというのは勘弁してほしい。でも、横須賀三浦地区に戻りました。です。小谷先生も横三地区の高校へ。今日、不入斗でお目にかかりました。各方面の学校の陸上部がやって来ていて、たいへんな混みようでしたが、はつらつとした練習風景を見るのはいいものです。とにかく更新頻度もスピードもグンと落ちると思いますが、どうぞよろしくお願いします。(2015.4.25)


 2015年となりました。が、更新もはかどりません。つぶやきも少なくなりました。でも、久しぶりに小さな感動があったので。昨年暮れの紅白歌合戦を見てのことです。白組トップバッターのSexy Zoneが曲の間奏中に太鼓をたたくパフォーマンスの場面がありました。その太鼓を移動したあと、ステージ上にバチがころがっていたのを、さりげなくさっと舞台袖にどかし、すぐさまダンスに戻るジュニアの子が目に留まりました。気が利くなあと思いましたが、どうしてバチが落ちたのかなと、あとで録画を見返してみました。なんと太鼓の列のセッティングがセンターからずれたためにセンターの太鼓を打つはずの中島君の太鼓が左にひとつずれて立ってしまい、その隣の太鼓にマリウス君と佐藤君が重なってしまっていました。中島君はカメラ割の関係でセンター位置からずれるわけにはいかなかったようです。いったんはバチを手にしたものの佐藤君はマリウス君に場所を譲り自分はアドリブダンスを始めました。なんで一人だけ踊っているのか最初は不思議に思った場面でしたが、演出ではなく、そういうことだったのかと。その時にバチは落ちたもののようでした。さらに見返してみると、右側でひとつ余った太鼓を菊地君が一人でふたつの太鼓をたたくというパフォーマンスをしているではありませんか。ひとつずれて余った太鼓ができてしまったことを菊地君にバチを渡しながら示したジュニアの子がいたようにも見えます。それぞれがとっさに穴を埋めるための動きをしていることに関心しました。さらに見返してみると、落ちたバチをどかしてしまったわけですから、Sexy Zoneが前面でパフォーマンスしたあとに、その太鼓を後方に移動し、最後はジュニアの子たちでたたくわけですが、バチが一本たらなくてキョロキョロしているジュニアの子の様子が映っていました。するとさっと隣から予備のバチでしょうか、渡すジュニアの子がいる。なんだかドタバタしたパフォーマンスになってしまいましたが、うまくまとめたというか、2分ほどの間に、こんなことが起こっていて、こんなふうにフォローしていたとは。“Show must go on”という言葉がありますが、どんなことがあっても止めるわけにはいかない。ジャニーズジュニアとはいえ、この子たちもプロ意識があるんだな、フォローし合えるほどに鍛えられているんだなと、しみじみ思ってしまいました。チームの中でも部員間でほしい力だなということを感じつつ、少々書き留めておきます。今年もよろしく。そして、今年も成長してほしいと願いを込めて。(2015.1.4)


 8月15日、69年目の終戦の日。8月9日そして8月6日もそうですが、心にとめておきたい日だと思います。どこかで書いたかもしれません(2012.8.9あたりもありましたっけ)が、キノコ雲の映像は子どもの頃には、ひとつの象徴のように目にし、放射能という言葉も耳に焼き付きました。特撮番組の物語では放射能の影響で突然変異という設定があまりに多用されて、被曝者への偏見を生むとのにことで近年は改められるようになりましたが、でも、幼心に放射能の恐怖というイメージを漠然とでも焼き付ける効果はあったのは事実でしょう。ゴジラは、その最も象徴たるものです。今年ハリウッド映画で以前のものとは少しはまともな形でゴジラ映画が公開されていますが、いまひとつ触手がのびません。文化が違うんです。戦争に対する思想と言ってもいいかもしれません。最初の「ゴジラ」映画をぜひ見てもらいたいですが、平成のものであれば、ガメラ映画を平成にリアルに復活させたことで知られる金子修介監督が手掛けたゴジラ映画では、ゴジラ熱線を吐いて街が炎上する場面に、あえてキノコ雲をわかせていました(「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」)。上陸地点は第五福竜丸の母港であった焼津。あと、護国聖獣として設定されたバラゴンが現れるのは、なじみのある妙高山。初代「ゴジラ」が難解という若い人には、これも見てもらって、思想を考えてみてほしい作品かな。そう、8月15日を描いた作品としては東宝映画のいわゆる8.15シリーズ第1弾となる「日本のいちばん長い日」があります。終戦も迎えるまでに、こんなにも激動があったということを見てほしい、知ってほしい映画です。「いちばん長い」といえば、今年の地区総体後のミーティングも長かった。始まる前、ナカザワに聞いたら「いやあ、そんな長くなりませんよ」と言ってましたが、ほらみろ案の定長くなったじゃないか。OBで残っていてくれたのは小澤(57期)と永井(65期)の二人。新部長のフマが「先生もお願いします」というので顔を出しましたが、予感がしたのでOBには先に話をしてもらっておいてよかったあ。話が苦手ですと言って話し始めたフクハラで20分、3年間を振り返ってと話し始めたホウジョウは40分。3年生の話が終わって締めの言葉になる頃には、もう9時。これはよくないな。保護者の皆様、この日はご心配をおかけしたものと思います。長くなる話は卒業後の送る会にとっておこうよ。来年からは、このときの3年生の引退の弁は、以前のように短めに戻そうね。さて、何人かのOBとも会えたので少し写真を。(2014.8.15)に


 横須賀市選手権を終えて帰り道、横高の前を通ると、なんと!喜よし食堂の並びにセブンイレブンができているではありませんか。ということで、写真に撮ってしまいましたが、たいしたことではありませんけど(ここのページは個人的に懐古的なページです)。いやあ、それにしても時は流れたものです。横須賀市選手権を終えて、横三地区の高校関係の先生方で、今年退職された三浦先生を囲む会をもちました。三浦先生のお生まれになった年から横高陸上部の関東出場の連続記録が続いていたという因縁めいたお話も改めてうかがい、伝統の重圧もひしひしと感じました。その重圧は卒業生として榎本先生に引き継がれているわけですが、さらには不入斗での試合には教え子が競技役員として運営を支えていてくれる姿を見ることができるようになりました。中学校の先生ということで高体連関係の試合ではお目にかかれませんが、今回は画像を少々。57期の東谷は役員係として、60期の伊藤はスターターとして。立派に務めてくれています。それに引き替え現役の動きは、3年生の引退が迫ろうという時期に来て、まだ2年生1年生が心もとない。ついつい試合後のミーティング前に説教を述べてしまいました。そうそう久しぶりに55期山中君も顔を見せてくれてたし、OBが来れば、以前は必ずしてくれていたような話をいくつか絡めて。もう3年生から2年生への引き継ぎは目の前だからね。しっかり頼むよ2年生!「勇往邁進」の意味も言えるようにして、あとは実践だ。(2014.6.7)


 2014年度のシーズンとなりました。そして、この4月に管理人の私は転勤となりました。初めて横須賀三浦地区を離れます。前任校に新採用で陸上経験のある体育の先生を迎えるということで楽しみにしていたのですが、横浜南部地区の高校に異動となりました。こちらには陸上部の顧問として矢澤一郎先生がいらっしゃって、生徒指導面でもがんばっていただいています。ちなみに職員室で席を隣同士にしている副校長は県教育局のスポーツ課から異動して来られた方で小谷先生の上司だった方です。小谷先生は出向3年の年季が切れるとこでしたが、学校現場復帰は今回はお預けとなってしまいました。先週、教育局へ出張があったので小谷先生に会ってきました。「ホームページの更新楽しみにしてます」と言ってくださいました。「別にプレッシャーかけてるわけじゃないですよ」(笑)とも。というわけで、さらに横高陸上部とは縁遠くはなってしまいますが、ホームページ管理をがんばりたいと思います。走友会のメーリングリストも現役からの連絡は新2年生の男子はイトウ、女子はカワシマに代替わりしました。マネージャーからの連絡も3年生となったスガワラから2年生のクズヌキに交代。連絡をもらいながら続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。(2014.4.26)


 ますます横高陸上部を見に行く時間もなくなっておりますが、なんとか更新は続けてまいりました。そして、つぶやきも。というわけで、今年最後になるかな、つぶやいておきます。今日は初の富士山女子駅伝ということで、選手一覧に卒業生の名前を見ることができました。さあ、いざテレビ放送の方ではというと、筑波大はアンカー4年生の上野に加え、2区で1年生の平野が区間6位の力走。そして大東文化大の1年生の瀬川はテレビのオープニング映像にちゃっかり使われてるし。前回に続き、せっかくですから、このことは、したためておきましょう。さて、昨日は映画『永遠の0』を観てきました。いい映画に仕上がってると思います。時代考証もこれまでの数々の戦記映画よりも一応しっかりしているほうだという印象をもちました。零戦の塗装も年代ごとの変化をしっかり考証したこだわりが見られましたし、空母「赤城」の飛行甲板のデザインの違いも描き分けるとは!強いて難を言えば、波と風かな。でも、戦争を戦場として描き、戦争が人々の心に様々なものを残していることを伝える力のこもった映画でした。過去と現代をどうむすびつけていくか、若い人たちにぜひつけてほしい力です。「伝統」という言葉と共にね。(2013.12.23)
追伸:気が付いてみたら、このホームページを開設して10年たったんだね。えらいなあ〜と自分で自分をほめておきます。そうそう、初詣の日、おしるこ手伝ってくれる人ぉ〜いますかぁー榎本先生のリクエストもあり復活か!?(2013.12.28)


 ご覧になりましたか、昨日の日テレ「密着!全日本大学女子駅伝への道」。4年生となった上野のキャプテンとしての姿。筑波大学の練習場での映像には後ろに平野かなぁという姿も(ちょっと細かすぎ?)。いやあ、でも目を凝らしちゃいますよ。大東文化大学を取材したシーンでは、スタンドで応援する1年生の中に瀬川の姿。それも「キャプテンの必死な走りを後輩たちはその目に焼きつけていました」というナレーションに重ねる涙をぬぐっている姿を撮られているのは、なかなかおいしいところをもっていくなあと(笑)。皆、横高を巣立ってから新しいステージで闘い、そして脈々とつながるものを受け止め、つなぐことをしているなと感じました。つなぐといえば、現役生たちはどうかというと、若い顧問たちは心しているだけに苦闘しているようです。ということで、今回、活動報告に忘れてほしくないので敢えて載せておきました。以前にもつぶやいたことがありますけど、競技成績以上にチームとしてつくりあげることを気にかけてきた私としても応援したいところですが、立ちはだかる壁は厚いようです。小谷先生の留守中に大森先生に練習を見ていただいているときも、練習前にまずチーム作りについてこれは話しておかなきゃと思って話をしたあと、「オカハナは話が長いな」みたいに大森先生に言われたこともありましたが、練習より大事だと思うほうなので若い顧問の気持ちはさもありなんと。とにかく、畑木ぃ〜、不入斗でのセッティングの代替わりはしっかりつないでるからね。あっ、そういうと梶ヶ谷には申し訳ないような気がするな、グラウンドのトイレの清掃の件はね・・・。いやいや、不入斗での練習が多いみたいだから、グラウンド自体が・・・エノがこぼしてたけど。不入斗を使うのは競技力には易いかもしれないけれど、やっぱりチーム力の地力をつけるのはグラウンドだよね。(2013.10.27)


 映画「風立ちぬ」を観てきました。夢を大いに語るイタリア人。規則に厳しく、当時の盟邦とはいえ東洋の小国に日本に対する蔑視を感じさせるドイツ人、そして模倣の上に先進性を築き上げる日本人(ちょっと手前味噌な表現かな)、お国柄も端的に描いているように感じました。そして、日本人の生き方への示唆を多く含んでいる。また、凛とした女性の姿もいいですね。ぜひご覧になってください。何を受け止めるでしょうか。2012.8.9のつぶやきでジブリ作品の話題にふれましたけど、深みがありますよね。映画の始まるまでの待ち時間に本屋に立ち寄り、木村秋則さんの『リンゴが教えてくれたこと』文庫版を手にしました。これも生き方の示唆に富んでいると思います。『奇跡のリンゴ』が映画化されましたけれども、映画ではメインとなるメッセージが異なっているのではという印象を持ってしまうのですが。さて、また8月を迎えるこの時期、次は『終戦のエンペラー』を見てみようかなと思ってます。『少年H』も惹かれますね。(2013.7.20)


 今年度の地区総体も終わり、3年生が引退していきました。地区総体の終盤に判定室へ新部長がやって来て「木村先生、ミーティングのことなんですけど、横須賀選手権の時の場所にしようと思います。先生からの話をお願いします」と。すると、「オカハナ先生からもお願いします」と言われたので、「時間があったらな」と答えておいて、片づけが少々手間取ったあと、ミーティング場所に向かいました。まず、場所!?他校も近くに入り混じり、車の往来もあり騒々しい。せっかく3年生の引退コメントを聞くのに、ふさわしい場所選択だったかな。3年生自身の声の大きさもあるけど、聞こえにくかったのは残念。それから長くかかりすぎ。3月の送る会の時なら時間はたっぷりあるけど、この場では絞って話さないと。終わりの時間を決めて、そこから逆算して、ひとり何分以内とか、段取り力をつけたいね、横高生なら。部長が事前に段取りをつけておくというのも必要だけど、当事者も配慮できるようにしたいこと。いいかい、こういう場所ではチームの力になることを話すんだよ。だから、個人的な思い出話はいらない。もっと言えば、顧問が何を言ってほしいと思っているかという空気が読めるようであってほしい。いや、そうしてきた先輩たちがいるんだからね。さて、そんなことも感じたこともあって、話をする機会をいただいたので、横須賀高校の陸上部らしくあってほしい旨の話をさせてもらいました。60期の足立が夏合宿のときに「横高の陸上部なんだから恥ずかしい姿を見せちゃいけないんだ」と言っていたことを紹介しました。なぜなら、この3年生(66期生)は、私が横高から異動して初めて外側からチームを見たときの当時1年生、忘れもしません、善行での高総体中地区予選のとき、「みっともない!」と唖然としました。見学している姿も補助員をやっている姿も。2年生を呼んで叱りました。3年生が最後のインターハイ路線に集中するために、1年生の指導は2年生の役目と言っておいたはず、それができていない。翌日、1年生を並べて注意を与えている2年生の姿を見て、まずは「よしよし」と思いましたが、その注意を聞きながらヘラヘラした顔つきの1年生も見えたので、これは横高陸上部員らしくするには時間がかかりそうな代だと心配しました。そして時が流れて今日がある。インターハイにチームをいざなう役目を果たした者。1年生の時にリレーメンバーとして先輩に上位大会にいざなわれ、自分が3年生となって同じように、後輩をひとつでも上へと、伴って引退する3年生としての責務を果たした者。それを支えてきた者。「横高陸上部らしさ」とは何か、一言では言い尽くせませんが、後輩たちにも考えておいてほしいこととして、そんな話をしておきました。チームは個がつくっていくものだから、締めには去年の部長就任時に長島が言った言葉を引きました。「一人ひとりが責任感をもつ。感謝の気持ちをもつ。自分を律する。」でしたね、そういえば、2012年の初詣の絵馬には65期の永井が「率先垂範」というという言葉を付け足したとのことでしたが、彼は今でもこの言葉を目標に掲げているようですね。早稲田大学競走部のホームページで見つけました。そうだ、不入斗競技場では久しぶりのOBの姿を見つけました。56期の出水。名古屋から本社勤務に代わったのだとか。現役生二人ぐらいには「男子200mの横高記録保持者の先輩だよ」と紹介できましたが、OBとの接点は保っていきたいものです。さて、終わって大急ぎで、今年退職された大島先生(横須賀総合高校)を囲む会へ。昨年は岩間先生(逗子開成高校)を囲み、そして、来年は・・・。時は流れますね。(2013.7.15)


 昨日の午前中は、母が毎月1回、以前手術の折のかかりつけの医者に診てもらう付き添いで東京へ、その帰りに東京ビッグサイトでバーゲンがあるというので妹と合流、そして3人で調布の味の素スタジアムへ向かい、日本選手権2日目を観戦。お目当ては妹が竹澤健介の最近の様子が気になるから見に行きたいとチケットを手配、残念ながら竹澤は10000mには出場せず、私にとっても平野が出場する女子800m予選をと思ったものの、買い物に付き合って時間には間に合わず残念。おまけに駐車場が帰りにバカ混みで出口まで身動きできない状態。それでも、久々に全国レベルの競技の観戦を楽しむことができました。これからしばらくは土日も学校行事が重なり、夏休みも学校行事が多く、試合に出向くこともままなりません。さて、かろうじて、そんな隙間の土日のうち、先週の日曜日は大森先生のお手製料理をごちそういただける機会を得ました。新顧問の榎本先生を囲んでと、私の昇任祝いと称していただき恐縮です。大森先生が御自身で弓ヶ浜で釣ってきた鯛のパイの包み焼きや、これまた、その場で大森先生御自ら火をあぶりかけていただくデザートのブリュレまで、堪能させていただきました(よく見ると画像に、シェフ帽をかぶった大森先生の姿も写りこんでます。釣り上げた鯛を手にした写真の横かな)。さまざまな陸上競技でのつながりに感謝感謝です。思い起こせば、二十数年前、今の職場の前身である三崎水産高校時代に三浦先生に出会って、「三浦半島駅伝っていうのがあって、中継所に手が足りないから手伝ってくれないかなあ」と言われ、部員に付き添って油壺の中継所に立ったというのが、陸上競技にかかわるようになった最初でしょうか。まだその時は他のクラブの顧問でしたが、三浦先生の転勤後に陸上競技部の顧問を引き受けるようになり、審判員資格を取りに行き、・・・そうそう、水産高校では生徒と一緒に資格もずいぶん取得しましたっけ。危険物取扱者乙種第4類、小型船舶操縦士免許、ボイラー技師2級など。そんなことも思い出しながら、ふと思うと、三浦先生も、この一年で定年退職を迎えられるんですね。最後まで横高陸上部をどうぞよろしくお願いします。(2013.6.9)


 深瀬君とはタイミングよく会うほうです。今日も何の示しあわせをしたわけでもなく不入斗で。家族総出で来てくれるからまた頼もしい。子どもたちも元気です。それ以上に育ってほしいのは高校生ですが。まあ、エノに受け皿になってもらいましょう。どんどん注文をつけてやってください。なぜ、そうやってきたのかの理念が理解されずに形だけをこなしててもしょうがないですから、まだまだ語り伝えなければならないことがたくさんあります。ところで、異動してきてすぐに担任を持たされた榎本先生は、明後日はアカデミア(1年生宿泊研修)だそうな。なんだか難しそうだと言うので少し説明しておきましたが、これも理念が理解されずに形だけ行われていくようでは意味がありません。簡単に言うと、まず生徒に本物を見せるということ。これから大学進学をしていくのに、意識が受験勉強どまりで、その先のことにまでは展開されない。肝心の研究のなんたるかが分からずに大学へ行く、いや、その前に大学・学部を選ぶことの愚。ミスマッチもおこってきます。日本の、世界の、将来を担う人材を育成するために高等教育へ接続する後期中等教育機関が抱える課題です。そこで日本の先端の研究に取り組む総合大学院大学と連携し、人材育成の一助にしよう・・・要は福間先生が全国レベルの大会でトップレベルの選手を=本物を見ることの大切さを訴えたのと同じことだよと言うと、榎本君にも得心してもらえたと思います。よく大学から高校への出張講義で、高校生向けにやさしくしてくれることが多いですが、総研大の学長にレベルは下げずに、そのまま講義をしてほしいと頼んだと諏訪部校長は言っていました。「『分からない』と感じることが大切だ」と。だから、あとはキャリア教育的に言えば、人間関係形成能力と課題解決能力の育成にあたっての新入生の担任が生徒観察を深める機会でしょうか。個での行動に終始し、人間関係がうまくいかないという事例が多い昨今。仕事はチームで行うわけですから、なおさら困難な問題に直面したとき、自分ひとりでは難しいが、他者の見解を取り入れることで解消されていく、そうした協同の取り組み体験を補完していかなければならないのも今日的課題です。横高陸上部だけでなく横高生の後進育成もよろしく頼みます。(2013.5.5)


 イワタ〜、コジマ〜、安心してくれ!戻ってきたよぉ。伝統を、チームのあり方を、語り継ぐ体制が。今日の中地区予選を終えてのミーティングに、OBからの話は、まさしく私が12年前に横高陸上部に見た姿とに近いものがありました。新OBとなった65期の面々が現役生に向かって話してくれたことは、ハタキがサポートについて、タグリは学年別に1年生に2年生に3年生にと、大切なことを、ナガイも同じく学年別に。ナガイは自分が入った早稲田大学競走部での体験から「いやいやではなく、当たり前のようにグランド整備などをしている部員の競技能力は高い」ということを実感をもって伝えていました。63期以降の面々と苦しみながら継承復帰を試みてきました(2009.10.12あたりにも、つぶやいてます)が、ようやっと横高陸上部らしさを見ました。嬉しかった。久々に、関東・インターハイ路線に向けて意味のあるミーティングを見ました。1年生も大勢入部したようですから、これからが舵取りも大変なところです。安心はできませんが、まずは一言、喜びと感動をつぶいやかずにはいられません。そして、故諏訪部校長先生にも、ご報告。先生は「生徒の横須賀高校に対する帰属意識を醸成する」と学校に目標に新たに盛り込まれましたね。ご安心ください。先生が迎え入れた65期生は、しっかりと帰属意識を持ち得ました。ハタキが話した、「試合に出ない部員もサポートという大切な役目がある」と語ってくれてたことも、タグリが語った「OBがやって来て伝統を語ると、うざったく聞こえるかもしれないが受け止めてほしい」「県や関東、インターハイへはチームが学校をしょって行くことになる」などの言葉はそのもの。先生のご指導の下、私どもが策定した「自らの責任と役割を自覚し、横須賀高校の伝統を継承し、さらに発展させていくための在り方を考えさせたか」という評価基準は満たされたと、横高から離れて3年目にして確認できました。今後は、顧問に榎本先生も加わったことですから、木村先生ともども若い横高教師の力に託していきたいと思います。(2013.4.28)


 今日、奥寺に会いました。ひょんなところで。思わず「じぇっ」って感じでした奥寺は仕事で横須賀と横浜の往復中とか。私は出張帰りで新しい職場へ戻るところ。なんだか縁があるんですね。縁があるといえば、4月から移った職場もそうです。初任で赴任した学校です。なんとも懐かしい。お世話になった方々もまだけっこういらっしゃいましたし、卒業生が職員となっている姿に出会えたのもうれしかったです。横高の卒業生もいました。実にうれしい再会です。これも縁でしょうか。お世話になります。そうそう、NHKの朝の連続テレビ小説は4月から「あまちゃん」が始まりましたが、今度の職場の職員に岩手県は久慈水産高校の出身者がいて、「先生、あれ、俺の実家のすぐそばなんです。エキストラで、おじさんやおばさんも出たんですよ。それから本当に『じぇ』って言うんですよ。先生、あのドラマの舞台の知り合いがいるって宣伝してくださいよお」なんて、再会したときに、こんな話になりました。脚本が宮藤官九郎なので、面白そうだとは思っていたのですが、なんだか親しみもわいてきました。オンタイムでは無理なので録画して見てます。彼の出身校は統廃合で様相を変えてしまいましたが、今度の赴任校も単独改変で校名も変わり単位制高校となっていました。これから、この新しい学校の為に心機一転がんばります。しかしながら、新しい職はすさまじく忙しい。陸上部のほうへも、なかなか顔も出せそうにはありません。これからも陸上部の皆に会えるのは相当な縁あってのことかもしれません。再会の合言葉は「じぇ」です(笑)。とりあえず、久々のつぶやきはこんな感じで。(2013.4.12)


 卒業式に行ってまいりました。まずは朝8時15分からセミナーホールをお借りして、走友会からの卒業生への記念品贈呈。ほんとうはセミナーホールは来賓控え室なので、せっかくセッテイングしてあるところをちょっと配置換えさせてもらっての利用ですし、顧問は朝の職員打ち合わせが8時半からですから少々せわしないのですが、横須賀高校を代表する戦績を誇るクラブですから、特別に学校長も忙しいところを時間を割いてご出席を願い、行っております。たいがいは最初に御挨拶をいただいて校長は先にあがっていただくのですが、ホームページを見返してみると59期は矢向校長から記念品も渡していただけてたんでしたね。ありがたいことです。いつもは名誉会長から渡していただいてます・・・ただ、仕方のないことかもしれませんけれども、名誉会長から走友会の歴史をお話いただくと毎回時間が押し気味で、職員室に戻らなければならない時間が迫り、いつもハラハラでした。そのへんは山本前会長などは“巻き”を心得たもので助かりましたが、今年は深瀬会長は「失敗したあ」と言ってました。お話が始まれば誰にも止められませんから、木村・小松原両顧問は一旦職員室へ打ち合わせのため中座。仕方なく三浦先生だけ残り、名誉会長からのお話の後、顧問からの言葉を述べていただきました。関東以上への連続出場の記録を絶やさないためにと厳しい内容も含まれていましたが、卒業生OBとして現役を支えてほしいと願います。そそくさと記念品を渡し終わって、卒業式当日は3年生のホームルームは9時からなので、なんとかさっとかですが、もう来賓控え室用に明け渡す時間も迫ってますので設営復帰のために大わらわです。職員の中には「なんで陸上部に部屋を使わせるんだ」と不服に思っている方もいるので、内部の人間としても苦しいところです。まあ、学校外の方には、そこまで通じませんが。う〜ん、なにげなく書いちゃいましたね。まあ、つぶやきですので。結局、深瀬くんからの話はカット。深瀬会長、ご苦労様でした。次の日の三浦マラソンに向けて三浦市職員は、このあと出勤されて行きました。土曜日開催とはなりましたが、以前の平日開催の折も走友会事務局の方々には朝から短時間のためにご足労いただき、ありがとうございました。卒業式にも出席しましたが、最後の応援団のエールは少々いただけなかった。「お待ちください」の声がなかったり、壇上の脇から出てきてしまうし、「お願いします」と伝える相手が誰なのかわからないような始末など段取りや団旗の扱い方。生徒が見落としているような部分は、かつての横高体育祭で応援経験のある職員がサジェスチョンしたものですが、そういった職員も転勤してしまって・・・。いやあ、伝統が途切れることの怖さをここでも垣間見たような気がしました。OB・OG諸氏、ぜひとも、伝統を語り訪れてください。やっぱりねえ、チームづくりについての話がほしいんだよね。1月26日に学校へ練習に見に行ったときは長距離の1・2年生に、2月17日に不入斗へ行った時はマネージャーに、先輩になることの意味を少し話しておきました。毎年この頃は新入生を迎えるにあたって、自分をふりかえり、改めるべきは改めようと話をする時期ですよね。2008.3.9のつぶやきも懐かしい。65期生の諸君、3月下旬の送る会では、後輩に誰が何を言うか、順番も相談しておけるかな。(2013.3.3)


 2013年、初の「つぶやき」となります。このホームページ゙はまだ、私が管理運営しております。そうたいした更新もできないと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。さて、今日は三浦半島駅伝でした。今年は近隣校だけでなく、横浜、鶴見、鎌倉学園、湘南工大付属、そして希望ヶ丘も出場で、福間先生にもお目にかかりました。夏合宿で長距離ブロックに付き添うようになってから、つい肩入れしてしまう感じなのですが、2年のタケダは、やっと1区としての仕事をしてくれたかなと思います。先行する横浜と希望ヶ丘に食らい付いて、2区の1年生につなぎ、勢いをつくってくれました。1年生3人も今の力でしっかりつなぎ、最後に再び2年生のウンノが、1年生が抜かれた分を少しでも取り返す仕事を果たしました。けっして華々しい結果を出してきたわけではありませんが、地道に練習を続けてきた成果が出せ、経験を積むという勉強ができた大会になったと思います。この2年生と1年生との連携した体制を、新たに新入生を迎えるであろう環境の一つとして期待したいと、まずは今年の最初に、つぶやいておきます。あっ、あと、字は大きくしときます。(2013.1.20)


 昨日、陸上部の保護者の方々から謝恩会ということで、私までお招きにあずかりまして、恐縮です。まことにありがとうございます。でも、本当にうれしいです。3年生の保護者の方々にお目にかかると部員一人ひとりの顔もうかんで、感慨ひとしおでした。ちょうど同じテーブルになりました森さん、村上さん、藤田さん、中島さん、武藤さん、児矢野さん、それぞれの生徒の思い出が湧き上がりました。花束ほかも頂戴しました。重ねて感謝と共に、今後とも様々に支えてくださいますよう、よろしくお願いいたします。(2012.11.11)


 個人的なつぶやきです。ほんとにつぶやきたくなったので。連日生徒指導会議で、今日も生徒指導の臨時職員会議が終わった途端に通報が入り、6時過ぎから事情聞き取りで、いつもなら学校を閉める7時半を過ぎても帰れず、やっと区切りが付いて明日に持ち越しとなったのが8時過ぎ。疲れたので帰りに湯楽の里で癒しを得ようと立ち寄りました。入場して階段を上ろうとしたとき、ばったりと、喜よしのおばちゃんに出会いました。「あらあ」とお互い。いやあ、うれしかったなあ。なんだか、ほっとしちゃいました。〜う・・・む、疲れてるなあ〜。そう、喜よしといえば、私の横高生時代にはカウンターが奥のほうへ伸びていて、その奥には座敷があって、混んでいると、「落研のおにいちゃん達、ここ使っていいいよ」と上げていただいたのも思い出です。大盛りのチキンライスがあってキチガイライスなんて呼んでましたっけ。おっと、禁止用語が入っていて申し訳ありません。とにもかくにも、横高生には、喜よしに白バラは欠かせません。いや、細かく言うと白バラのベンチ、いや、チェリオかな。(2012.9.13)


 今日は平野や三浦学苑サッカー部・陸上自衛隊高等工科学校カヌー部のインターハイ優勝報告会がありました。まず午前中は横須賀市他の主催により横須賀中央で街頭市民報告会。そして午後は衣笠商店街などからなる実行委員会主催でパレードと報告会。それぞれ主催が異なるばかりか、こういう企画を手馴れているかどうかはなかなか大変なようです。でも、ありがたいことです。その間にロンドンに行っている福間先生からメールが届きました。パラリンピック陸上、走高跳で鈴木徹さんは1m98を跳んで4位だったとのこと。2m01の3回目の跳躍は跳び終わって立ち上がってからバーが落ちるという本当に惜しい跳躍で、やはり表彰台に立っている姿を見たかった…と福間先生。ご本人は満足いく試合をやりきった感のある顔をしていたそうです。顔と言えば、衣笠で64期をはじめとしたOBたちの顔を見ました。会えるのは実にうれしいですね。中に金髪にしたのがいて、いや、オレンジ色に近かったかなあ?なんとも言いようがありませんでしたが、本人も「三浦先生と同じ反応ですね」と言ってました(笑)。面白いので一応写真を撮っておきました。横須賀中央には60期の伊藤がいたそうですが、会えなかったので、深瀬君が伊藤からの言付けを届けてくれました。深瀬君は昨日は、まだ幼い児らを伴って家族総出で不入斗に来てくれていました。彼が走るのを見たのも何年かぶりかな。こちらも走友会の運営はたいへんそうですが、なんとかどうかひとつ。若いOB諸氏も参加を強めてもらえばと思います。あっ、この「つぶやき」の字を大きくしてくれと言われたんですが、また小さくしちゃいました。(2012.9.9)


 ホームページへのたくさんのご訪問ありがとうございます。また、このページも見てくださって恐縮です。今日、グラウンドで平野のインターハイ報告を部員と一緒に聞きました。明日から合宿です。ありがたいことに榎本先生が声をかけてくれたこともありますし、ちょっと心配だし、前半だけ行って来ます。戻ったらまた書きます。(2012.8.3) ということで、4日から6日までの3日間、合宿のお手伝いをしてまいりました。7日は職場の日直と部活動の監督当番も頼まれたので出勤、そして7日にインターハイや合宿などの記事をホームページに載せる作業を終えました。あとは神奈川新聞の記事を載せたいと思ったのですが、神奈川新聞社に許可を問い合わせたところ「
4月に著作権の許諾条件の改訂がありHPでのご利用ができなくなりましたのでお知らせします。」とのこと、これは残念でしたが、なんとも興奮冷めやらぬという感じです。さきほど小松原先生から一報が入り、9月9日には衣笠商店街を三浦学苑サッカー部とともに平野のパレードが決まったとか。先週は7月31日から8月3日まで毎日出張が入っていて、日帰りでもという思いも果たせず、せめてとの思いから1日の朝、三浦正八幡宮に戦勝祈願をして朗報を待ちました。出先で走友会メーリングリストでの知らせを受け、さっそく小谷先生にも転送、小谷先生から「やりましたねー タイムを見てシビレました。「県高校新」ですよね いやぁー本当に感動です」と返信。ほんとうにほんとうに多くの人に感動を与えてくれた平野と横高陸上部に感謝です。さて、その陸上部ですが、3日に出張前に学校へ立ち寄り、合宿に向けた後輩に対する平野からの言葉を聞いて、よしよし合宿に向けての心構えは言葉ではつながっているなと、あとは行動だと。実は7月28日にインターハイ留守居組にだけでも、合宿に向けた話をしておかないと岩田女史に怒られる(笑)と思い、午前中は現任校で保護者向けの説明会があったので、午後不入斗で長距離陣の練習があるというので行ってきました。まずは練習前に2年生だけ集めて、合宿を1年生にどう語るか一人ひとりに確認し、練習開始時に全体に。そして迎えた妙高合宿。横浜高校の田下先生をサポートして長距離の練習に付き添うことになったので、まずは長距離陣の教育から。案の定、言っておいても動けない。タケダとシノベを叱ることに。「63期をあれだけ叱って、64期を叱り、ようやく65期で叱らずにすむようになってきたかと思ったのに、これじゃあ逆戻りになるだろ!」と。どうやら顧問との報告・連絡の習慣が定着していないようで心配です。三浦先生は志が低いことが大いに不満と生徒に話もされていました。男子長距離の1年生には、今から来年に向けて合宿のことを覚えておくように言いましたが、そんなこんなで、バーベキューのときは他校に先立って動いてぃる姿が見られるようになりました。準備から、片付けも最後まで残って。マネージャーも三人とも1年生ながら、よく動いています。まあ、これからですね。新しいリーダーたちへの叱るという期待感は伝わりにくくなっているかもしれませんが、チームづくりのための、あえて外側からの援護射撃です。ところで今日9日は67回目の長崎「原爆の日」。原子力についていろいろと考えさせられる時勢となりました。以前いた職場で、理科の非常勤の先生なのですが、物腰のとても穏やかな年配の女性の方で原子力反対の署名を集めていらっしゃる方に出会いました。核兵器ならもっともながら平和利用でも反対されるのですかとうかがったところ、「物理に携わった人間として、これだけは止めなければと思っております」と物静かに語られた言葉が今でも忘れられません。ゴジラの昔から放射能の恐怖という言葉を漠然と感じて育った世代ですが、現実にこんな事態にさらされるとは。2004年1月のつぶやきで、ゴジラは核兵器の比喩であるというようなことを書きましたが、そのゴジラも銀幕から姿を消しています。最近はジブリ作品に啓発的なものを感じます。「風の谷のナウシカ」で、風の谷の老人たちがトルメキア軍に捕らえられ司令官のクシャナに「そりゃわしらも火を使うがな、多過ぎる火は森を一日で灰にする。水と風は百年かけて森を育てるんじゃ。わしらは水と風のほうがええ」と語る場面。「天空の城ラピュタ」でパズーとシータが地下で出会ったポムじいさんが飛行石を見て言った「力のある石は人を幸せにもするが、不幸を招くこともよおあることなんじゃ。ましてその石は人の手が作り出したもの・・・。その・・・気になってのお」という台詞。どちらも今の時代に非常に示唆的なものを感じます。60年代に放射能の恐怖を、核兵器によるものというイメージで抱かされましたが、原子力の火とウラン鉱石という石の力を重ね合わせることができるような印象も。いま「宇宙戦艦ヤマト」のリメイク版「宇宙戦艦ヤマト2199」の制作が進んでいます。ガミラスの攻撃による「放射能の汚染」のために「地球に健康な土地はなくなった」との表現は、ただ単に「大気は汚染され」、ガミラスにより植えつけられた「毒素を放出する敵性植物」の存在などに改められているのは配慮なのか整合性なのか?、いずれにせよ「不利な状況にくじけず未来を切り拓く信念と志」は継承されるものと信じたいです。(2012.8.9)


 夏休みに入りました。私の方はというと現任校の学校説明会が午前中にありまして、午後、不入斗に向かいました。朝は出掛けに今年上半期を見守っていただいた感謝として初詣で赴く大津の諏訪神社を参拝してきました。感謝の心を二礼二拍手一礼。さて、夏休みの活動予定のUPが今日になって申し訳ありません。予定ができたら教えてくださいなと頼んではあったのですが、まだ未定の部分があるとかで、とにかく決まってる範囲でと、木村先生から今日、不入斗で受け取りました。行くと走友会新会長の深瀬君(48期)と旧姓田中のホシノ(55期)がおりまして、あとからアリーナに神明中バレー部の引率で来ていた関戸(59期)が合流、新事務局体制がなんとか立ち上がったようで、打ち合わせをしておりました。いろいろ大変でしょうが、よろしくお願いします。現役の方も新体制となり、小松原先生によると、7月17日(月)に3年生から2年生への引継式が18時からセミナーハウスの和室で行われ、3年生からは2年生への思いとして、「目標をもって、強くなって欲しい」とか、個人的な思いも含めて、さまざまな言葉を1、2年生に届けていたとのこと。中でも小松原先生が印象的だったのは、ナガイが、部長になりたての頃は、「伝統ってなんだよ」って思っていたらしいのですが、今では、陸上部が「わが子のように思う」ようになったという言葉だったそうです。ヒラノは、中長距離長は「澁谷」とか言っちゃうし・・・。一瞬の間をおいて、大爆笑になりましたとか(女子の中長距離長はシノベになったのかな。そうそう、1年生で入ってきたばかりのシノベを見たときに、関戸に似てるなあと思ったもんです。深瀬もそう思ったのか、シノベが挨拶に来たときに、関戸に「並んでごらん」なんて言ってましたが、関戸たちのように関東駅伝を目指してほしいと思います。きっと強くなるはずです。あの3年生と一緒にやってきたんだから)。「去年の引継式を見ていますが、1年経って、やはり成長するものですね。ちょっぴし、感動しました。」とのこと。そうなんですよ、それが楽しみなんです。さあ、これからは新体制の舵取りを見つめていくことにしましょうか。う〜ん、今日、見たところでは、まだ挨拶ができない1年生がいたなあ。2年生はそういうところまで目が届くかな。(2012.7.21)


 涙もろくなりました。歳のせいでしょうか。引退の挨拶をする3年生の一言一言に涙が込み上げる場面が多くありました。この春、64期の面々が卒業し、いままた65期の3年生たちが引退を迎える。さびしい限りです。なんといっても、この期は私の横高での最後の教え子たちですから。1年生の頃からすると実に皆、立派に成長しました。もう私が仲介する必要がないほど、後輩へ伝える実体験をもっていると感じ取りました。それが涙腺にさわったのでしょうか。なんと2時間を超えるものとなりました。以前は福間先生の話で1時間以上というミーティングもありましたが、それに見合う内容の濃い3年生の言葉を聞くことができました。立ち会った今年の卒業生のキノシタ・マルヤマ・スギヤマ・名前を忘れられそうになった(笑)スズキたちと足が棒になったね、寒くなったねと、終わってから少々閉口しましたが、新部長のナガシマから「一言お願いします」とのことなので、「去年の夏合宿で、福間先生に、『きっとこの65期は変えてくれると思います』と話したとおり、チームらしくしてくれた。その証拠に、こんなに同期に対して『支えてもらった』そして素直に同期に対して『ありがとう』と言えるのは珍しいほどだが、同期同士のつながりを感じる。1年生の時は男子もヘタレでねえ(笑)。中学時代に強かった奴とレースが一緒になると、あいつには勝てないとこぼしたり、2本目・3本目になると走れなくなったり。だが、吸収力のある1年生だと感じた。力もあるだろうに、さらに指導者にも恵まれているのに、自信がもてないでいる姿を見て、なんとか自信を持ってもらいたいと、勇往邁進をお題目にしてはいけないという危機感があった。自信とは信じることだ。自分を信じること。指導者を信じること。そして仲間を信じること。だからチームとして強くなることが大事。そのチームづくりを果たし、その実感を後輩に語り継げるほどに成長してくれたことが嬉しい」と感謝を込めて。一時、伝統をわずらわしがる風潮が見られた頃があり、63期・64期と徐々にチーム作りや感謝の意識を伝え、グランドの整備や清掃・ゴミ拾いなど競技面以外の日常の努力なども理解する部員が増えはじめて、小谷先生が入院でいらっしゃらない時期もありましたから、私ごときがちょくちょく練習前などに話をさせてもらいましたが、よく聞いてくれました。ようやっと「チームに変化が見えるようになってきましたが何かあるんですか」と福間先生に問われての、私の期待感から出た言葉から端を発したようなものですが、部員自身からも「伝統ある横高陸上部」という言葉が出てくるようになりました。「チーム全体の底上げができた」「OBにも来てもらえるような魅力あるチームになった」という言葉も出ました。手前味噌ですが、さすがは横高生。OBを代表して前女子部長のキノシタも「結果を残せなった人もいると思うが、頑張った姿は後輩に伝わったはず。こんな先輩になりたいと思ってくれるはず。自信をもって引退してほしい」と。ここにも成長した姿を見て、嬉しくなります。最後に1・2年生から3年生へプレゼントもあったりして、私も頂戴してしまいました。感謝カンゲキ雨アラシ。もったいなくて開けられない、食べることもできないな。思い出と一緒にしまっておきましょうか。さあてと、この心遣いが、どれほど今後も発揮できるかな。まずは夏合宿から。代替わりをすれば、実は一からのスタート、いやゼロからのスタートだよと苦言を呈しておきましたが、先輩たちを見てきた君たちなら大丈夫かな。65期も木村先生に夏合宿で叱られて始まってるんだよね。「口先だけじゃなく行動しろ!」と。それを経て、今年の願掛けの言葉「率先垂範」につながるのかな。この言葉通りの動きが見えた3年生たち。それを見て、付いてきた後輩たち。これからも見守ってるからね。(2012.7.16)


 「いいチームをつくってくれたな」と言ったとたんにウルウルして涙声になってしまいました。表彰を終えてナガイが会いに来てくれたときのことです。ナガイ自身の「今回はみんなのサポートがあったからこその結果だと思います」という言葉からもチームの成長を感じます。闘う集団に近づけてくれた、ナガノとヒラノというニューリーダーへのご褒美が授けられました。勝負する姿がどの部員にも見られるようになって来ました。なにより、そこに来るまでの日ごろの行動があるのだとも感じられる姿です。勇往邁進の言葉に恥じない。頼もしく、そして楽しみです。(2012.5.21)


 ようやっと、かつての闘う集団になりつつある。そういう思いを抱かせるチームになってきました。そして、先輩lから後輩へ伝えようとする意思も見えるようになりました。言葉だけでなく、レースそのものにおいて姿で3年生は伝えている。3年生の意志が明確なチーム状態は実にいいものです。けっして順調ではなかった、直前に肉離れやら違和感とも闘いながら、今日という日にかけている。男子の短距離長タグリにも、長距離長タザワにも気迫が感じられました。その中でも、まずは初日の3年生男子短距離のコヤノ。400mにかけてくれたんですね。まだまだ400の選手としては経験は浅いうえに直前に故障もあったとか。それでも二次予選まで進み、12番。ここまで成長し、また闘う気持ちが前に出るようになった彼の姿が、まずは大きな今回のお土産となりました。あと一歩の悔しさは、しっかりマイルでの走りにつなげています。2年生のナガシマも個人成績では苦しんでいますが、最後のマイルにつなげていたように思います。同じ2年生のナカヤも力をつけているし、次の代として、しっかり受け継いでいってほしいところです。ヤマモトやタカダにタケダ、タニモトも2年生として今度の県大会からどうつなげていくのでしょうか。女子は3年生ヒラノとセガワにムラカミという三本柱がしっかりしてきました。特にムラカミが強くなりました。本人にも言いましたが「速くなったではなくて、強くなった」と。その彼女たちにしっかりと2年生のシノベがついてきてます。マツモトも積極的なレースができるようになりました。短距離のカゲヤ・オオノそしてサコタ・ミツジマには、もう1年生のスズキがついてきてるんですね。強くなったといえば、3年生男子中距離ナガイ、モリ、クラシナ。1年生の頃から活躍華々しい3年女子に負けじと、800mで3人とも前に出るレースができ、記録も伸ばしてきました。1年生の頃は意気地がなかったのに(笑)。二日目は800m二次予選最終組3組での3着を争う激しいバトルをゴールラインでフィニッシュを切る最後まで闘い抜いたクラシナの姿もまた大きなお土産話です。3人そろって県大会へコマをすすめ、長距離のヨシダや投擲のムトウとともに3年生としてさらに記録も伸ばし闘ってきてほしい楽しみな連中です。試合後、新OBに会い。今回の試合の感想を聞きましたが、「感動しました」と言っていました。県記録会では、「中地区に向けて失敗してもいいから思いっきりやってみて、それを試合に活かせよ」と何人かには伝えましたが、記録会、地区予選、そして県大会へとつながる流れをつくれてきているようです。これが関東、インターハイにつながる流れ。チームとして、この流れをつくるというまだまだ使命が3年生たちにはあります。3年生として最後の総体路線で悔しい思いの顔も毎年見る風景ですが、女子のナカジマは「申し訳ないです」とミーティング後に近寄ってきました、いやいや、ちゃんと伝わるレースだったよと声をかけると。涙をうかべてましたが、男子のツチモチも涙をこらえてたかな。そして、ワタナベ。彼の悔しそうな顔はやっと見たような気がします。いつもは追い詰める言い方しかしてませんでしたから、やや避けてるような感じでしたので、ワタナベのほうから「悔しかった」と言ってきたのは初めてじゃないかな。ハタキには声をかけそびれましたが、ナガオとマネージャーのフジタは走友会メーリングリストもよくやってくれました。次は2年生のウンノとサコタに引き継いだわけね。2年生にも、ちゃんと補助員の仕事を1年生に付き添って指導するオバタやミナト、ヤマモトの姿がありました。ミーティング後にはタニモトが1年生を連れ立って挨拶に来てくれました。あと、2年生はシマダか、先輩たちに付いていって表情が変わってくるといいんだけどな。「勇往邁進だよ、勇往邁進」。みんな、つないでつないで、がんばれよ。(2012.4.29)


 新シーズンを迎えました。横須賀市の記録会に続き4日にわたる県記録会も終わり、いよいよ中地区予選を待つばかりです。調子を上げてきている者が見られる一方、怪我や故障をかかえている者も少なくないようです。DNSが何人かありました。等々力の競技場で3年生男子タグリに話をしたのですが、「横高陸上部の強さのひとつを教えておこうか。それは怪我・故障を乗り越えてきた強さだ」と。ベストの状態で試合に臨むことができれば望ましいでしょうが、そう調整することの難しさというのはあります。まして、直前に怪我をしてしまうこともよくあることです。その状態をどう調整して試合にもっていくか。この課題を乗り越えた部分が強さになっている。過去にインターハイにまで進んだ先輩たちにも、そういう姿が多くあったことを話しました。「自身の身に起こることにはすべて意味があり、そのすべてが“魂の修行”である」とは福間先生もよくおっしゃっていましたが、だとしたら怪我や故障は乗り越えるべき試練を与えてもらったということでしょう。私も「グランドへの感謝の気持ちを忘れるな」と部員に伝え続けてきましたが、成長を与えてくれたのがこのグランドならば、試練を与えてくれたのもこのグランド、すべてを前向きにとらえるメンタルな部分の鍛え方にもつながっているのでしょう。微妙なメンタルバランスですが。そうそう先週の三ツ沢は風が強く横断幕がよくめくれあがったりしてました。張ったら張りっ放しで直さない、これは気になります。気配り目配りが足らないぞと、2年生女子ミナトと3年生男子ヨシダに言ってしまいましたが、こういう部分は忘れないでおいてほしい。みんなを見守ってくれている「勇往邁進」の言葉「横須賀魂」だからね。これも感謝の気持ちを形にするひとつ。今日の写真は競技終了間際に等々力のスタンドのゴミを拾って回る部員たちの姿を写真判定室からとらえました。よしよし、と思わずほくそ笑んでしまいました。その行為ひとつひとつに次につながるものがあるよ。あっ、でも、ポケットに手を入れたまま歩いてる奴がいたなあ。あれはいかん。横高陸上部らしくあれよ、若人たち。(2012.4.15)


 諏訪部校長が亡くなりました(2012年2月21日の朝)。昨日の通夜、本日の告別式のお手伝いに行ってまいりました。私が横高に入学したときに諏訪部先生も横高に着任されました。そして教員として同じ職場で働けるようになったことは感慨深いものがありました。創立100周年の記念式典を終えた翌年から校長として着任され、101年目のスタートをきる自らを2代目の校長であると豪語して、吉田松陰の日本開花期の教えなども意識され、横高からの新しい時代への人材輩出の為に、できることはなんでもやると突っ走って、まさに“突っ走って”という表現がふさわしい自らの魂を燃やし尽くされたような気がします。4年前に大腸癌の手術をされ、そのとき既に肝臓への転移がありに抗がん治療を行いながらでいらしたとは。昨年の秋に再発がわかり肺への転移のために声が出なくなり、とうとう立つことも出来なくなり、1月31日に車椅子でお見えになったのが学校では最後とか。それでも。卒業式には車椅子でも一言だけでもお祝いを言いたいと、体調を整えるために2月17日に入院したものの、力尽きましてと、告別式での奥様からのお話でした。「力尽きるまでトコトコンやれ」と諏訪部先生は生徒にもよく話していました。県大会や関東大会で入賞した選手の報告をすると、「今度その子達を賞状を持って校長室へ来るように伝えて」と言われたものです。それで、連れて行くと校長室の扉が閉まっているんです。忙しい校長ですから次から次と電話はかかってくる、自分からもかける、来客はある、校長として以上に外部での仕事が多かったように思います。県レベルでは松沢知事のブレーンとして教育委員会に行くついでに県庁にも立ち寄る、高体連の仕事で全国で開催される各種目の試合に赴く。とても病をかかえているとは思えない。まあ。去年卒業したスドウなんかは何度校長室へ出直しをしたことか。でも、限られた時間でも、生徒と面したときはトコトン。「いいかい、そのときそのときの、いま目の前にあることを徹底的にやりなさい。スポーツをするときはスポーツを、勉強するときは勉強を。“両立”なんて言葉はつかうんじゃないの、なんか天秤にかけてるみたいな。そのときそのときで没頭するんだと。わかる!」と。放課後に行われる横高アカデミアでは、講義終了後。講師の教授の方を生徒が校長室へご案内して、しばらく感想や意見交流。話がはずんで下校時間になってしまい、「校長先生、生徒はもう下校時間なんですが」と口をはさむと、「うるさい、いいんだ、俺がルールブックなんだから」って誰かの台詞のようなことも。そして我々総括教諭もトコトンにさらされました。夕方4時から始めた企画会議が夜の9時近くというのがざらでした。もう11時近くになった7時間に及ぶ会議となったときはシビレました「君たちに伝えておきたいことがあるんだから聞きなさい」と言っていた校長の言葉は今思うと・・・。私が転勤後に「いやあ、この前とうとう午前様の企画会議なったよ」と夜中の12時を回ったという話を聞いたときは、おったまげましたが、それもちょうど再発が分かった頃でしたかと今になってみると。諏訪部先生は、私が生徒のときも、私が教員になってからも、諏訪部“先生”でした。先生、ありがとうございました。そして謹んでご冥福をお祈り申し上げます。(2012.2.25)


 いよいよ押し詰まりまして。さすがに異動してからは、このホームページで「活動報告」などタイムリーな話題はお届けできなくなりました。それでも、よくここまで今年も更新してきたものです。よく、卒業生にも「まだ先生がホームページをやってるんですか」と聞かれましたが、やってるんですよ〜。まあ、現役も適宜写真なども送ってくれるので。そしてなにより、現役はもちろん卒業生に会えるのも本当に楽しみだった一年でした。これからも、こんな感じで続けていきますので、お付き合いください。あっ、少しつぶやいておきますか。仕事納めの日に、半休とれたので、グランドに立ち寄りました。もう大掃除(?)は終わっていたようで、トラックにはブラシがかけられ、きれいになっていました。一時期からすると早い上がりだなあと・・・やはりすみずみまでとは・・・。砂場とかね。もう少しグランド全体への愛を感じたい気がしました。誰かが、「あっ、ここをやってない、やらないと」と気がついてくれるといいのですが。いつもながら苦言を呈しておきます。それでは、来年が明るく穏やかな年でありますように。そして、横高陸上部の健闘を願いつつ。(2011.12.31)


 「強くなりたいです」。2年前の関東駅伝後のミーティングでのシブヤの言葉です。2年前の“つぶやき”で、この決意の言葉はホンモノと感じましたと書きました。本当に強くなりました。まず精神的に。故障で昨年から思うように走れない毎日を送りつつも、ここまで続けてきました。この強さは確実に後輩たちにも伝わっているはずです。女子長距離メンバーをここまで牽引してきたのは、3年生、シブヤとスギヤマの二人三脚に間違いありません。そして、今回の県駅伝では結果こそ不如意ですが、男子長距離陣も、よく健闘したと思います。1区で、30位前後で走ってくる姿を見たのは久しぶりです。風邪で戦列を離れたメンバーがあり、急遽代わって走ったメンバーも、けっして物怖じせず立派でした(風邪をひいた連中は罰金もの。チームに迷惑をかけたということを痛感しないと)。中距離ブロックから2年生のモリもよく8kmをつないでくれた。長距離長の2年生タザワによると「2年生で流れをつくろう」と話し合って臨んだとのこと。その意気は1年生にも伝わったんじゃないかな。2年生のヨシダもツチモチも、1年生のウンノも、夏合宿での頑張りが確実に花開いてきているとも感じました。1年生のオバタもこれからこれから。1年のタケダと2年のワタナベは走力はあるはず。あとはハート。1年のシマダもね。「勇往邁進」の精神をよく心にとめて行動に反映してほしいな。夏合宿で長距離陣に付き添ってから、少し欲目で見ているかもしれませんが、いまの代は、競技力を補う“志”が感じられる部員が増えました。これです。確実に根付いていってほしい横高陸上部らしさです。(2011.11.8)


 今年のトラック&フィールドは今日の不入斗での記録会をもって一応終了。長距離、駅伝シーズンに突入といったところでしょうか。まずは、来年へつながる記録が出るかと楽しみでもありましたが、うれしかったことがあり、つぶやいておきたくなりました。2年のコヤノが400mに出ました。このところマイルで、いいつなぎの走りをしてくれています。1年生の時から、なかなか晴れ舞台に立てるほうではなかったですが、走力もついてきました。いつも、100mや200mに出場していますが、「おまえの400mの公式記録を見てみたいなあ」と秋に入ってから、よく話しかけました。それを覚えていてくれたのか、今回400mに出ることを進言したようで、顧問の木村先生も、自分から言い出すなんて珍しいから、これは何かあったのかなと聞いてみたら、「オカハナ先生に言われました」と(笑)。それにしても嬉しかった。いやあ、成長を感じさせる走りでしたし。記録は51秒72。さあて、これから彼はどうしますかね。2年生それぞれが来年は3年生として最後のインターハイ路線で勝負をする場をつくっていってほしいと思います。短距離長のタグリも故障と闘いながら歩み続けています。長距離から短距離へ転向したナガオもこれからこれから。同じ2年の短距離ハタキも走りが“らしく”なってきました。彼は不入斗での写真判定機器のセッティングに責任を持ってあたり、仲間と一緒に終了後は報告に来てくれます。以前に出会った陸上部の先輩たちと同じ凛としたものを感じさせます。これまで華々しい試合暦がなくとも、しっかりと存在感を現出していく部員の成長を見るのが本当に楽しみで嬉しいことです。1年生は、しっかり上級生から横高スピリッツを学びとっていってほしいもの。福間先生の頃は、男子はどうも叱られることが多く、女子部員がしっかり切り盛りしている感じもありましたが、それを思うと、男子が育っていってくれるのが、バランス的もこれからの財産になりますね。部長のナガイも800mでやっと2分を切って・・・来年のためにも、ほんとはもっと早く出すはずだったよね。とにかく宿題がいっぱい出来たぞと伝えておきました。さてさて、いよいよ県高校駅伝。この過程で、さらなる成長を期待しています。それにしても部員間に風邪がはやり始めているやに聞きますが、チームとしての緊張感をもってほしいところです。そうそう、最後に今日の記録会で木村先生が110mHで自己ベストとなる記録15秒13(-0.3)を出したこともご紹介しておきます。(2011.11.3)


 う〜む、どうも、もうひとつ横綱相撲になりきらん。記録を伸ばしに来てるんじゃない、勝負をしに来ているんだという思いの欠如でしょうか。今年度のトラック&フィールドも終盤。来期を占う意味でも、つながる結果を残しておいてほしいところだったんですが。多くの部員に、そういった結果が出せるだけの自力がついてきたはずです。あとはメンタルな部分ですかねえ。勝負強さといえば、やはりOB。60期星野は大学生としての最後の試合、引退試合として、この大会を選び、練習不足とはいいながら、7メートルは跳びたいとの目標のもと、7m08で走幅跳を優勝していきました。同じく60期は後藤が1500mと5000mに、62期畠山と63期吉野は200m、55期川名も200m、100mには57期の小澤など。競技を続けるOBの姿があることが微笑ましいです。リトルを指導している58期永原にも会いました。観戦には62期大川に鎌田、そして久々だったのは59期の関戸が姿を見せたこと。関戸は「私の3000m大会記録を今日、破られちゃいました。私の記録まだ残ってたんですね」と、もらして帰って行きました。大会記録というのも見返してみると実に懐かしいものですね。記録を塗り替える後輩の活躍を楽しみに。みんな見てくれてるからね。写真判定室で新顧問の木村先生と勤めることが多いのですが、(みなさん高20台期になりましょうか)先週は浅見先生、今回は青木先生に田中さんとご一緒でしたから、木村先生をご紹介。決審の馬渕さんや、今回協会挨拶に立った菊池先生もご紹介すると、木村先生曰く、「横高陸上部のOBの方って、多いんですね」と。そうなんですよ。いやいや、まだまだ大勢いらっしゃいますが、みなさま、今後とも新顧問ともども、どうぞよろしく。(2011.10.9)


 3年生が後輩をひとつでも上の大会へ上のレースへと、ともなって引退する、その責務を果たしてくれました。そしてレース内容もまずまず。関東選手権マイルリレーの決勝、第二曲走路からバトンパスのあたりは混戦でどこにいるんだろうと第一曲走路あたりで見ていると、第二走者も第三走者もアンカーも2番手でぐっぐっぐっと目の前を走り抜けていくんですよ。みんな実に堂々とした走りでした。一年生にとっては大きな経験になったと思います。3年生と一緒に、関東選手権という舞台で走れたことも。そして、引退する3年生にとっても、後輩と走れたことが。やっぱり、リレーはいいですね、チームという意識が高まって。さらにチームとしての意識づくりの上でうれしうかったのは、男子2年のモリとムトウがテント設営などにかかわってくれたことです。男子が女子の遠征のサポートをする体制に結果的にですが、なったことは貴重な機会だったと思います。私としてもサポートのしがいがありました。新マネージャーのフジタをはじめナカジマ・ムラカミらの女子付き添い陣もよく動いてましたが、やはり遠征には男手もほしいものですから。そうそう、女子マイルメンバーが栃木に向かう前日の18日に学校のグランドを訪れると、に62期の畠山に小島、そして63期の吉野も現れました。三人とも大学でも陸上を続けています。うれしいことです。畠山は2年生になってから大学のサークルに入って始めたんだとか。「やっとまともに走れるようになりました」と言ってましたっけ。昨日も現役と練習をして補強で手押し車をやって、あまりの地面の熱さで手を少し火傷したみたいです。小島はインターハイのときの肉離れなど古傷とうまく付き合いながらの状態だとか。でも、秋に向けて意欲的です。吉野は「明日も来ます」と。みんな、たのもしい。現役の励みになってほしいもの。そして、関東選手権では60期の伊藤や奥寺の姿も。OBは財産、これからもよろしく頼みます。(2011.8.22)


 インターハイも終わり、夏休みの練習も後半、学校のグランドのほうにはOBの平野(63期)や後藤(60期)の姿も。昨日は須藤(63期)も来てくれたそうな。木村先生はまた研修のようで、まったく新人研修も考えものです。練習開始前にはキノシタ・リュザキ・シブヤといった3年生をはじめとして早めに来た部員がグランド整備をしている。他の部員も駆け寄って挨拶に来てくれる。やがて集合の声がかかる。おやっと思いつつ、姿を見てうれしくなったのは引退した3年生マルヤマとスギヤマが現れたこと。なんでも、キノシタとリュウザキの最後の300mの練習があるので応援に来たのだと。さすがに手馴れたもので、大森先生からも「二人のおかげで300のタイムがとれた」とお褒めの言葉。長距離の練習を審判台に座ってながめる。短距離の練習も始まる。ゴールをして戻っていくときに1年生の何人かは前を横切るが、たいがいは後ろを回っていく。2年生が気がつくかなぁと思い、その時はこちらから諭しはしませんでしたが、不入斗での試合の時にも審判台や本部前を横切らないようにという習慣づけにつながるところです。どうも特定の中学校出身者がわかってないかな?短距離のメニューが終わると周りからササッとスタブロの片付けなどに駆け寄ってくる。離れて補強をしていたコヤノも立ち上がっていく。そしてグランド整備。2年生が1年生に一緒にやるぞと声をかけ、かいがいしく動く姿が見られるようになりました。モリに一緒においでと声をかけトラックの側溝掃除を始めると、モリがシマダに声をかけて一緒に引き受けてやってくれる。烏の糞を落とそうとバケツにデッキブラシを手にすると「あっ、やります」とヒラノが手をさしのべてくる。グランドにあがった時も顧問用に出されている折り畳み椅子のほこりが気になり雑巾を取りに行くとナガイが先回りして拭いてくれる(このへんがまだいけません。ただ義務的に椅子を出している感じかな。腰掛部が下に傾いた椅子を平気で出してるし。すわる人の気持ちを考えたら交換しようと思うはずですが)。そこでこちらは椅子の横にある机(?)or台の上を拭くことに(さすがにこの机というか台も脚が片方朽ちてしまいましたね。ここもOBが来たら荷物を置いたり腰掛けたりするから最初に拭いておくんだよと話したりしてきたものですが全体化はまだのようです)。OBの後藤は帰りがけに、「今日の長距離の練習を見ると、駅伝に向けてはもっと1・2年生は力をつけなきゃいけませんね」と私に耳打ち、その後藤が階段を下りようとすると長距離長のタザワが駆け寄って「ありがとうございました」と挨拶をする。今日のこの一コマ一コマは、ささやかな風景かもしれませんが、こういうことが大事だし、大事にしてきたチームでした。新しいチームとなって、いい雰囲気になってきたと感じました。お互いを支えあうチームとしての姿ができつつあるように感じました。掃除も人がやっていないところをと自分たちでそれぞれが気づいて動く。この「気づき」が何事にも大切ですよね。今日はグランドへの階段も掃除しているなと思ったら、体育館やクラブ部室棟につながらる階段のほうまで手が届くというのは立派でした。それもセガワとナカジマがやっていたのを、先に部室へ下りていたヒラノとムラカミが交代してやっている。短距離はタグリのリードで補強メニューをみんなでやりきり、やっと終了。ここまで見届け、最後にグランドに通じる階段脇の側溝に空き缶が落ちていたのを拾って下へ捨てに行こうとすると。「あっ、先生、それ、僕らで捨てておきます」と声がかかる。「最近、グランドにゴミが捨ててあるのを見るとムカッとするようになってきた」とのタグリのつぶやきが去り際に聞こえました。いいねえ。グランドに、横高陸上部に、誇りを持てている証拠だね、その言葉、その気持ちは。これを支えに競技力を高めて秋に臨んでほしいと思います。(2011.8.13)

 


 2011年の夏、私はこれまでと違う夏を迎えました。しかし、どういうわけか身体に染み付いてしまったのか、同じような動きをしないと夏を迎えたような気がしません!?というわけで合宿にも前半だけですがお手伝いに参上しました。長距離の運営の人手が足りないだろうと思いまして。まあ、このホームページにしても自分で何かお役に立つことがあればと立ち上げたので、少しでも力になれればというスタンスは同じというか、ホームページも卒業生などに「今でも先生がやってくださってるんですか」と聞かれますが、やってます(笑)。でも、ほんとに妙高に行かないと夏が始まらないという気分でした。開校式の自己紹介では何と言ったものか?いまの学校名を言ってもねぇ。逗葉高校の越智先生と「何て言おうか」と相談してる間に順番が回ってきて、「横須賀高校のOBのオカハナです」と言ったら先生方から笑いが出ましたが、福間先生も「いろんな意味で確かにOBですからね」と。さて、そして、インターハイ。小谷先生に羨ましがられましたが、行ってきました。そして行った甲斐があった、行ってよかった。仕事じゃなくて、個人的に無理してでも行って目にした感動は静岡国体や岡山国体、そして秋田国体のことも思い出します。そしてヒラタ、よかったねえとしみじみ。実に競歩というのはゴール後に最終判定が出るまで分からない・・・十位以降にゴールしたヒラタの記録発表を待ちわび電光掲示板の表示がまず1位から7位まで表示され、画面変わって8位にヒラタの名が・・・あのときの感動は正直なところ大学の合格発表で自分の番号を見つけて信じられないような戸惑いを覚えたのと同じ印象で、どうスタンドに居る私を見つけたものか横須賀学院の中川先生がすぐさま走りよって来てくれて「おめでとうございます」との言葉に握手をかわしました。なんだか二人でキョトンとしながら、それでもおかげで倍に喜びをかみしめることが出来ました。昨年、最初は地区総体での点数稼ぎとは申しませんが三浦先生が競歩をやらせてみて、そのあと続ける気があるならと夏休み中に横浜高校に練習に行ってみるかとヒラタに声をかけました。インターハイ後にということで田下先生にお願いをするという出過ぎたことをしたものですが、それに加えて神戸での大会へ引率するなどの縁がありましたから。記念にと写真をスギヤマに撮ってもらいました。それにしても、去年インターハイに行った須藤に三浦先生がハンマーを始めさせた頃に「東海大で練習がある、来るか」と聞いたのは、彼の覚悟を確認したかったからだとおっしゃっていましたが、ヒラタも一人で他校に練習に出向いたあの時が、それまで思うにまかせなかった彼の転機だったんでしょうね。覚悟が出来た、それがつながったんでしょう。そして、インターハイで大会新の記録を出せるところだった横浜高校の松永君は、靴が脱げるハプニングの中、最後まで勝負に出るも失格…あの日の松永君には運がなかったと田下先生はおっしゃていましたが、運不運がはたらいているのだとしたら、我田引水で申し上げますが、ヒラタに運が訪れたのは感謝に支えられたからではないでしょうか。賞状を手にして戻って来たヒラタは「たくさんの人に支えていただいたおかげです」と言いました。その思いも部員に共有してほしいことですが、人だけでなくグランドにも支えられたと言えると思ってます。毎日練習を終え長距離の同輩が先に帰ってた後もさらに最後一人残ってグランド整備をしていったのがヒラタです。短距離の子たちが帰ったあとも残ってたことがあるかな。小谷先生がいらっしゃらない時に代理でグランドに上がった時に全員が終わるまで見届けるとヒラタがゴミを拾って帰って行くんです。草むしりをする時も、たいがい何人かたまってグダグダしゃべりながらやってるのが多い中、群れずに黙々とやってるのがヒラタでした。それも人の気づかないところに手が届くという、かつての当たり前だった部員の姿をヒラタに見てとることができました。しかし、競技力はなかなか…。「ありがとうございました」と言って一人帰るヒラタに「お前の姿勢は後輩の手本になる横高陸上部らしい姿だ。全体に目が届いている。お前を見て後輩が育つ。頼むぞ」と声をかけたりしましたが、だから嬉しいんですね、そういう子にはご褒美が来るというか、グランドへの感謝が支えてくれる、グランドからの恩返しというか、成長の場であるグランドが支えてくれる。つまりグランドは練習の場だけでなく、練習後に心を育ててくれる場なんだと。早い奴が勝つんじゃない、強い奴が勝つんだとは言いますが、さらにプラスを招いてくれるのは陸上以外の日々の生活であったりする、そして実際そういうことに支えられた部員を何人も見てきました。福間先生の技術指導以外にもすべての指導を自分のものとした横高陸上部員の強さはここにあると 。こうした行動の定着を通して心の整備が出来上がり、覚悟が出来上がった時に技術指導などの吸収力が高まる、どんどん吸収していくことができるということなのでしょうか。受験勉強も同じようなもんですよね。一方では、今回は三年生に華を持たせてもらって、二年生女子は来年に向け、いい勉強をしたと思います。100分の2秒差で決勝進出を逃したことは。四年前の県大会では女子四継が100分の1秒差で決勝進出を逃したというのがありました。まさしく勝負の厳しさですよね 2日の日に三浦先生・木村先生は出発されているので案山子代わりにと横高に行ってみました。練習開始前に草取りをする部員の姿がありました。練習中には今年から赴任された技能員の方がフィールドの草を刈ってくださったので、「感謝しなきゃね。インターハイのおみやげも技能員さんに買ってこなきゃ」とナカジマやムラカミに話しました。合宿から戻っての練習初日にも、木村先生が新採用者の研修でいらっしゃらないということなので、代わりに合宿の総括として話をしました。合宿の栞に木村先生は「@練習に自発的に取り組む。A時間厳守!B学校で群れないこと!C感謝の気持ちを忘れずに☆」と書いていらっしゃいました。「1日1日で自分の殻を破れ!Get high so high!!」と意識変革を訴えていらっしゃいました。まさに、そのことの意味も確認できるインターハイだったと思います。(2011.8.7)


 昨日は現任校の野球の試合の応援で保土ヶ谷球場へ。3年生が一人、それも、その柱となる3年生が5月に練習中アキレス腱を切ってしまい、この夏の大会への出場も危ぶまれた、そしてそして、その彼は1年生の冬に次々と部員が辞めて一人になってしまったというではありませんか。それでも部の存続を守り続け新年度の新入生に入部を呼びかけ、ここまでたどり着いたのに。まだ足はひきずり痛々しいものの、どんな形であれ最後の試合には出たいという彼の姿を見届けたいと思い出かけました。これまで、横高陸上部でも痛々しい姿になりつつも競技に臨む果敢な姿を見てきました。それに通じるものを感じて、じっとしてはいられませんでした。部員数も少なく実戦経験不足は致し方ないにせよ、たった一人の3年生の思いを受け止め、後輩たちが一丸となっている、実にすがすがしい姿を目に焼き付けることが出来ました。朝、出発前に学校近くのお宮にも詣でました。太田和の里にある三浦正八幡宮というお社です。鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を分祀した武運を守護する社ですから、実はヒラノ・ヒラタが向かった関東大会の折も、朝、出勤前に立ち寄って、遠く離れて千葉に向かって、ここで祈願をいたしました。それにしても、ここのところ、横高陸上部にも、よい流れが見えるようになり嬉しく思っています。関東大会以降の県選手権では女子のマイルが関東選手権に駒を進め、3年生のキノシタ・リュウザキが上級生として後輩をしっかり上の大会へ連れて行くという流れをつくってくれました。これぞリレーの醍醐味。新顧問の木村先生も自らハードル競技に出場し400mHでは関東選手権への出場を決める走りを示し、卒業生も木村先生の母校筑波大勢が活躍、女子走幅跳で60期伊藤をはじめ、女子1500mで62期上野が、ともに選手権者となり、立教大に転学した60期奥寺が女子走高跳と三段跳で関東選手権への出場を決めるなどOBの姿にも励まされましたが、現役にあっても、横須賀選手権で3年生を中心に積極的な走りが見られ、これが地区総体でも1・2年生へ伝わる積極的なレース展開へとつながり始めたかという印象をもちました。特に、ゴトウの県選での入賞を果たす走りも、これまでの課題を克服する“あきらめない”レース展開を見せてくれましたが、私として嬉しかったのは、ツジの地区総体での3000mSC優勝の走りでしした。彼が長距離長になったときから、横高陸上部員らしく。、なおかつ長距離長らしく成長させなければと気にかけてきました。去年は私が一人で妙高合宿に中・長距離陣を引率しなければならなかったこともあり、ツジには顧問と部員とのパイプ役を果たすために必要なことを伝え続けました。いまひとつ同期からの援護になる動きに課題があり、彼には気の毒な部分もありましたが、徐々にそれらしくなっていってくれた動きの中で自らの競技に対する成長も果たせてくれたことが嬉しい限りです。地区総体後の引退挨拶で本人曰く、「6ヶ月前に陸上競技に対する気持ちを大切にすることに気づき、その気持ちで練習を積んだ結果、5000mの15分台、3000mSCの9分台につながった。自分は気づくのが遅かったが、6ヶ月で伸びたのだから、1・2年生は倍以上時間があるから、今からでもいいから打ち込んでほしい」と。なんだか卒業生になった気分で、その他の3年生の言葉に聞きほれてしまいました。居合わせた卒業生63期の面々も言っていましたが、本当に3年生らしく皆なってくれました。感涙にむせぶと言っては大げさかな。なんだか一時期、「伝統」という言葉だけでも毛嫌いされるかのような風潮がありましたが、やっと聞き入れてくれる集団になったのかなと。ミーティングでOBを代表して平野が話をしてくれましたが、ほんとはそれぞれみんなから話も聞きたいよね。田戸、吉野、榊原、萩尾、峠のそれぞれがほんの一年前に抱いた思いを客観視できる、このチャンスは有益な言葉につながるはずなんです。なんだかゲストということでミーティングの最後に話をする機会をまたもらっちゃいまして、恐縮です。55期の川名に「久しぶりに先生の話を聞かせてもらいました」なんて言われましたけど、ついつい。とにかく、伝え、受け取る、この流れを大切にしてほしいと願いつつ。そうそう、地区総体の初日には今年から岩戸中学校だっけ?に赴任した57期の東谷が競技役員として来てくれていましたから、投擲陣に引き合わせました。さて、本格的に2年生を中心としたチームになって、いよいよまずは夏合宿を迎えるわけですね。合宿は1年生に対してだけでなく他校に対しても横高陸上部のリーダーシップの見せ所だからね。岩田がいたら必ず発破をかけてくれる話だよね。 「合宿は横高陸上部が先頭に立って引っ張るんだからね!」と。頼むよ、ニューリーダーたち。(2011.7.18)


 今日は記恩ヶ丘走友会の総会後に新旧顧問の歓送迎会ということでお招きをいただきました。これまた花束とケーキを頂戴いたしまして感謝申し上げます。山本会長、三澤名誉会長はじめ皆様にはお世話になりました。事務局の米山さんはいらっしゃいませんでしたが、いろいろありがとうございました。そして、さらにお世話になりました大森哲夫先生、大森恵子先生も出席される中、9年前に赴任した当時の3年生56期からは神山、60期は大挙して星野、後藤、伊藤、奥寺、根上、福田、三浦、この代でもう大学4年生になるんだねえ・・・そして61期は宇土といった顔ぶれと会うことができて、懐かしさもひとしおです。そして往年のOBと若いOBの間に挟まれて48期の深瀬君、頼もしい限りです。現役も参加してましたから、多くの方々に支えられていることを少しは実感できる機会だったでしょうか。ううん、でもまだ会場セッティングや準備での動きに気のまわし方と動きに、物足りなさがあるんだけどね。だってさあ、なんで招かれ立場で、俺がスリッパの入った箱を運ばなきゃなんねえかなあ?!ともかく、この場で出た「新しくしなけばならないものと昔のまま守らなければならないものがある」という言葉をかみしめながら、今後に向かいたいと思います。(2011.6.11)


 昨日は陸上部保護者の皆様と近しくお話をする機会をえました。歓送迎会を催していただきまして、ありがとうございました。また、甚平を頂戴しまして、スーパークールビズとして職場に着ていくわけには参りませんが、愛用させていただきます。二次会へ会場を移すと、そこでばったり61期の奥田に会いました。うれしい縁でした。そして今日は進路指導関係の出張で防衛大学校のオープンキャンパスへ、すると説明を受けている高校生の中に横高生を発見。夜は、教育実習で横高に来ている大阪大に進んだ安部の声かけで59期が集まりました。安部とは神戸での競歩のジュニア選手権でばったり出会って以来です。大阪大の仲間とともに高校の後輩が出ているからと声援を送ってくれたそうで、嬉しい話です。当のヒラタは見知らぬ関西の地で思いもよらぬ声援に驚いたようです。帰りを急ぐ路上だったので、そのときはゆっくり話もできず残念でしたが、まあ教育実習に来たときにいろいろ話ができるかと思っていたものの転勤でそれも果たせず。そこで今日の集まりをセッティングしてくれました。ほかには増田と宮川。この代は私が担任をもった代ですから懐かしいです。増田は今年から大塚台小学校に赴任。宮川は就職活動中だそうな。安部は800mで自己ベストが出たそうで、次のレースが楽しみ。来週は陸上記録会があるようなので、現役のクラス対抗での活躍が楽しみです。さて、話ははずんで、皆、陸上部で学んできたことが役立っているとの話も聞けて、楽しくひと時を焼肉屋でもちました。ずいぶん福間先生にも叱っていただいたものねえ、そりゃあ役立てなきゃ、思い出すでしょ。はてさて、現役をはじめ横須賀高校陸上競技部の卒業生の活躍も引き続き祈念しています。(2011.6.5)


 昨日は大森先生のお宅に招かれて、お手製の中華料理パティーでした。おいしくいただきまして、ご夫妻の卒業アルバムも拝見、懐かしい母校の変わらぬ風景もあり、懐かしい恩師のお姿もあり、アルバムだけでなく、いろいろお話もうかがい、貴重な時間をいただきました。さて、本日は大森先生に昨日のお礼も申し上げ方々、不入斗で練習とのことで立ち寄りました。いい練習になっているなあと感じました。県大会に進む者を囲んで、県大会に駒を進めることができなかった者も心を同じくして練習に励んでいると感じられる様子でした。元気の良い姿もあり、見ていて本当に元気を分けてもらえる思いがしました。こういう雰囲気が好きです。かつて見た姿です。離任式のときに部員から寄せ書きをもらいました。「先生に教えていただいたことは忘れません」「先生が教えてくださったことを後輩たちに伝えていくつもりです」との言葉が多く記されていました。何を教わったのかというと、みんながみんな「県横の伝統と誇り」と書いています。門外漢に対するリップサービスか、書くことがないからとりあえずこれを書いておこうというのかと、ひねくれた見方をしてしまうほど書いてあるんですが、確かに言い続けてきました。「初めて横高陸上部の伝統、心構えについてご指導を受けた時は戸惑いや反発のようなものもありました」「先生はよく『伝統』という言葉を口にしていました。最初は意味が良く分からず、なんで叱られなきゃいけないのだろうかと思っていました」「私は横高陸上部の伝統についていけないと思っていました。伝統なんてどうでもいいと思っている部分がありました」と書いてあるものもありますから、正直な気持ちなのでもあり、受け止めてくれたんですね。「だんだんと『伝統を受け継いでいく』という大切さがわかってきて、2年生になって改めて先輩が受け継いで守ってきたものの重要さがわかりました」「先生が日々私達に教えてくださった“横高陸上部”の伝統を守るというのはとても困難であり、しかし私達を成長させてくれました」「先生がいなくなって、県横陸上部はダメになったなんて誰にも言わせません!!先生から伝えていただいたことを、しっかり心にとめて、先生のように周りを見れるように頑張ります」「競技でもチーム力でも恥ずかしくない、堂々としたチームを作っていきたいと思います」「日常生活、勉強でも横須賀高校陸上部の恥とならないようにしっかりとしたいと思います」「今度会った時に、『強くなった』と言われるように、先生が県横が不安で心配しないように、チーム一丸となり頑張っていきます。後のことは任せてください」などの現役からの寄せ書きの言葉をOB諸氏と共有しておきたいと思います。任せたよ、現役生!(2011.5.8)


 異動先の準備と横高での片付けとで、「かわら版」がはかどりません。申し訳ない。まあ、気長にお付き合いください(笑)。それにしても、うれしいもんです。「募金活動やってみないか」と」声をかけると「はい、やってみます」と即座に準備して、顧問が付き添わなくて動ける横高陸上部員の自立した姿を見ることができるのは。これまでの先輩たちも、映画ガイアシンフォニーの上映会など陸上競技以外の活動にも取り組んできていました<ガイアシンフォニーについては、顧問の部屋『トマトは待っていました』ほか、http://gaiasymphony.com/参照。もう第七番まで完成し、自主上映の取り組みが全国で続いているんですね>。自分と他の大勢の人たちとのつながり、社会とのつながりを肌で感じて人間的に大きくなってほしいと思います。でも、今日は寒かったから、風邪をひかないようにと心配です。(2011.4.3)


 さて、万感の思いを込めて、63期生を見送りました。手前味噌かもしれませんが、いい代(期)になったと思います。私としても、裏方から少し表に出張らねばと、、真剣に、必死に横高陸上部らしさを伝えるべく面と向かった連中ですから。叱るときは力いっぱい怒鳴りつけました。後輩に気づかせるためにも、わざと叱られ役になってもらった部分もあります。次の代がどれだけ受け止めてくれているでしょうか。2010.5.23の「つぶやき」ですね。このとき2年生の一人は「先生、すみませんでした。先輩たちは悪くありません。僕が悪いんです」と言いにきました。立派な態度だと思います。ただ、まだ全体化はしていません。なんとも心残りです。OBとの橋渡しとしての役割を担い、スピリッツを伝え切れなかったのは。門外漢ですからカリスマ性もありませんし、アンテナのある者にしか伝わりきらず。また、そういう部員のほうがチーム全体への影響力が薄かったり・・・こんな私を福間先生世代の或るOGは「先生は横高陸上部の希望です」と呼んでくれました。その言葉にこたえねばとの思いを強めた3年間でした。今日の送別会には敢えて、59期までが着ていた、かつてのクラブジャージを羽織って参加しました。ほんの少し「かわら版」を材料にして1・2年生に話をしました。第8号ね。どうかなあ。でも、OBも来てくれたしなあ。大川・鎌田・遠藤・上野・木戸、ありがとうね。そして、63期生の引き締まった顔つきが私にとっては何よりの宝となりました。やっぱりOBの果たす役割は大きいから、これからも必ず頼むよ。皆々、ありがとうございました。(2011.3.30)

追伸:今日、部員に異動の告知をしました。新聞報道は学校間の異動だけなので、小谷先生の異動を知った部員はショックが大きかったと思います。大森先生に「横高陸上部も大津波に見舞われたのか」と言われましたが、まさか小谷先生まで異動とは私も思いませんでした。この3年間、部員たちは小谷先生の指導を吸収しきれたのだろうか、それを振り返ると、つくづく当たり前のような日々の送り方の重要性が認識されます。それだけに、日々のOBの存在の大きさを感じます。今日は後藤と黒岩が来てくれていました。新卒業生の萩尾もいました。奥寺もメールをくれました。後藤は「先生が異動してしまうと行きづらくなるなあ」と言いました。だから、「何を言っているんだ。誰が新しく顧問になろうと横高陸上部員であったという存在そのもののOBは大きな存在だ(ここは国語の授業でいうと、丸山真男の「『である』ことと『する』こと」の「である」ことの重要性でしょうか」。もちろん「する」ことも問われますが、それは何も“記録を出した”ということにとどまらないという話をちょうど萩尾にはしました)。だから遠慮せずに、『60期の後藤です。今日は一緒に練習させてもらいます』と言って堂々といらっしゃい」と伝えました。私には荷が重かった役目ですが、私が顧問として存在する以上は務めました。だから、今後、不入斗で競技役員をしていれば口を出すと思います。OBならばこそ、口も金も、っていうと変ですが、記恩ヶ丘走友会は大きな支えです。今後ともどうぞよろしく。(2011.3.31)


 明けまして・・・管理人は喪中につき新年の御あいさつは失礼申し上げましたが、昨年2月の父の葬儀にご厚情を賜りました向きには誠にありがとうございました。さて、今日は大手町へ朝、行ってまいりました。出身校の國學院大學が久々に箱根駅伝出場ということもあり、また、國學院大学陸上競技部の部長は大森先生の弟君でもありますので、応援をと思い立って出かけました。今回は東農大の監督車に乗るという三浦進先生にご挨拶をして見送って、スタートを待つうちに、補助員の学生もやってきて、すると、「じゃあね」と出かけたはずの三浦進先生が戻って来るので何かと思えば三浦進先生曰く、「なんと!そこに補助員で上野がいるよ〜」と指差す方を見ると確かに62期の上野が。でも、役員は動けても観客側は人垣でもう身動きもできず。そう思いつつ、ふと真正面に立つ補助員を見ると、なんと60期の近藤がいるではないですか。なるほど筑波大の割り当てだったのね。プログラムの補助員を大学別に眺めると慶応大からは62期の小島の名前も。メールで尋ねると鶴見中継所の仕事だとか。60期の三浦は自学東農大のサポートに奔走しているのかな。いやあ、卒業生のいろいろの場での活躍に出会うのは嬉しいものです。いまの現役のその後も楽しみに・・・そんな年明けになりました。そうそう國學院大學も往路は6位と大健闘。明日の復路を楽しみに。それでは、今年もよろしくお願いします。(2011.1.2)


 勝負をかけているレースを見るのは実に爽快です。今日の女子マイル決勝は大会記録の出るハイレベルでしたが、その中で8位とはいえ、我がチームは見劣りはしませんでした。タイムもさらに縮めて心ひとつになっています。男子に学んでほしいところです。そうそう、上野からは関東女子駅伝に出場し2区(4.5キロ)を14分12で区間賞をとったとの報告もありました。重ね重ね嬉しい日でした。(2010.9.27)


 神様はいます!珍しくというか久々に、疲れていても、つぶやきたくなりました。だって、神様が手を差し伸べてくれたんですから。同じくらいの力、そして同じくらいに努力を積んできた人間が居並ぶ中で、勝利の女神は誰に微笑むことを選ぶのか。それは実は、競技以外の日常生活の中の心がけと実践であるという話を福間先生がよく部員たちに聞かせていました。その話を聞いて、ごみ拾いであったり、日々の充実を心がけた部員たちに、まさしく「神様がご褒美をくれた」瞬間を何度も目にしてきました。だから、そのことを語り継いできました。しかし、なかなか全体化しませんでした。先週、セガワを褒めました。県新人の前半戦、1500mで、明らかに競技力に差のある相手に、仕方がないと独走を許さず、果敢に食らいついた、結果、後半失速、しかし大崩れはせず8位に踏みとどまらせてくれた。駅伝シフトで上位入賞者が辞退して関東への出場権がめぐってきたのは、勝負した姿勢への神様のご褒美だと話しました。もっと勝負をしておいでというチャンスを与えてもらったのだと。小谷先生が中地区予選を終えたときに、「もっと大胆に挑戦してほしい、今の君たちに失うものはないのだから」と訴えた言葉に応えたものだと感じました。この、もう一人、1年生の男子を褒めたかったのです、控えました。彼は中地区予選の二次予選で格上の選手と同じ組になり、腰が引けていたのを勝負して来いと送り出しました。一応勝負をし失速した彼はレース後に「悔しい」と涙をにじませました。この気持ちが大事であることをわざわざ言わなければならないチーム状況も情けないのですが、これを言うことで彼が冷やかされるのを恐れたのです。仲間の努力に敬意を払うのではなく、ネタにして笑いものにするかのような低俗な雰囲気をすでに何人かのOBにも感じ取られてしまっていた昨今です。だから、私ごときが言えば言うほど、私の言葉自体もネタにしかならないわけです。福間先生とも、思いが伝わらなくなったと嘆きを交わして以来、これを解消できず、OBにはすまない気持ちでいっぱいでした。ところが、今日は、かつてのOBの姿を引き合いに出さずとも、現在の部員自身が、神様の存在を感じさせてくれました。女子のマイルがボーダーライン上で決勝に駒を進めることができたのはグランド整備にいそしんだ彼女たちへのご褒美だと思います。グランドに感謝の気持ちが示せなくてどうするんだと言って聞かせてきましたが、キノシタはマネージャのマルヤマとともに「男子は言っても、やってくれない」との嘆きを漏らし、それを聞くにつけ、なんだ去年のクロカワの嘆きと変わらないなあと・・・。そんな男子の中で3年のヒラノが一人でグランド整備をしていたように(まあ、手伝わない同期の長距離や後輩も後輩ですが)、2年の中で一人でもグランド整備や掃除をしていたヒラタへの関東大会進出のご褒美はうれしい限りです。彼は一番最後まで掃除やグランド整備をやってくれています。それも人が気がつかないようなところにまで手が届く、というか私は気がつくんですが、誰かやらないかなあと思うと、そこをヒラタはできるんです。それなのに、まわりからは・・・。ほかの男子はたとえやったとしても、いやいやか、無駄にゴチャゴチャ一箇所に集まって、はかどらない。一人でできないのかねえ。一人でといえば、1年生のヨシダも群れないだけに、そういう姿を見受けることができます。今日の3000mSCも先輩よりもヨシダの方がレースで勝負している姿がうかがえました。一度は先頭に立ち、力的には飲み込まれるも地区予選で争った相手には負けまいとする姿勢。なんだかやっと、かつて目にしてきた横高陸上部らしさ、そして、それへのご褒美を目にして嬉しくなった日です。だから、堂々とつぶやいちゃいます。管理人のつぶやきの頁だから、遠慮はいらないですよねえ。女子のマイルメンバーとして投擲陣から大きく貢献してくれたミサワは気をつかおうとしているのが伝わる児です。リュウザキは会計を本当によくやってくれています。ヒラノはまだ1年生、これからこれから。補助員をやってくれたフジタとキムラは主任の先生に「また頼むね」と言われていたね。なかなかないよ、そう言われるの。セガワとムラカミは、たるんだ横断幕をピンと直してくれたね。この横断幕が張り放しで、その後、どうなろうと気にならないっていうのも不思議でしょうがないんだよな。とにもかくにも、こういう感心できる部員の姿、だんだん戻ってきたかな。ノスタルジーじゃなくて。コラムに載せた長島君が言っていた「文武両道」を感じさせる思いもありました。(2010.9.25)


 やってしまったかあ、小谷先生を怒らせてしまうとは・・・。2008.5.18に、つぶやいたのと似た状況。それを小谷先生に対して、やってくれちゃいました。チームのトライアングル、クラブのトライアングルができていない、顧問ないがしろ状態は、私がサブ顧問だからかと歯がゆく思ったこともありましたが、彼らの意識の中では、素そのものなんですね。やっとの思いで練習を見に行ける状況をつくって訪れてみても挨拶もしてこないのがいくらもいる状況に、クラブ状況の低下を危惧、他校の方がよっぽど礼儀正しい、この間の県大会では、希望が丘はもちろん、鎌倉女子大の生徒にまで挨拶されて、それにひきかえウチはと情けなく思ってました。そんなテイタラクだから、小谷先生に対しても、この県大会後半が迫る時期に部員のコンディション状況の肝心な報告を怠るという失態。小谷先生はきっぱりと、「君たちは顧問の判断を必要としていないようだからマイルメンバーのオーダー用紙にはサインしない」と怒りをあらわにされました。こうまで言わしめることの重大さも分かっていない様子でした。最近のこの状況は、自分たちで勝手に駅伝のときは選手は泊まりにしようなんて決めてるありさまですから、あきれかえりました。選手のコンディション配慮は顧問が決めることじゃないかい。去年も、選手の側から「みんなのためにバスを手配します」と聞いたときには「何様だ」と、あきれました。そんなことを考えるより練習に、試合に集中しろ!みんなが朝早く丹沢まで赴いてサポートしてくれる苦労に報いようと思って走るくらいでなければ勝てない!「苦」の中に意味を見出さないクラブの甘い状況をかぎつけ、私は反対しました。これに対して、納得できないような変な顔してましたね。どうも“善意が仇になる”という流れも底流でうごめいてます。恥をしのんで書いてますが、これを読む方の中には、何がいけないの?という人もいらっしゃるでしょうね。よく職員室で他クラブの顧問が「試合での保護者の送り迎えが増えた。試合会場へ一緒に行き帰りすることもクラブのコミュニケーションにとって大切なのに。おまけに荷物を分担して運ぶ苦労も勉強なのに保護者が手助けしてしまっては・・・」と、こぼす声を聞いて、格差のあることをヒシヒシと感じてはいました。とにかく小谷先生としては、ががっかりされたことだろうなと思います。これまで外から横高陸上部を見ていて感心なさっていたわけですから。同じころ、私も原点には56期のスズキナナ・コジマ・カサハラたちに、“これが横高陸上部員の心配り”というのを印象付けられましたから。横高のグランドで一緒に練習してくれたことのある醍醐さんにも、ハニカット陽子さんにも、鈴木徹さんにも「まるで違うクラブのように感じる」と言われて以来、くるところまできた感のある今の有様を建て直すには、せめて2009.5.3の「つぶやき」のような状況が求められるところですが、こういう言い方をすると変かも知れませんけど、あの時、K君の天狗の鼻が折れて、イワタからもピンズレと言われた他の部員の影響力を凌駕して、チーム全体を考えられるようになったあのK君の変化が大きな力となりました(天狗だったとは本人も卒業のときの言葉でも認めてましたね、かわら版に載せてありますが)。つい一昨日には、“横高陸上部としてのプライドがないのか”と、練習前のミーティングで叱りつけたばかりです。県大会にクラブジャージを着て来ないことを!こんな話、心あるOBにとっては信じられないでしょ!?。でもねえ、いくら言っても、こっちが真剣になって言ってることを陰で笑い飛ばしてる大ばか者がいるんです。その数が多すぎる。1年生へ悪影響だ。掃除やグランド整備の話もそう、いくら言っても男子はやろうとする人間の数が少なすぎる。グランドに感謝の気持ちを示せないようじゃあ・・・女子が心を痛めているのは去年のクロカワと同じ状況かな。そんな奴らは部室でたむろしているばかり・・・。横高陸上部の質じゃないよ。昔なら、恥ずかしくって、のうのうと籍を置けなかったよね。それが、居られる環境を許してしまっている。60期のゴトウは夏休みに一緒に練習をしながら、感じ取って心配してくれました。そこで少しずつは言っていってはくれましたが。ムックは安穏と練習に来てます。もうちょっとOBとして昔の流れを伝えてくれると嬉しいんだけど。そうそう、同期のエノモト君は横浜栄高校で関東新人進出選手を育てました。楽しみです。今年の夏合宿の栞なんか手の込んだつくりでした。感心しました。こういう変化を楽しみたいものです。求めらるものに気づき、成長していってくれる子達が増えつつあることにも期待しながら、授業では学びきれないことを学べる場だからクラブの意義もあるんだよね。いやあ、ほんとは少し空回りがおさまってきたから褒めようかな、つぶやこうかなあって思ってた矢先なんだけど、大きな恥ずかしい「つぶやき」でした。(2010.9.22)


 暑い夏です。妙高も暑かった。雨には降られず、練習メニュー的には心配がなかったものの、向こうの人たちも「今年は暑い」と言ってましたから。おまけに暑い沖縄でのインターハイ。開催が例年より早い関係で合宿も一日短縮せざるをえず、やはり慌しい感はありました。小谷先生の復帰も待ち遠しいです。もう2ヶ月以上になりますか。大森先生には毎日のようにご助力いただき感謝です。昨日はマグロの解体ショーをご自身でなさったそうで、料理にしろ多才でいらっしゃいます。さて、夏休み、OBも一緒に練習に参加してくれて、うれしいことです。今年はグランドで練習する日が少ないのですが、数少ない学校での練習の折にオクデラとイトウが来てくれました。カワナは普段と変わらず来てますが、ニシジマやヤマナカにも久々に会いました。今日までゴトウが長距離を引っ張ってくれました(イトウが来た時、ゴトウも来ていて、同期を見つけた嬉しさからか「キャー、ゴトウく〜ん」と妙な盛り上がりを見せていたのが面白かったです)。さらに今日はコジマが不入斗におりました。「予定を見たら県記録会とあったので、いないかなと思って気楽に来たら、大勢いるんで気が抜けなくなりました(笑)」と言ってましたが、一緒に走ってくれました。補強も。写真はシャムシエルみたいになってますが、それにしても一段と黒くなってたねえ(爆)。須藤の壮行会にはウエノ・ツノカワにエンドウも駆けつけてくれました。エンドウはハグまでしていきましたから。ふったとおりにしてくれるのが、うれしいね。さあ、これからも、よろしくお願いします、OBのみなさま。(2010.8.13)
追伸:マッサージができなくなっちゃてるんだけど、どこからか途絶えたんだね。ケアができてないんで、このへんも伝えてやってください。


 ほんとにもう・・・、代替わりした新チーム、よく言えば、のっけから空回り。悪く言うと、わかってない。南関にしても通常授業の折に、大挙して行き過ぎ。今回は7月に前期試験となり、例年とは違う様相ですが、テストの真っ只中の県選へ全員動員の指示を出す始末。ご家庭からもご不審が出て当然のところ。少なくとも、かつての部員達は、こういうことへの配慮ができて感心させられたものです。なにより、顧問に心配をかけることはなかったし、連絡も、こちらが感心、いや恐縮するくらい、サブ顧問への連絡も行き届いたもんでした。この「つぶやき」初期の頃には、横高生が勉強しなくなったことをつぶやきましたが、少なくとも陸上部員はそうでもなかったという印象をもっています。それは、なによりも駅伝に3年生まで残った部員のコラム記事や試合を見に来てくれるOBや掲示板に書き込みをしてくれるOBの言葉が立証してくれています。それなのに、とうとう・・・。プライドが感じられないのが困った時期もありましたが、間違ったプライドになってしまっているのも困りもの。しっかりと横高陸上部を語り継げる人間が少なくなってしまった。それならばと、微力ながら出張ってみて、3年生はよく成長してくれました。さあ、2年生たち、どうする?どうする?成長といえば、卒業生からも、それはうかがえます。卒業生62期は、先日の横須賀選手権にウエノ、エンドウ、オオカワ、ツノカワに、コジマ、モトジマそしてセキノも来てくれて、せっかくだから最後のミーティングに発言してもらいましたが、みんな、立派な発言でしたよ。特にセキノは、さすがリーダーの経験があるだけに、顧問とのパイプ役という仕事の重要性を語ってくれました。新リーダーたち、まず、ここからだよ。自分たちの判断だけで動きすぎ。アンテナしっかり張らないと、ピンぼけだよ。これは先日、来年の教育実習の申込みで来校した59期の部長のアベも思い出深く語ってくれた言葉です。今日も会議があって、そのあとまだ仕事で連日夜9時過ぎという毎日で、なかなかグランドに上がることも出来ないのも災いしてるかな。しっかり頼むよ、横高生。(2010.7.2)


 さて、実に久しぶりに、つぶやこうかとキーを打ってはみたものの、何から、何を、つぶやこうかと・・・。なんだか、すっごい虚脱感に襲われています。結果についてもあるんでしょうが、やっぱり3年生の姿が目に焼き付いて、感慨ひとしおです。先週は、クロカワが「すみませんでした」と一言。気丈にふるまうようにも見えましたが、その言葉は後輩に向けてあげるんだよ、きっと意志は継いでくれるはずだよと信じたい。力のある走りができるようになり、あともう少しなのに・・・でも、これが勝負というもの。2点でも、もぎとったのは今の部での女子部長の面目躍如。タドには先週といい今週といい、本当に勝負の厳しさを知らしめてもらいました。彼も、よくここまで力をつけて、だから練習でも、ようやっと40秒走の意味も理解できるようになり、同期のヒメノも大きく戦力に成長して、あの1年生の頃に、深瀬くんに怒られ、あきれられていた頃からすると、本当に、よくぞここまでという思いです。故障の少なかったヨシノが、ここへ来て何故という思いも、それでもマイルで再度ぶつけてくれて。故障続きと言えばミハラ、チームのことを考えてるのかと何回か叱責したこともありましたか。3年になる段になって体調を崩したクラモトも心配しました。ハギオも3年生として高総体の県大会へ駒を進めて、昨日一緒に本部記録室の私のところへ報告に来てくれたサカキバラの顔も忘れられず。ほんとに心配した1年の時からすると、たくましくなった面々。スドウにいたっては2年からハンマーを始めて、どうも横綱相撲にはなりきっていないものの、今回優勝を果たし、クロカワ同様、部長としてチームの牽引役。中地区予選会の時も、インターハイ路線のミーティングの在り方について伝授すると、よく理解しようと努めてくれました。それだけに、先週も、「2年生の落ち度は3年生の教育が悪いからだ」と、ヒラノとハナヤも絡めて、わざわざ相模原の競技場玄関前で叱りつけました。最後の仕上げの意味もありますが、さすがに当該の2年生は感じてくれたみたいです。これまた次世代がまだまだ荒療治が必要みたいで、芽はあるにはあるようなんですが、それを芽吹かせるには、まだまだ3年生の存在がと思うにつけて、もはや時間切れを迎えようという、虚脱感は喪失感かな。毎年のことなんでしょうが、だからこそ、中地区で新OBが来てくれたのは、うれしかったなあ。今日も本部まで来てくれたOBもあるし。あっ、そうだ、思い出した。中地区の時に撮った写真をUPしてなかったね。いやもう、忙しさもあって部費関係のこともやらなきゃいけないし。それにしても感謝と寂しさと・・・なんか懐古主義みたいになってるかなあ、まあ、先週、半世紀目を迎えちゃったからね。そんなつぶやきでした。
(2010.5.23)


 昨日は不入斗での練習、このところ露出度の高い60期、そのホシノとイトウに会いました。そして60期は成人式。おめでとう。それにしてもOB達が、よく恵まれた環境の中で練習できたことを感謝する言葉を残していきますが、これって、与えられた環境じゃないんですよね。自分がつかみ、作り上げた環境なんだなと、最近つくづく思います。グランドにしても、日ごろの手入れを自分自身でするからこそでしょうし、そこで競い合う仲間を作ったればこそでしょうし。どうも、自分の居場所を大事にしないというか無関心というか、そういう傾向が目立つと思っていたら、同じようなことを訴えかけている人がいました。西ア義展。アニメーション「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーです。先頃、劇場用アニメーション映画「宇宙戦艦ヤマト復活編」が公開されました。賛否両論あるところでしょう。もともとの原作者の松本零士の手を離れ西アヤマトと化してしまったわけですから。それでも西ア氏なりのメッセージはうなずけるものもあります。「日本人は世界中でも指折りの恵まれた環境の中で生きています。物質的にはそれだけ豊かになった時代に、街中を歩いている若者を見ると、どうも自分たちが地球の上に立っていること自体を忘れているように見えます。そんな地球を軽視するような気持ちを根底から変えてみたい」「今の30代、40代の大人を真似するなと」子供たちの世代に伝えたいとは、戦前生まれの人は怒っているなあと(汗)。今回のテーマは「生き残るべきはヤマトではない、地球だ!」というセリフに集約されているそうです。地球も生き物で“生命体そのものだ”とはウルトラマンガイアでも言われていましたが、ガイアといえばガイアシンフォニー。この映画に共感し上映会の企画に携わったOB達の志も思い出されます。当たり前すぎて、つい見過ごしてしまう、いま自分が立っている場所への感謝。ともに大事にし、それが分かり合える集団でありたい。また、一昨日の長距離記録会で声を張り上げ叱ってしまいましたが、チームづくりについて話ができる2年生も育ってきました。あとは1年生・・・。よいチームづくりを春までにはと、三浦・小谷両先生とともに頑張ります。そう、三浦先生といえば、1月10日放送の「もうひとつの箱根駅伝」に、城西大学の監督者の車内カメラの映像にバッチリ映ってらっしゃいました。その三浦先生から聞いたのですが、城西大学の去年途中棄権のリベンジを果たした石田選手は襷渡し後、電話で櫛部監督に「去年までの自分は監督の言うこともコーチの言うことも聞きませんでした。自分はできると思っていました。でも。それは間違いでした。ありがとうございました」と伝えてきたそうです。ちょっと、ひろっておきます。(2010.1.11)


 おめでとうございます。2010年です。私も生を受けて半世紀を迎える年かと感慨深く。さて、例年よりも1日遅い練習始め、初詣となりまして、OBで間違って来る方があってはいけないと思い、掲示板で追記を指示しておきました。暮れに、年始はどうなってるのか聞いてみると、5日から練習だと言われてますと。初詣はと聞くと5日ですと。4日じゃないのかと聞くと、聞いてませんという返事。おいおい、顧問に指示されて、やるもんでもないんだから。暮れの大掃除もそうですが、福間先生が帰省されている間に、部員の自発的な動きを感じたもんでしたが。ですから、暮れの浜練なんて話も、天気が悪くて中止になったのが重なって以来、途絶えたようですね。先輩から昔話を聞く中から、「ああ、そうか」とか「おもしろそうだな、やってみよう」とか拾い上げていくのも楽しいことだと自分の体験でもあるものです。それにしても、大掃除も去年の暮れは練習が終わってからという段取りになっていて、おいおい終わるのかと思いきや、終わらせちゃったんですね。最後に心を込めて一年間の感謝の思いでトラックを一周ブラシをかけるなんてこともやったのかなあ。OBはカワナやゴトウが来てくれていましたが、彼らもタータン部分に手をつけてみたもののホースが不如意でうまくいかず。それにしても彼ら曰わく「現役から代わります、やりますって言う声がないんですよ」と、むむむ。今年は所用で張り付いてはいられなかったので、まだやっているだろうと夕刻、グランドへ上がってみると、もう誰もいない。一応はやったんだろうけど、集めたゴミがそのまま放置されていて実に見苦しい。そう思うかどうかの違いが課題点。なんというか詰めが甘いということにつながる部分だと思います。ここ最近、生徒を観てきて傾向をあげるならば、やったということに満足している、やった後の振り返りがない。だから悪くゆけば自己満足にしかならない危険性を行動パターンに含んでいると言えるでしょうか。どう現役に接したら、伝えたらいいだろうとのとまどいを抱く有意のOB諸氏のために参考までに分析を示しておきます。ここをクリアしないと向上にはつながらないよねと、横高陸上部で自分を高めてきたOB諸氏には頷いてもらえるものと思います。そんな中、今日の練習始めには60期が3人、ゴトウ、オクデラ、ホシノが来てくれました。実にうれしい。そして、3年生コジマも。みんな成長したいい顔してるから、うれしい。成長途上の現役の中にも、いい顔がいる。でも、そのいい顔に曇りが見えてしまう。成長しているからこそ、このチームをどうしたらいいどろうという苦悩をかかえる。でも、これも、先輩達が、みんな通ってきた道でもある。各代に何人かは今でも顔が浮かびます。イワハシしかり、ユミコしかり、・・・。かつてのように部員に感心し、感激した姿は減ってしまったのは事実。でも、まだ枯れてはいない。芽吹かせる仕込みもしてはいるけれど、それはそれで辛い思いを仕方なくもさせてしまう。でも、現役時代、自分もそうだったよと寄り添ってやってほしい。それもOBの務めかな。お前が仕切れと言われてドギマギしていた当時のホシノの顔を思い出す。去年の4月、今のチーム状況では勝てないと、部員の意識への危機感を露わにして声をあげてくれたコジマの思い詰めた顔も思い出す。さてさて、明日から授業。どういうことかと言いますと、インフルエンザの流行で学年閉鎖となった分の授業補填のために、暮れに1日、年始に2日、1・2年生は授業を行うわけです。3年生は通常通り8日から。学年主任として、何としても3年生は学年閉鎖にはさせじと、うがい・手洗い・マスク着用の励行を各担任から連呼してもらうようお願いもしましたが、それが効を奏したものか、3年生は免れました。やはり油断は禁物、やるだけのことはやるべきです。ということで何事も詰めが甘いことにならぬよう、それでは今年も、まいりましょうか。(2010.1.5)


 私としては関東駅伝3回目、栃木・千葉と続き山梨へ、選手達の活躍のおかげで連れて来てもらいました。相変わらず台所事情は厳しく、今回も関東新人同様ですが、そんなことはかまいません。選手の活躍を目にすることができるのなら。いやはや、それにしても日ごろ陰ながらも保護者の皆様のご理解と支えによるところは大きいわけですが、ここ最近のところは表立って保護者の方々のご協力によらなければということで、ずいぶんとお騒がせもいたしました。クラブ保護者会が組織的にあったほうがと校長からもありましたが。さて、今年はコジマの「先生達をインターハイに連れて行きたい」という言葉に心を打たれ、他のキャリア教育関係の出張と調整しつつハードな夏のスケジュールもこなしましたが、及ばずながら私から遠征サポート方法を部員に伝え、チーム作りを意識させる動きの中、この関東駅伝を部員全員とともに見届け、いい遠征の締めを迎えられたのではないかと思っています。試合後のミーティングではシブヤの言葉がよかったですね、ほんとうに悔しさがにじみ出て、その上での「強くなりたい」という決意の言葉はホンモノと感じました。横高陸上部らしさも感じました。同期のスギヤマも刺激を受けて、きっと二人で成長していってくれることでしょう。そして、これが男子にも確実に根付いていってほしい横高陸上部らしさと思っています。ミーティングでの顧問からの話も顔を上げて聞く者が増えました。こんなこと改めて書くと情けない気もしますが。おーい、56期のコジマはじめ、心配をかけていたOB諸氏よ、だいぶ受け止める体制はできてきたよ。チームという意識ができてこそだから。今回シーサイドマラソンの大会運営のお手伝いを全員で取り組んだのも、横須賀の大会運営は横高陸上部がしっかりチームとしてお手伝いしているんだという自覚の機会につながってくれてることを期待しつつ。だからOBにも少しは安心してもらっていいかな。顧問の三浦色、小谷色も確実に出てき始めているし。それだけに、老婆心ながら、やや今回で心配の種も感じ取ってしまったのはあるけど。いいかい、力をつけるために、“顧問を信じて”、この冬を乗り切るんだよ。小谷先生もミーティングでふれてたけどね。勘違いしちゃいけないよ。まずはtrack&field〈陸上競技〉が主戦場だからね。ここのところが伝わるOBには補強してもらえると、ありがたいな。まだまだチームが芽吹こうとしてる時だから。ちょっと微妙な要素がからんでるもんで。なんか、ほんとに小声でつぶやく思い、意味深だけど。(2009.11.23)


 神奈川県は財政難です。唐突な書き出しですが、県職員の給料は毎月カットされ、おまけに今期の人事院勧告で引き下げです。学校の様々な経費も削減で、旅費も昨年比100万円の減です。出張も控えてくれ、引率人数も減らしてくれと言われます。ということで、今日の関東新人は引率出張ではなく個人的に行ってまいりました。でも、行った甲斐がありました。新生チームの芽は伸びつつはあることを感じさせます。そういうわけで、つぶやく気になります。競技成績以上にチームをつくろうと腐心する部員がいるということが、うれしいところです。まだまだ全体化はしていませんけど、なかなか通じないことへの歯がゆさを同じように感じることができるというのはホンモノだと思います。同じような苦労をした0Bは是非もう一押しの力を現役のために貸して欲しいところです。さて、横須賀に戻って、今日から公開の
「風が強く吹いている」という映画を観て来ました。箱根駅伝を目指す寄せ集め10人だけの無名陸上部の設定ですから、嘘くさいとか言ってしまえばそれまでの、おいしいとこ取りのストーリーですが、人物がそれぞれ、ちゃんと立ってます。現実は甘くはありませんが、映画としては、よく出来てます。“思い”はちゃんと伝わります。ちょいとオススメです。(2009.10.31)


 なんとなく書きそびれておりました。新人の中地区予選あたりでは、新チームの発足という嬉しい感触を得たように思ったのですが、だんだんにどうもそう手放しには喜べない状況も散見してきて。確かに、この間、夏合宿の頃から、周りもはばからず新チームリーダー達を何回か声を荒げて叱りつけてきました。でも、叱りがいのある子たちです。まあ、当人達は嫌でしょうが。でも、この7年の間に横高陸上部で見聞きしたことは語り継いでおかないとと思い、春の県大会あたりから「語り継ぐから、わからないことがあったら聞くように」と宣言をし、夏合宿には1年生だけ集めて話をしたりもしましたが、どうも1年の男子あたりはまだダメですね、大人を小馬鹿にしたような態度をとる者が多くて、情けない話ですが。そこへいくと二年生の方は聞く耳は持ち合わせてくれているようだけれども、後輩への指導という段になると、なかなか困難をかかえるようです。注意をすると部員から「またか」という顔をされることに落ち込むこともあるようですし、無理強いはしたくないという現代っ子気質もあるようです。なにしろ「早めに来てグランドの整備をしよう」と何回話しても変化がないとか、ほんとに、それならなんで陸上部にいるんだと言いたくなるような部員の存在に手こずる始末。そんな連中には「伝統」というものはジャマ以外の何ものでもないようです。このあいだ、不入斗での競技会運営協力の動き方や、記録用のプロを用意して分担して記録を記入し顧問に渡すようにとか一から十までニューリーダー達に話をした時、振り返ってみると、そろそろ私が見聞きしたネタも尽きてくるぐらいにまでに夏以来、話をし、叱ってきたよねと確認しました。そのとき、「こういう話は、今は顧問の俺が話しているけど、俺が横高に来る前は顧問がしてきたわけじゃないよ、先輩達が後輩達に話してきたんだよ」と申し添えました。そこで、掲示板の書き込みを今回は残しておくことにしましょう。
 「県大会に向けて」お母さん(52期)9/23前半戦は終わってしまいましたが、後半戦に向けて、県大会の心構えを。@上位進出を狙える人:上位進出を狙える人は、しっかり上位に進むこと。やるべき人がやってこそ、チームは勢いづきます。A上位進出が厳しい人:上位進出が厳しい人でも、しっかり100%のパフォーマンスをすること。そうすることで、県上位との距離を正確にはかり、春への課題を見付けて下さい。上位に進出するには、何が必要なのか。それが分かれば、冬、何をすべきか、が分かるハズです。B県大会に出場出来なかった人:まずは、@・Aの人がそれぞれ目標をクリア出来るよう、サポートすること。そして、選手でないから、と気を抜くのではなく、次、自分が出場する時の為に、沢山勉強して下さい。自分が狙っている種目の人が、どういうアップをしているのか。雨の日はどこでアップすればいいのか、サブトラは十分使えるのか、など競技場の特徴。春、県大会出場のチャンスを得た時、実力を十分に発揮出来ないまま終わってしまっては、勿体なさ過ぎます。例えば、ハードルの場合、不入斗の試合では、出場選手が1人なんてこともあり、徐々にインターバルを広げながらアップをする、なんてことも出来たりします。でも、県大会では、正規のインターバルで、男女各1レーンずつしかハードルが用意されていない、なんてこともあり得ます。そんな状態で、何十人という選手がアップをするのです。さて、どうしたらいいでしょう?不入斗での試合しか意識していないと、突然こういう状況になった時、実力を発揮出来ません。こういう状況にも対応出来るよう、しっかり勉強してきて下さい。では、皆さんにとって、意義のある試合となりますよう。
 「『伝統』について」お母さん(52期)9/3最近の子は、「伝統」という言葉があまり好きでは無いそうなので、私なりの「伝統」論を、お話ししてみたいと思います。「伝統」のメリットは、@ノウハウがある:現役がぶちあたる悩みというのは、競技にしても、学校生活にしても、チーム運営にしても、大方、誰もが通る道です。ですから、現役が積極的に活用すれば、直接又は応用して利用出来る解決方法を、色々提供出来るハズです。A良い選手が集まる:私が知っているダケでも、「不入斗で横高のリレーを観て、このチームで走りたいと思って必死で勉強した」「このチームで陸上を続けたいと思って、学区外から来た」という選手は、沢山います。そういう選手は、元々意識が高い。そういう選手に触発されて、チームは成長し、更に「伝統」は引き継がれます。B試合で精神的優位に立てる:マイルや800m、フィールド、長距離など、心理的駆け引きが要求される競技において、「ここで出るべきか、我慢するべきか」という決断を迫られる場面は、よくあります。その時、個人的に相手選手を知っていたり、体格や動きから、冷静に相手選手の実力を判断出来ればいいのですが、それが難しい時、とっさに見るのが、ユニフォームです。「○○高校の選手か、じゃあ、無理するのはやめておこう」そう思ってしまったら負け、思わせることが出来たら、かなり精神的優位に立てます。逆に、タラタラしたレースをしていたら、「横高って大したこと無いな」と思われ、他の競技であっても、その影響は免れません。「伝統」は、単なる精神論ではなく、試合に勝つ為の戦略なのです。とはいえ、やっぱり昔の話をされたり、比較されたりするのは嫌だというのならば、「自分達が新しい伝統を作る!!」位の気概を持って欲しいと思います。←「気概」の意味、分かるかな?!壊すのは簡単ですが、作り上げるのは大変ですよ。
 「きほんのき」お母さん(52期)8/30昨日、訳分からんことを色々話してしまいましたので、こちらで、少し補講させて頂きます。練習をサボる人間が悪いのはもちろんですが、それを放置しておく人間も悪い。人間、時にはサボりたくなる時もある。そんな時、言葉で、態度で、「サボってる場合じゃないぞ」と気付かせてくれる。それが、仲間です。そうやって、フォローし合うことで、←八住先輩のお話に通じますね。常にいい状態で、厳しい練習をすることが出来る。そして、強くなる。志の高い人間が落っこちてしまう集団ではなく、みんなでその高みに近付けるよう努力するチーム。そんなチームを目指して、頑張って下さい。
 「また長い話になってしまいまして申し訳ありません」八住(49期)
7/9こんにちわ。暑い時期になりまして、練習等も大変な時期に差し掛かっていられるかと思いますが、熱中症などに気をつけて練習にあたっていただけるように期待しております。もう1巡り以上前のお話になってしまい、参考にして頂けるかどうか分からないのですが、なるべく手短にお話させて頂きたいと思います。僕の代は、インターハイに選手を出せなかった代で、低迷期だったと思いますので、今とは練習内容などは比較できないと思うのですが一つだけ、僕の代で感じたことは、フォローをするような雰囲気がチーム内にあったということです。これは、練習でも試合のことでもないのですが1年生の体育祭のときに僕がスウェーデンリレーのアンカーの500Mに出場することがありました。1周目の250Mで明らかに飛ばしすぎてしまい2周目に差し掛かった時に、リレーに出場していない、そのうえ、同じカラーでもない同学年の部員がトラックの内側まで入ってきてくれて「飛ばしすぎだぞ!絶対にバテるから、体の力を抜いていけ!」と声をかけにきてくれました。彼と僕は、違う中学校だったのですが中1の時から200M・400Mの試合で顔を合わせていて高校で同じチームになったチームメイトでした。それなので、それまでの3年半近くで、外側から見た僕の欠点を良く知っていてくれたのだと思います。表でも、力を貸してくれていたので、僕の知らないところでもフォローしていてくれたのだと思います。もし、高校からでも、1日2〜3時間一緒に練習していると思うので1週間で、10時間近くは顔を合わせているので、良く見ているとチームメイトの色々な点が見えてくるのではないかと思います。僕の欠点をフォローしてくれたようにチームメイト同士でフォローし合えると少しずつ良いチームになるのではないかと思っています。また、長々になってしまいまして大変申し訳ございません。僕自身も、大変未熟なので、これからもご迷惑をおかけしてしまうことが多々あるかと思いますが、宜しくお願いいたします。
いや、ほんとに長くなってしまいました。でも、伝えたいと思ったら長くなって当然だと思います。そうそう、今回は最後に、この書き込みを残しておきましょう。今期の伝える言葉として大きな位置を占めるものですから。
 
「全国高校総体報告」小島弘毅(62期)8/3奈良県鴻ノ池競技場で行われたインターハイ(5日目)の110mHに出場した小島です。予選は14秒90でプラスの1番で拾われました。準決勝は16秒58で8着でした。予選でベスト更新で非常に調子が良かったんですが・・・準決勝前で今まで感じた事のないような体の軽さを感じて、かなり調子が良くて コレは行けると思ったのですが、レース前のスタート練で肉離れをしてしまいました。しかし、遠くまで応援、サポートをしにきてくれた仲間たちやOBさんの前で棄権するなんて出来ない、もう走れなくなっても良い!歩けなくなってもいい!と思い必死に走りましたが、タイムは自己ワースト記録でした。後輩たちにはもっと格好良いすがたを見せたかったんですが、こんな結果になってしまいました。調子が良すぎても勝てない。勝負というのはホントに厳しい物です。そういった事が後輩たちに伝わったかなと思うので良かったと思います。高校時代最後のレース、色々な方々に支えられて本当に恵まれた環境で競技ができたんだなと感じました。本当にありがとう御座いました。
(2009.10.12)


 県選手権の最終日には59期のアベに会いました。大阪からの参加です。初日にはホシノとイトウに会えました。OBの活躍する姿、うれしいばかりです。それにしても疲労からか平塚から帰って更新作業をやるうちに急な腹痛に襲われ寝込んでしました。っていうか眠れもしなかったんですが。それでnews欄も1500を落としたままで、すみません。まったく心労がたたるというか、現役の方では、4月に続きまたしても部室荒らしにあってしまいました。部室については、ちょうど先週くらいにヤマナカから部室が汚いと指摘を受けたばかり。そういう温床となってなってしまったのでっしょうか。まったくもって部員が日々の管理を心がければ防げるものを、おまけに生徒としてあるまじき不祥事やらなにやら、ほんとうに恥ずかしい話で、在学時のの恩師にあたる新校長からは「オカハナー」と呼び捨てで、何をやってるんだとお叱りを受けました。せっかくコジマがインターハイへ向け、戦うチームづくりに貢献してくれて、全体的な意識も変わりつつあるかと感じていたのに。アダチがいれば、言ってくれたでしょうね「恥」ということについて。そうそう、ヤマナカからは競技場でクラブジャージを着ていない部員がいるので驚いたという指摘も受けました。信じられませんってことでしたが、プライドも育っていなかったのかと思うと、目が届かぬことばかりで、OB諸氏には申し訳なく。なんだか思い出話ばかり、懐かしむようになって、歳のせいなのか、憂えてなのか・・・。
いやいや、それでも若い力に期待しましょう。先週の土曜日、横須賀選手権の初日終了後は高等学校・中学校指導者懇親会があって、高校へ送り出していただく中学校の先生方の思いも受け止めさせていただきました。去年も出させてもらいましたが、貴重な会です。今後とも、よろしくどうぞ。(2009.7.6)


 今回の関東大会、応援部隊復活と言ったところ。少々感激です。去年は関東新人の折、ウエノの付き添いのツノカワに加えEが来てくれましたが、今回は男子のスドウのために女子が二人K・Hが来てくれるというチームとしては好もしい雰囲気です。もちろんご家庭のご理解ご負担あってのこと、重ねて感謝です。行きたい気持ちはあっても不如意と言うこともあるわけですし、授業もありますからね。私も最初はビックリしました。私にとっては初の遠征で準備前泊で平日に群馬へ向かう折、「先生、一緒に行きます」という声に、授業は?と聞くと、「ちょっと風邪をひいたもので」??と。カサハラとムシガだったかな。そこへタマキもやって来て、「なぁんだ、お前も風邪をひいたのか」(失笑)という感じでしたか。大きな声じゃ言えません、ここだけの話しですが。あっ、現役は実名は伏せておかないといけないかな(と・・・直す)。これを応援部隊というんだよね。試合の時だけ来るのは、見学隊。「応援」の意味のとらえ方が違っってきてるのかな、最近は?とはいえ、付き添いは公欠扱いにはなっても生徒会からの経費補助はないですから、先だっての走友会の総会でも話題になりましたが、OBの皆様、ご高配を賜りますれば幸いです。(2009.6.19)


 昨日は5.15。歴史的には5.15事件やら沖縄返還の日であったり。で、そして誕生日、古くは市川房枝とか、最近では藤原竜也とか。そして、そして横高31期の私と62期のタナカの。ちょうど倍ですよ。そのタナカも、もう3年生です。最初で最後の宴(?)と思い、練習後に部員全員にマドレーヌをふるまいました。まずはユウリに「誕生日おめでとう」と言って箱を渡し、今度はユウリから「誕生日おめでとうございます」と同じ箱を受け取り・・・ばかだねえ(笑)。さてと、今日はイワタとニシジマが登場。イワタは今期初登場。最近、ニシジマも頼りになります。ん?、ニシジマだったかなぁ、去年、掲示板に「誕生日おめでとうございます」と書き込んでくれたの?記憶違いだったら他方に申し訳ない。私ごときに、そんな一言でも嬉しかったのに、うすら覚えで。さあ、県大会もいよいよ来週。これからまだ、どれだけのOBの顔に会えますか、楽しみに。(2009.5.16)


 さてと、つぶやきたきくなりました。中地区予選、昨日はフカセにナガハラも久しぶりに顔を出してくれて嬉しかったですが、今日は最後のミーティングの時にウト、クロイワ、ミヤガワ、ニシジマ、ヤマナカが残っていてくれて、コメントももらいました。卒業したばかりの高61期、愛知の大学へ行って里帰りのウトは「目標を再確認して、運も頑張り続けた上についてくるから、何をすべきか、できるかを考えて」と。同期のクロイワは本人はしゃべるつもりはなかったようですが、あえて指名して去年の県大会の体験を話してもらいました。「800mで2分を切れると先生にも言われていたのに、自分を信じることが出来なかった。試合に臨む心構えも2分を切れればいいやぐらいな気持ちで、1周目は疲れない程度に走ればいいやとか、試合では結局ビビッてしまって・・・」と実感のこもった話。私が担任した59期のミヤガワは「2週間で変われる。信じなきゃダメ。それから県横陸上部は競技場でも率先して動く見本となる学校だから、目に見える動きを示して欲しい」と熱く。55期ニシジマは「私の期は高校から陸上を始め、高3で関東へ初めて行ったメンバーが多かった。私も先生や先輩に叱咤激励されながら、やめたいと思った時もあったが、あきらめずにやりきれたお陰。最後まで信じて頑張って欲しい」と、意識的に今OBが訪れて、現役のことを気にかけてくれていることを伝えてくれました。同じく高校から陸上を始めたという55期のヤマナカはミーティングを見て「まず、みんなの前に立って話す人の声が聞こえない。もっと、自分はこれだけやったんだとアピールすべき。次に、他の人が何位でタイムはということが分かっている人はどれだけいるかな。周りの人に興味を持って、仲間が何をどう動いているか把握しよう。『あの子はどうだった』と尋ねて『よく分からない』と答えられるのが一番残念。それから、チームで動くと言うこと。“自分はいいよ”というような動きはしてほしくない。OBもいろんなところで見ている。レースで引き離されていくのは屈辱的、悲しいなと思う本人も悔しいと思うが、見ている人も悔しいものだ。サポートも遠慮なく、アドバイスもするので頑張って」と。これを受けて部長のコジマから「この代で、チームの伝統をぶちこわしにしたくないので、プライドをもって闘う雰囲気をつくろう」とまとめの言葉。小谷先生からは「勝つチームというのは全員が参加している。リレーの時に応援の姿が見えなかった。動きが見えない」と課題の指摘。三浦先生は「今日の試合を見ても高校生は気持ちで走るものだと確認できた。確かに2週間で人は変われる。しかし、危機感を抱いている。」と締めの言葉。そのあと競技場を出て、OBと一緒にお茶して、思い出話にひとしきり花が咲いて、楽しいひとときでした。チームに求めるものは、やはりOBがしっかりもっている、確実な財産だと心が豊かになりました。現役の中にも意識が芽生えてきたことが分かる部員も出てきています。まだ通じない者もいます。しかし、信じています。だから、よろしくお願いします。そうそう、不入斗競技場でハニカット陽子さんを目撃。なんでも、この4月から湘南地区某高校陸上部のコーチになったんだとか。当世の高校生を前に同じような悩みを抱いていらっしゃるようでしたが、持ち前の明るさとチャキチャキ感が小気味良いです。どんなチームにされるのか楽しみです。これまた嬉しい出会いでした。(2009.5.3)


 前回の続きでいくと、とうとう私も昔やった肉離れのところに痛みが・・・。
 さて、今日はアダチが来てくれて、現役と闘ってくれたようです。県横陸部への思いは誰よりも強い証でしょうか。一昨日まではホシノが来てくれていて、「あんまり来てないんで言えませんが」、というようなことを言うので、久しぶりに目にして気になったことをズバッと言ってくれていいんだよと話をしました。そして、今日は掲示板にもNジマからの書き込み。嬉しいですね。ここにも愛を感じます。そして誇りを感じます。ありがとう。(2009.3.12)


 たいへんです。先週、体育の授業のバドミントンで三浦先生が右のふくらはぎを肉離れ、二日ほどお休みになりました。その三浦先生が肉離れをおこした同日の部活中に小谷先生が補強メニューの鉄棒の模範演技で左手親指を巻き込み骨折!みなさんが次は・・・・・・気をつけてね、なんてなことを言われております。

 さて、いい話をしましょう。昨日フカセくんの結婚式があり、列席してまいりました。いやあ、大森恵子先生のスピーチでは涙を禁じ得ませんでした。フカセくんが高校1年生の夏に、大腿部骨折をしたときの話。救急隊員が、「あの子、陸上をやっているんですか。かわいそうに、もう終わりだね」と漏らした言葉が忘れられなかったそうです。でも、鈴木徹選手もそうですが、本人は「もうだめだ」と思わなかったからこそ、今日〈こんにち〉の彼があるんですよね。そして今日の幸せな挙式。大森先生の涙のあとの安堵の表情。フカセくんも涙と笑顔のパーティー、実にいい式でした。心が温かくなりました。どうぞお幸せに。
 そして、今日は学校を出て、花の国での練習。久しぶりに部員の顔を見ましたが、頑張ってました、いい顔してました。元気をもらえる姿でした。やっぱり、こういうのがいいですよね。災い転じて福となすの流れでいきたいものです。
 ところで、花の国に行ったので、高台の冒険ランドにあるゴジラの滑り台を見てきました。実は私、このゴジラの滑り台の復活のために募金をしまして、その協力者を列記したネームプレートの中の私の名もやっと確認できました。かつて観音崎のたたら浜にあったゴジラの滑り台を、青年会議所を中心に復活させようというプロジェクトでした。ネームプレートには東宝映画ゴジラ2000ミレニアムの出演者だった村田雄浩・西田尚美の名も。それにしても、この滑り台のモデルになっている平成版川北組のゴジラの顔は好きじゃありません。ちょっとマニアックな話になりますが、ゴジラ、ゴジラといっても公開される映画の度に、ぬいぐるみというかゴジラスーツは作り替えられているので、作品ごとに顔が違います。第一作の「ゴジラ」と第二作目の「ゴジラの逆襲」とではプロポーションまで違います。恐竜型だったのを、対アンギラスという怪獣バトルものにしたために動き易さを意識して人間型の着ぐるみに直しています。次の「キングコング対ゴジラ」ではトカゲ型の顔になり、私はけっこうこれがお気に入りです。関沢新一のコミカルな脚本も好きです。続く「モスラ対ゴジラ」では三白眼の悪人顔になり、これが一般に評判が良いようです。「三大怪獣地球最大の決戦」以降、人類の味方的存在になってからは目が大きくなっていき愛嬌のある顔に。続く「怪獣大戦争」ではゴジラはシェーまでしてしまします。これを悪役に戻すということで1984年の復活版ゴジラからまた形相がきつくなるんですが・・・。まあ、機会がありましたら見比べてみてください。そんな中でも2002年公開の「ゴジラ×メカゴジラ」は八景島や幸浦で逃げる群衆の一人としてエキストラに出向いた作品なので愛着があります。夏の暑い時分に、5月という設定で上着を着なければならず難儀はしましたが、いい思い出です。撮影現場で間近に見た主演の釈由美子は凛としてました。このときのゴジラはシーパラダイスに上陸して、三角屋根のアクアミュージアムをまず壊しました。そうそう、たたら浜にゴジラの滑り台があったのは、ゴジラが最初に上陸したからだという説がありますが、上陸はしてません。本土に最初に上陸した地点は品川で、今ではなくなった八ッ山橋を破壊して・・・。「警戒司令部発表、20日16時30分現在、観音崎北東15マイルの海中を北西に向け移動中のゴジラを発見す」といった台詞はありますから沖合に姿を見せたというのなら言えるかもしれませんが。またちょっと語ってしまいました。(2009.2.22)


 先週に続き、今日も“お母さん”が練習を見に来てくれました。先週の感想は掲示板にあるとおりです。今日は練習後、部員を集めて集約した話をしてくれました。冬特有の日没後の冷え込んだ中、なかなか気合いのこもった言葉で現役に渇を入れてくれました。これまで私が素人ながらクラブやチームづくりの雰囲気として、「これは違うよなあ」と薄々感じてきていたことをズバッと指摘してくれました。現役にとっては、自分たちなりに一生懸命やっている、何がいけないのか、という気持ちもあってでしょう、私のような門外漢の言葉は、これまで、なおさらピンとこなかったのだろうと思います。さすがはOB・OG、頼りになると涙が出るような嬉しさに包まれました。いや、最近涙腺が弱くなってると感じることもありますが、でも、本当に嬉しかったです。何より、こちらが求めんとしていることをピピっと感じて取って、果たしてくれるところが、「横高生だなあ」と、実にうれしく思うところです。やはり同じ血が流れてるなあと、年は隔たろうと伝統の魂を感じます。簡単に言えば「察しがいい」、そして、これまでの部員達の多くが言っていた「周りが見える」ということにもなりましょう。久しぶりに「横高生らしい横高生」を見たなあという気持ちです。現役にも一日も早く横高生らしさをつかんでくれる人数が増えることを楽しみに、多くの支えを感じつつ春に向かいたいと思います。ちなみに“お母さん”曰わく、今月は横高陸上部強化月間です。(2009.2.6)


 遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。さて、今年は三浦半島駅伝に男子が出場はしたものの、故障者もあり、万全の体制で臨めず、まあ言ってみれば、チームとして臨む体制ができていないというわけですが、部員にはまだそういう自覚がありません。普段を見ても準備なども、そろって、そして意気込みを共に確認し合ってという雰囲気が・・・?また、片付けやら何やらで誰かに、ふっと手を貸すというしぐさが自然と以前はあったように思うのですが、それがあまり見受けられないないというのもどうもいただけない。日ごろのグランドの手入れも以前からすれば全然なってないんじゃないのと思うこともあります。ですから走友会メーリングリストなども担当者に情報を送るという分担的なことも全員に徹底されていない(それ以前に、OBがどれだけ気にかけ、情報を待っていてくれるかということの認識が薄い)というようなこともあり、最近の不如意は、そういったわけでチーム全体の状況が影響していることで、必ずしも担当者だけを責められるものではないので、ご容赦を。ですから、何やらネット上でOBからのご苦情もあるやに漏れ聞きますが、それを把握した部員も、どうすべきかもなく他人ごとのように「OBが怒ってるみたい・・・」と言いふらすだけで、その後の連携もスムーズではなく、これはかえって担当者に孤立感を与え、気の毒な状況に追いやるばかりと懸念しております。どうぞ心あるOBの方々、そういったクラブ状況(チーム状況とは呼べません)を汲んでいただき、文句があるなら、直接、現役に面と向かって、OBの務めとして現役に教え諭していただきたい!誤解を恐れずに申すならば、最近は一部OBに対しても腹立たしく感じることもあります。ということで、暮れの大掃除の時は現役に対してよりも、そんな思いを強めてしまいました、その場にいながら何の支えにもならない!そんな様子を嗅ぎ取ってか、年明け早々、顔を見せてくれた卒表生もあり、うれしく思いました。さっそく現役時代の話を今の幼い現役に向け、私にとっても思い出深い(ひとりひとりに、あんなことがあったね、こんなことがあったねという)こともありましたので、してもらいました。とにかくチーム作りについての話を、今日の練習前に全員に伝えてみましたが、最近、私ごときが出しゃばって話をする分、「またか」という感じの風が中には見られ、届いているやらどうやらと気になります。クラブに限らず学年集会などで「横高生気質」について話をすることもあるのですが、最近の生徒の中には「『横高生なんだから横高生らしく・・・』と言われるのが嫌で嫌でしょうがない」なんてことを言う者もいて、呆れるばかりです。とにかくOBが一緒に練習してくれている姿を見て、そこから学ぼうという以前のような姿勢は今はないといってよいでしょう。なぜなら、言っても、できない時があるわけですから。だから、わかってくれるだろうではなく、「またか」と思われようが言うしかないと遠慮はしないようにしています。OBの皆様も遠慮はいりません。“金は出すが口は出さない”とかなんとかいう言もありますが、口ももちろん、なんでも出してもらわないと!と、年頭にあたり、大きな声で、つぶやいておきます。(2009.1.25)


 3連休のど真ん中、シーサイドマラソンでありました。市陸協がかかわる大きな競技イベントですが、後期中間テスト直前とあって、毎年、手伝いの生徒役員も出せないでおりました。競技役員のOBの方々からも、他校の生徒の手伝いは多いのに横高生の姿が見えないのは寂しいなぁとの声も漏れるところですので、今回は推薦入学で合格を決めた3年生に手伝いをお願いしました。ところが、そのうちの一人のクロイワが体育の授業で膝の皿を割るアクシデント。そこでハットリ一人となってしまいました。ハットリは私と家が近所なんです。そして、ハットリというと、忍者ハットリくんを思い出しますが、私らの頃はニンニンのアニメではなく、熊倉一雄が声を吹き替え子役がお面をつけたモノクロ実写版でした。で、ハットリくんというと、ハットリくんが居候している家のケンイチくんの学校の先生の名が花岡というもんだから、ずいぶん私はネタにされたもんです。校長先生が「ハナオ カジッタ君」と呼ぶと、東北なまりとおぼしき口調で「校長先生、わたすの名前はハナオカジッタでなくて、ハナオカ ジッタです」ってフレーズを何度くりかえしたことか。それにしても、この話の登場人物の名に遊びがあるんだなこれが、アラタマ ゲタヨとか、メデ タイゾウとか。さて、熊倉一雄といえば、ゲゲゲの鬼太郎の歌や、ひょっこりひょうたん島のトラヒゲの声、ううん、宇宙家族ロビンソンのドクタースミスの声も捨てがたい。ううん、今日は話がずれっぱなしです。まあ、つぶやきということで。すいません、ほんと最近つかれてるんです。会議も多いし、グランドにもろくに上がれてないんです。クロイワも心配ですが、まずは、みんな、しっかり試験勉強してるかな。練習もどうなのかな。ハットリは文武両道を実践したといえるでしょうね。おおっ、話題が一応戻った!(2008.11.23)


 関東新人が終了。群馬の敷島競技場は私が横高に赴任して顧問として遠征に付き添った最初の競技場で、かつまたリレーカーニバルやらで出向くことが多く、感慨深い場所です。当時2年生だった野口とテント設営に少々かかわったのも思い出です。それ以来、テント設営のノウハウというか、福間先生の指導や生徒達の動きを見させてもらってきました。ところが、いつの頃からか、生徒の動きが鈍くなり、しまいには自腹の応援部隊というのも陰をひそめるようになってしまいました。当然のことながら、途絶えてます。ここでも(2006.8.23)のところでアダチとイトウとでテント設営指導をしてたなんて、つぶやきもありますね。まあ、片付けには人は居るんだけど。はるばる佐賀までというのも、けっこう居ましたが(あのときは3名のインターハイ出場に加え、遠方にもかかわらず応援部隊もかけつけ、総力戦って感じでしたなあ)、・・・場所取りや設営がね、いないんだな。今回も私の拙い記憶をたどりながら、たった二人の付添・応援生徒と共に場所取り、設営。お願いだから、こういう話も現役に聞かせてやってください、OB・OGの方々。私の記憶に深いのはコジマ・カサハラに始まって(これが群馬だったんだよね、あのマイルでのハプニング後の始末の動きもたいしたもんでした。びっくりしましたよ、ここまで福間先生の気持ちを読んで動ける子たちなんだって・・・横高生だから、という以上のインパクトを刻み込んでくれました。さすが、横高陸上部員という。もおお印象強すぎ!)、栃木での関東選手権だったかなあ、ツクノが雨に濡れながらテントを立てるのに苦労していた姿を思い出します。千葉の競技場ではオカモト・イトウ、ああ、アベが場所取りに奔走してくれたことも印象深い。そしてカトウ・タカハシ、島根は取れた宿が遠い場所だったんだよねえ、競技場との行き来が大変だったろうに。静岡や岡山でもバッタリ出会ったり。そうそう、私は行ってませんでしたが、イワハシはじめ長崎へも行ってるんですよね、応援部隊って。島根や佐賀にと・・・ご家庭からのご理解にも脱帽です。さらにOBになっても小田原や等々力の場所取り・設営に手伝いに来てくれたもんねえ、ナガハラ・アライ・ナリタ・カトウ、カワナもいたね。う〜ん、、ここまでかなあ。なんで、思い出してくれないんですか!ってのがありましたら、今度お目にかかった時に言ってください。とにもかくにも、ちょっと、ほんとに、こういう競技力ばかりでなく裏方的なことも心尽くせる横高陸上部イズムを伝え続けてくださいな、卒業生から現役へ。(2008.10.26)


 もう秋も深まってまいりました。今年の紅葉は色づきがいいそうですね。さて、やっとこさ、地区新人の結果をUPしました。いやもう大変だったんだから。なにがって、まず、写真判定機がね。当日の朝、セッティングを完了したものの、カメラとリンクしないことが判明。どうも光ケーブルが断線しているらしい?かといって、ケーブルは見ただけじゃ異常はどこやらさっぱりわからない。予備の線につないでみるもダメ。では、予備も含めて配線の組み合わせで復旧できないか四苦八苦。もうだめだ手動でやるしかないという追いつめられた状況で、他の組み合わせはないかと再度、カメラ塔と判定室の両側で4経とウォークを手動でとってもらっている間に試行錯誤を繰り返し、なんとかつながる組み合わせを発見。いやあ、朝から疲れました。これで一日が終わったような思いでした。ということで、記録を控える暇なんぞもありゃあしません。まあ、あとは生徒が送る走友会メールの記録が頼りと、のんきに構えておりましたら、な、な、なんと、メールを見た方はお分かりのありさま。こんなのは今までになかったと思いますが・・・顧問に届くはずの記録を記入したプロも届いていない。福間先生が前の学年に記録写しはやらせないと宣言されたことがありました。それは、記録書きだけになって、自分に関係のあるレースすら見ない者が多かったからです。でも、次の学年はできてもよさそうなものなのに、結局指示待ちで、わかってなかったんですね。記録役員の他校の先生に問い合わせたりで、いやはやお恥ずかしい。(2008.10.17)


 お暑うございます。インターハイの方は、暑いことで有名な熊谷でしたが、ちょうど暑さが緩んだ時期に重なったものか、しのぎやすい方で助かりました。選手にとってもコンディション的にはやや恵まれたのではないかと思いますが、そこはインターハイ、なかなか結果を出すには・・・。さて、夏合宿後に、合宿の目的・成果を確認し、インターハイ後も来年に向けての目標を確認し、夏期練習の真っ只中です。OBの姿も見られることが、うれしいものです。先日も48期、52期、55期が3人、60期が3人と、練習の場に一緒にいてくれるのは、ありがたいもんです。オリンピックの開幕も迫ってまいりましたが、巷の話題としては赤塚不二夫さんが亡くなった…「おそ松くん」で育った世代としては、なんとも寂しい。明日は広島原爆の慰霊の日。そうそう映画で「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」を観ましたが、これに原爆実験場の場面が再現されておりました。最近はイメージとしても風化しつつあるキノコ雲をはじめとした原爆・水爆の記憶をアメリカ自身が、このご時世に描くという…ジョージ・ルーカスという人はなかなかのもんだと思います。「スター・ウォーズ」という映画も実は現代のアメリカを描いた深い意味をもった映画との評論(成申書房『副島隆彦の人生道場』V思想「スターウォーズと正義の話」)もあります。いわゆる赤塚ギャグ漫画も常識と呼ばれるものを打ち砕き新たな視点を導く挑戦であったようにも思います。オリンピックイヤーを機に、挑戦する横高陸上部を目指したくもあります。夏合宿を終えて、そんな期待感を抱かせるチームになっていくかなとの感触も得たのですが、なんといっても魂を伝承するのはOBの力です!私は“横高スピリッツ”を伝承することはできますが、横高陸上部の魂を現役に根付かせる一翼を担うのはOBの「義務」です。ですから、私は今でも、その役目を高校、大学については意識しています。担任した縁でいけば、「おい、高59期生、君たちは何をしとんだね!」と言いたいとこですが。(2008.8.5)


 いやあ、関東大会、ひやひやいたしました。そして、決勝、横三地区の他の高校の顧問の先生方も喜んでくださいました。握手を交わしました。東京は幸い、雨とはいえ何とかでしたが、神奈川には大雨警報が出ておりました。故に、片付け後、生徒は早く帰るように指示。1・2年生協力して片づけのほうも頑張ってくれました。そしてそして今日も雨、それもけっこう本降りです。明日から2年生は修学旅行です。引率する側の私も体力的に消耗して心配です。行き先はシンガポール・マレーシアです。去年から始めてみた海外修学旅行ですが、保護者負担の軽減を考えオーストラリアから変更したものの、さらに燃料費の高騰の煽りを受け思うにまかせないこととなってしまいました。さらにさらに出発前から、はしかの流行がおさまりををみせたかと思うと続いてインフルエンザが出るという。とにかく無事に無事に・・・まだ荷造りもしてません。では、行ってきます。(2008.6.29)


 残念なことに惨敗です。去年の高総体県大会最終日のミーティングでは、福間先生から、シャアの台詞じゃありませんけど、「“ぶざまな”県大会だった」と叱咤激励がありました。今年も去年とほぼ同数の県大会進出者がいながら、関東大会へ駒を進めるのは一人。今日の試合後のミーティングでは三浦先生が口火を切って「この責任は、三浦と三年生でとりたいと思う」と、三年生全員に引退を指示なさいました。とにかく来年の高総体までに闘えるチームづくりを目指すと。せっかく手が届くところまで進みながら気持ちで負けている場面を多々、目にしました。ここは何故だろうと思うに、横高生では“なくなっている”からだと私なりには思います。よく、或るOBが「陸上だけできるなんて人はいくらもいる、横高生なら勉強も頑張るのは当たり前」という話をしてくれたことを引き合いに出してきましたが、陸上部に限らず今の横高生は年々勉強しなくなりました。ベネッセによる学習状況調査によると家庭学習時間が全国平均に比して1時間は少ない。だから強くなりません。勉強もろくせずに部活を頑張っているからいいだろうというのでは、部活をとったら“ただの人”になってしまいます。いや、横高生なら“ただの人”どころじゃないかもしれないくらい恥ずかしい“ていたらく”だと思います。勉強ができるとは、単に成績にかかわってのことではないわけです。インプットし、その内容を再構成し、アウトプットするという体験が勉強です。これは部活での練習も同じです。勉強しないのは練習で、こういうことができないのと同じことです。ですから、三浦先生の宣言を受けて、三年生には私から、こう言わせてもらいました。「お前たちは陸上を通じて心を鍛えるということを学んでいるはず。それが、県大会の雰囲気に飲まれたということは、陸上競技で心が鍛えられてこなかったということだろう。人生は闘わなければならない、これは陸上競技もそうなら受験もそうだ。闘って勝たねばならない。三浦先生の言葉もそうだが、あるいは神様がいるなら『三年生は陸上競技で心が鍛えられなかった分、勉強で心を鍛え、受験に勝って人生を切り拓くために残りの時間を使いなさい』という声なのかもしれない」と。いや、「勉強なんて、その気になれば、できますよ、心配しないで下さい」と、うそぶいてみせるぐらいでもいいんです、要は自信をみせるってことです。横高生には勉強も、心を鍛える“よすが”であると心得て欲しい。当たり前のことが当たり前にできていないことを振り返るようにとは小谷先生からも話をいただきました。「支えてきてくれた顧問に当たり前のことができないようではチームとしての体をなしていない」と。お恥ずかしい、しょせん頼りにならず力不足でもある結果です。でも、小谷先生は続けて、「まだ自分は今回を総括する立場にないが、あきらめない」と力強い言葉を投げてくださいました。これに答えるべく新しい世代には古豪復活の再起動をかけてほしいと願います。三浦先生はしばらく謹慎?されるそうなので、小谷先生が次の県選手権や市民大会に向け、あたってくださるようです。市民大会後は中間テストです。テスト対策支援は私の役目でしょうか。とにもかくにも、OB諸兄にも共に“気”を送っていただければとも願います。いやあ、改めて、自分で「かわら版」も読み返しちゃいました。財産ですね、OBは。(2008.5.25)


 さてと、つぶやいていいものかどうか。連休の一こま?地区予選当日もそうでしたが、この連休中の練習でも、なんだかここんとこ怪我人が多くて・・・。だから、私ゃ、病院へ付き添って行ったりで、連休中の練習もやっと見に行けたと思っても、練習をほとんど見ることができなかったという・・・とほほ。それにしても、そのあと、経過を報告に来るとか、「先生、ご心配かけました」とか「ありがとうございました」とかいう挨拶すら出来ない者が多くなっていることに危惧を覚えます。当たり前の礼儀といったものですら思い至らないのかと。もっとも、先輩が教えなきゃいけないことなんじゃないかなとも思いますけれども、その先輩の中に、礼を失していることに気の付かない者も多ければ育たないわけですよね。去年の県新人の時に、「今日はミーティングはやらないから先に帰れ」と福間先生から指示が出たことを、奥まった所で最後まで居残らなければならない役員業務をしている私のところへは伝えないばかりか「お先に失礼します」のような挨拶すらなしで、その翌日、いけしゃあしゃあと「ミーティングをお願いします」ときたもんだから、礼を失していることに気付かないようならミーティングには出ないと伝えて出なかったことがありました。結局、半年以上経っても分かってないようです。昨日、同じことをしでかしてくれました。だから、今回もミーティングには出席を断りました。(でも、わかってるかなぁ、福間先生が生徒に考えさせるためにと昨年の秋から冬にかけてグランドに上がられないことがありましたが、その時のお気持ちがひしひしと。)高体連の試合の時は、顧問もそれぞれ部署が離れてバラバラですから、昨日も他の部署より仕事が済むのが遅くなって、他の顧問とも会えないし、、部員はどうしているのやらと、しばらく捜して分からずじまいで帰宅。そんなこととは、つゆ知らずなんでしょうが・・・情けないの言葉に尽きます。誰かが代表して動けば済む話でもあるはずが、そうした責任感もないのか。これじゃあ、、せっかくOBの皆さんが来てくださっても、ほんと失礼な立ち居振る舞いをお見せすることになってしまうでしょうね。実際、連休中も久しぶりといった顔のOBが来てくれたのに、なんだか寂しい思いをさせてしまったような様子を見て取ったので翌日、練習を始める最初に少し時間をもらって話もしたのですが、どうも通じないんだか。最近、格差とか二極化とかいう言葉が取り沙汰されますが、まさに、気のつかえる子とそうでない子との差が激しくなりました。昨日も何人かの女子は競技結果の報告に役員室まで立ち寄ってくれたり、男子に中にも遅くなりましたと報告のメールをくれた者もあり(もっとも顔を見せてくれれば、うれしい分、メールの気軽さがひっかることもあります)。で、つまるところ、気のつかえる子が、気のつかえない子の分までフォローして消耗してという悪循環で改善されない・・・。でも、そこは横高生!フォローじゃなくて、部員同士でお互いに指摘し合えなきゃいけないはず。相互に厳しさがないと普段以上に練習の時には尚更という気がします。試合へ向けての厳しさが育たないんじゃないかなと。県大会後半に向け、厳しさを持って当たってほしいと思います。真剣勝負ですからね。私も真剣に叱ることがふえてしまいました、部活に限らずですが。というわけで、OBの皆様、どうぞ遊びにという感覚ではなく、現役を鍛えてやるぞというお気持ちで、お見え下さいますよう。OBって、こわい存在でしたよね、いや、落研だって、そうでしたよ。だから気をつかいました、失礼がないようにって。どうも最近は、親から教員に至るまでフレンドリーがいいかのような風潮がありますけど、ありゃあ、間違ってますよ、人間関係が学べません。横高に教育実習に来る卒業生などは最も気をつけなければいけない部分です、あくまで指導する立場での実習であって、お友達感覚が過ぎてはならないことを。生徒相互の厳しさ、「お前、そんなことじゃダメだよ、妥協するな!」みたいな暗黙の雰囲気が横高を昔から支配していたように思うのですが、どうもそれが失われつつあることが、勉学を含め志を低くしているような。自分を高めなければとの志、これは教師から教わった以上に、同期の仲間や先輩から私は教わりましたと、つぶやきではなくて、はっきり言います。(2008.5.18)


 平成18年3月31日(月)雨。夕刻、職員室で仕事をしていると福間先生が歩み寄られて、・・・席から立ち上がって、こちらもお礼の言葉を口にした途端、それまで数日は、こらえてましたが、さすがに涙がにじみました(ということで『かわら版第10号』もこの日までに仕上げて)。涙雨あがって翌4月1日(火)快晴。さあ、心機一転!とはいえ、グランドはまだ緩いので不入斗へ。久里浜高校から新しく迎えた小谷先生は午後の辞令交付にそなえ、初日は部員への挨拶のみ。私も着任者への説明会の仕事があるため居残りで、三浦先生に引率いただきました。さて、今日は「心機一転、学校での練習スタート」と題してホームページ用に写真でも撮ろうかと、朝の打ち合わせを終えて、グランドに上がってみると・・・、誰もいない・・・。また、スカをくらってしまいました。いつのまにOFFにしたのやら。あいかわらずサブ顧問は、ほったらかされてるようです。何か変化を期待したぶん・・・。こんな「つぶやき」の新年度です。(2008.4.2)


 活動報告にも載せましたが久々に土日連日の練習でした。それも福間先生が付いての。私も土曜日は母の通院があり、時々でしたが、福間先生も、お母様のお加減の具合で田舎にお帰りになることもしばしばでした。今日は卒業したばかりの3年生の多くが練習を共にし、いつもと雰囲気が違いました。練習後に全員を集めて福間先生から「久しぶりに、いい雰囲気だったので」と話がありました。「今日の練習は明るかった。秋以降、練習の雰囲気が良くないときがあったが、今日は3年生達が来てくれて、やっぱり、あいつらが雰囲気をつくってくれていたんだなと感じた。俺が、この学校へ来てから求めていたものは何かというと・・・苦しい練習を楽しそうにやる雰囲気だ。横高生だから勉強をやるのも当たり前、これはクラスの中で苦しくても楽しそうに。そして陸上部では関東・インターハイへ行くのは当たり前というように・・・この学校へ来て3年目の代かな、800mで高校から陸上を始めたメンバーがこれをやってくれた。その雰囲気がずーっと、つながってきた。今はちょっと何かが違っている。やっぱり今日の雰囲気だよ。ああいう空気の中でハードな練習ができることがいい。自分がどんな顔をして練習しているか考えてごらん。グランドに上がるとき、苦しい練習を「よしっやるぞ」という時の気持ちの問題、苦しい最後の一本をどうやるか、どんな顔してやるかだ。もうシーズンが始まる。記録会から始まれば、あっと言う間だ。県大会まで2ヶ月、関東へ3ヶ月、インターハイへ5ヶ月。今のままでいくのと、気持ちを切り換えていくのとでは大きな違いだ。空気はお前達がつくるんだからね。それを楽しみに見てるから。最初の大会をいい空気で迎えられるといいね。2週間で変えられるよ。」と話し終えて、病院に向かわなければならないということで、OBにバトンタッチ。アダチは「まちがったことや終わったことをクヨクヨするんじゃなく、前を向いて切り換えをすること。試合をイメージしてね。」と、最近の雰囲気も心配していたので今日は「これを言おう」と考えては来たが、先生の話を聞いて「そうだっ!と思った」と付け足しに「私は40秒走の最後の時は笑ってました」と言うアダチ(笑)。最近のOBは、私が最初の頃に出会ったOBに比べると、「これを言おう」という意気や、福間先生が何を言って欲しいと思っているか受け取る空気が読めないというか、チームをどう高揚させるかの意気が足らないような気がします。「お前達、福間先生に何を教わってきたんだ!」と言いたくなるほど大いに不満に感じるときがあります。そこへいくとアダチはヒットです。さて、続いてホシノは「これだけのグランド、OB、先生もいるんだから、自分のために楽しんでやって感謝できることが大事さだと思う」と。ミウラは「原点にかえること」と、ネガミは「私は逆に、みんなから力をもらった」と。去年卒業のワカタベは「私も60秒走などでは、笑って、こいつには負けないみたいなことばかり考えてました。強くなりたいからです。仲間がいるんだから、一緒に高めていって」と、オクデラも「個々のつながりを大事に」と。ふたたびアダチが「やった奴は、やった分だけ結果がかえってくる!やらない奴はやらない分、結果がでない!これだけは、はっきり言えます。練習以外のすべての行動がつながる。全部やった奴が上に行けるんだよ。」と言い放って、アダチが仕切って挨拶、解散!っとなりました。もう言うこと無し。もっとも、私は今、口が開けずらいんです。実は先週、親知らずを3本抜きまして。以前、写真で見せてもらった深瀬君のほぺったほどは腫れてませんが。最初の右下1本を抜いた時は出血が多くて大変で。10月でしたか、抜歯の1週間ちょっと後が日本ジュニア・ユースでした。個人的に応援に駆けつけたとき晩飯が焼き肉屋で、あのときは言わなかったけど、まだ、あごが痛くて肉が噛めなかったんだよなあ〜(涙)。最後はほんとのつぶやきです。(2008.3.9)


 まあ、毎年恒例なので、少々遅くなりましたがお礼方々ご報告しておきます。今年はご覧のような大きな紙袋でいただきました(それらしい雰囲気の伝わるものだけ拾い上げて写真に撮っておきました)。連日の会議でグランドへ上がる間もないので、翌日にマネージャーが届けてくれました。ありがとうございます。最近は手作りが増えてますので、日持ちがしないものも多く、いただくのはいいですが、食べきるのもなかなか大変です(汗)。それにしても、ここのところ土曜日の練習くらいしか、おちおちと練習を見に行けないのですが、母の通院付き添いで、それも途絶えてます。陸上部顧問もそれぞれ親の面倒も見なければという状況をかかえる年齢となりまして、誰かしら居ないような・・・。もさて、昨日は関東で春一番が吹いたそうですが、交通機関に遅れが出るほどの天候に。今日も強風はおさまらず、しかも北風に逆戻りの中、横浜国際女子駅伝でした。さて、本格的な春を迎えたら陸上部も旋風を巻き起こすことを期待しつつ、簡単なつぶやきでした。(2008.2.24)


 大阪へ行ってまいりました。以前、3000mで周回間違いのあった因縁の大会です(今回もあったといえばありましたね。受付で受け取った袋の中に、愛知の横須賀高校の選手のゼッケンが入れられてました。それを役員に伝えたら変更届けを書かせられましたが、こっちがやることかいなという感じです。そちらの間違いでしょう、大阪陸協さ〜ん)が、今回は跳躍組と。二人とも間もなく卒業ですけれども、推薦で進学先を決めているので、そのつなぎの意味もあるでしょうか、記録を楽しみに見に行きました。残念ながらイトウは相変わらずといってはなんですが惜しい運び、ホシノは決勝に残って7位、7つながりで7mジャンプも見たかったところでしたが、・・・。二人とも思い出深いものがあります。ホシノは前期入試の時からって話は前にもしましたが、イトウはけっこう遠征に一緒に行ってる回数は多いほうだったでしょうか。一年生の時の関東新人は福間先生が国体に行っていたので私が宇都宮へ引率。雨の降る中、携帯で福間先生の指示をあおぎながら「寒いですか」「寒いです」「じゃあ、身体を動かしてろと伝えてください」・・・「踏切位置がずれてるんですが」「後ろにさがれと言ってください」とまああ、ひやひやもんでした。あれが最初の入賞だったのかな。日本選手権も福間先生は醍醐選手に、私はイトウにって、何の役にも立たないんですけどね、長居の競技場でIDカード付けて、あっ、イトウがIDカード持たずにサブトラから出ちゃって入れてもらえなくなったのでIDカードを取りにサブトラへ入ったっていうのは役に立ったかな(笑)。携帯が鳴って「先生いまどこですか」ってかかってきたときは何事かと思いましたよ。まあ、いろんな思い出をくれましたね。ホシノは2年になった早々から福間先生に3年に頼らずお前が仕切れとか言われて、とまどってましたが、なにしろ、しばらくは短距離男子が一人しかいなかった中、よくやってきたものです。とにかく後輩達が先輩達の流れを継いでいってくれればなによりです。まだ受験をひかえた他の3年生達は頑張ってます。朗報を待ってるからね。(2008.2.11)


 明けましておめでとうございます。また閏年が巡ってまいりました。オリンピックイヤーですね。さて、さっそくですが、今年の箱根駅伝は早稲田が古豪復活ののろしをあげたと言っていいでしょうか、大学創立125周年に華を添える早稲田としては、さい先のいい年でしょうか。それにあやかって言うならば、今年は横高も旧制中学から数えて創立100周年を迎えるわけですから、古豪復活の気概を若い子たちにも、もってもらいたいものです。まずは仕事始めの今日、初詣に。学校から諏訪神社までの道は、私にとっては、かつての通学路ですから(もっとも自転車でしたが、往年の卒業生にはご存じの理科の堀江先生のご自宅前あたり坂では変速ギヤを入れ替えるとチェーンがよくはずれたなあなんて思い出します)、今回は部員と一緒に走ってみました。まあ、今でも陽気のいい時分には通勤に歩くことはあるのですが、なんとか大丈夫だろうと走ってはみたものの、やっぱりちょいと辛かったです。だいぶ前に三浦マラソンで10キロを走ったときに膝を痛めて、やっぱりそのあたりにピリピリきたので、途中歩きましたが、帰ってから痛みが出て、階段はきついです。三浦先生に言わせると「やめときな、身体こわすよ」って話ですね。ちなみに、おみくじはパワーストーン付きというのを引いてみました。引き当てた石は「仕事運向上」だとか・・・ううむっ、今年も働かされるのか(汗)・・・で、中吉ということで、うれしさも中くらいというところでしょうか。学校に戻ってトレーニングの後、お汁粉をいただき、それから全員を集めて年頭に当たっての話をしました。ご心配いただいているOBも多かろうと思いますので、本来は私ごときの出る幕ではないと思いますが、先ほどの箱根駅伝の早稲田の話などを引きながら。でも、本当はOBに、おせっかいのようでもジャンジャン言ってもらえるのがいいと思います。横高陸上部の“あるべき姿”みたいなやつを。いわゆる「もの言うOB」っていうのは必要だと思います。ほんとに昔話でもいいんですよ。「自分のいた頃はこうだったよ」と。社会人になっても上司から聞く昔話のようなモノは若い人にとって敬遠されるような風潮がありますが、私は、古参の話から重要な要素を聞き取る力というモノを若い者が持たなければいけないのだと思います。なにか脈々とつながるものを感じ取れて私は昔話めいたものは好きですけどね(もっとも同じ話の繰り返しは閉口しますが不思議と、ある回数を超えて覚えるくらいになると「それでこうなるんですよね」「そうそう、よく知ってるねえ」みたいな感じで妙に歯車があってきたりして)。まあ、そんなこんなを今日来ていたOBに話したところ、さっそく56期すずめ300さんなる方が掲示板に書き込みをしてくれてあります。さりげなく練習に対する姿勢なんかも、うかがえるじゃないですか。ありがとう、察してくれて。こういう感覚ですよ、横高生として持っておいてほしいのは。OBのみなさま、現役の中に、「この子は自分の思いを継いでくれそうだ」という相手を見つけて、大いに語りに来てください。なにしろ100周年ですから、脈絡有りませんけど(笑)。とりあえず私は年男です。高三の時は70周年でした。(2008.1.4)

追伸:翌日は腿にかけて筋肉痛に襲われました。三浦先生が箱根駅伝のおみやげってわけでもないですが、コートを生徒にプレゼントしてくれるということで、「欲しい人?!」と募ったら全員だったので、大ジャンケン大会となりました。結果、勝者はイイジマ。コートを手中に収めたイイジマは「運を使い果たした気がする」とつぶやいてました。まだまだ、運を使うのはこれからだからね!(2008.1.5)


 この秋から3年生の希望者を対象に土曜講座なるものが始まってます。なんとなれば、今年、神奈川県教育委員会から学力向上進学重点校の指定を受けまして、この間の高校改革の流れに、さらに拍車がかかったというところでしょうか。でもまあ、必要な面もあるでしょうし、私の受け持つ講座にも陸上部の3年生の姿も見えますが、国語のセンター試験対策の講座を終えてからグランドに上がりました。今日は恒例の○○芋。今年はフカセ君が大活躍と言ったところでしょうか、マイゾーンをつくったりして(笑)。それにしても、雨が降ってきたり、なんとなく今年を象徴するような・・・でも、しばらくすると止んで、無事に、おいしくいただきました。車も丁寧に拭いてくれました。みんな、ありがとう。いいチームにしていこうね!(2007.12.22)


 秋田国体に行ってまいりました。が、残念ながら奥寺は三段跳の一回目助走合わせの時に右かかとを傷め、逆足での踏切も試みるも三本の試技とも跳躍になりませんでした。試技と試技の間に跳躍イメージを繰り返し、なんとかしようなんとかしようという表情が目に焼き付きました。終了後、神奈川県チームのテントへ行ってみると、氷嚢をつけ、ぐるぐるまきの右足を見て心配しましたが、経過はどうでしょうか。上野のほうは学ぶことの多い大会ともなったようです。それにしても国体の雰囲気というのはいいもんですね。神奈川の選手同士がお互いの健闘を讃え喜び、高校生部隊は次から次へと種目ごとにまとまって応援に向かってました。応援と言えば、OBをはじめたくさんの方に支えていただいてガイアシンフォニーの自主上映会の方も無事盛況のうちに成し遂げることが出来ました。日本の高校生はどうも社会的な取り組み意識が低いと感じられる中、こうした取り組みができた意義は非常に大きいと思います。いろんな意味でいろんな方面で意識の高まりにつながればよいと思います。(2007.10.7)


 ありがとうございます。今日から福間先生は世界陸上の方へ醍醐選手のコーチとしてお出かけで、顧問は私だけでしたが練習後、2年生の主立ったところが集まって、プレゼントを手渡されました。中身は年々グッとまともになってきて(笑)かわいらしい置き時計でした。やっとモヤイの呪縛からも解かれたというような気持ちです(爆)。それから、オクデラの手作りクッキー付きということで、もう昼も回り、小腹が空いたところだったので、さっそくいただいてしまい、写真は撮れませんでしたが、おいしゅうござんした(これもモヤイじゃありません、普通に仕上げたクッキーでした)。久々にコラムの方も更新しました。当のアダチは今度は受験準備に頑張ってます。それから配給元からのご了解もいただきましたので、ガイアシンフォニー自主上映会のPRも掲載。こちらのメンバーも受験勉強の傍ら頑張っていることと思います。さて、ここのところ、部員の練習後、じゃまにならないところで、軽くトラックをジョグして腕立て腹筋やらを少々、日課としております。三浦先生に、運動不足と笑われたもんですから(汗)。三日坊主で終わりそうだったんですが、なんとか続いてます。陸上部ジャージはいて、生徒にとけ込んでます(笑)。生徒に「ファイト」なんて声かけられると気恥ずかしいし、「頑張って下さい」なんて言われると「頑張らないよ」なんて天の邪鬼な返事をしてみたり・・・でも、汗を流すのは気持ちがいいもんですな。なのに、今度は三浦先生に「やめときな、身体こわすよ」と言われました。(2007.8.22)


 けっこう、ここを楽しみに、のぞいてくださる方も多いんですね。あまり下手なことも言えませんが、つぶやきなので、そのまま語っちゃいますが。いやはや実にどうも、今日は恐れ入りました。何がって、アダチの引退挨拶ですよ。活動報告のところにも載せましたが、これほど端的に後輩のために語ってくれたのは実に嬉しい限りでした。「私は2年前の1年生の時に、先輩達がインターハイの報告をしているのを聞いて、来年は何でもいいから私がインターハイに行くんだと決めました。そして3年生になって引退の挨拶の時には、インターハイで入賞しましたと話すんだと心に決めました。」みたいなことを言うじゃないですか。「そのために私は他の誰よりも努力をしてきた自信があります」とも。確かにそのとおり。それも辛そうじゃないんだよね、ほんとに楽しそうというか、そりゃ大変には大変だけど、好きなんだなあと感じさせる姿でした。それも、こういう目標があればこそだったんですね。「みんなもできるよ」と!去年の合宿、福間先生の誕生日の時のアダチの言葉をこの“つぶやき”の頁に拾ってきましたが、一段と染み入りました。至福の思いに満たされたというか・・・この余韻・・・しっかり残したいですね。いや、今日の話が聞けなかった人がいるのは、もったいないなぁみたいな思いから簡単に、ここに刻んでおきます。OBはマスダやツクノが来てました。ツクノは「アダチの話を聞いたら帰ります」なんて、早々集合前からグランドに上がってきて、そのためだけに来たみたいな。ラッキーだったねえ。そうそう、思い出しました。佐賀の競技場で表彰が終わって、もう暗くなった中、三浦先生とウトとオチアイやエンドウと荷物の積み込みをしているところへ自転車に乗った地元のおじさんが近づいてきて「あっ、横須賀高校の人たちですか。アダチ選手はいますか」と声をかけられました。もう先に宿に戻ってしまって、いないんですよ、と答えると、「そうか残念だなあ。ジャージに横須賀って書いてあるのが見えたから、もしかしたら会えるかなと思ってね。試合を見て、素晴らしかったです、感動しました、ありがとう」と言っていただきました。すごいねえ、いろんな人に感動を与えてたんだね。まあ、私もアダチのひたむきな姿に随分と元気をもらったし。次なるムードメーカーになるのは誰でしょうか。引退挨拶のあと、女子の後輩部員たちはアダチに寄せ書きらしきものを贈ってましたが、『贈るより、受け止めて』ね!!と、これまた念じつつ、長崎原爆慰霊の日に。(2007.8.9)


 ちょっと怒っていいですか。記録の更新そっちのけで、「つぶやき」の方を先にしてますが。なんかホームページ更新する楽しみがなくなってくるというか何というか。雨に始まって雨に終わった地区総体。台風はなんとか東の海上に去り、順延した2日目、競技終了と恒例の卒業アルバム写真撮影までは天気はもちましたが、最後のミーティングで引退する3年生の話の最中に降ってきちゃいました。3年生の女子の挨拶は、なかなかいいいことを謂ってくれましたが、その前の話が無駄に長かったと思えてしまう、・・・雨に濡れるのを我慢して聞く甲斐があったとは思えない!そりゃあ、いつもの段取りで、まずベストが出た人から話すのはいいとして、ベストが出たから何だって言うんだい!それがチームにどう貢献した結果だったのかのコメントが、これっぱかりもありゃぁしない !! そんな自己完結した話なんか聞きたかないよ。一月前から去年の高総体の結果を確認させて、目標をもってもらうつもりで折りにふれて語りかけてはみたものの、まったく流しっぱなしにされたってことかな。これまでも、ちょっと抑えて「悔しい」という言い方をしてきたけど、もお情けないを通り越して馬鹿馬鹿しい。いま入力しているキーをたたく力も怒りでバチバチいってます。チームになってないんだよ、チームに!三浦先生が言った「同好会じゃない」って意味もまだわかってないみたいだね。「ベストが出てよかったね」ってほめ合って終わりかい。三浦先生の「次につなげるために、負けたにせよ、負け方ってものがある」って言葉も、伝わらなかったのかなあ。今日は順延したためにPTAの進路説明会と重なってしまって、はまゆう会館で話をしなきゃならないから12時半から2時半まで競技場を中座。地区高体連の陸上専門部では手は足りないのはいつものこととはいえ、写真判定室は浅見先生だけになってしまって申し訳なくも。おまけに競技が見られないのも残念で、ビデオをあとで見せてもらえばいいかと思ったら、「今日は撮りません」だと・・・あとで気をつかってニシオやクラモトが学校までビデオを取りに行ってくれたみたいで、オオバだとかが撮ってくれてたような。テープを借りて家に戻って見てみると、まあそれなりに勝負してるらしい姿も見受けられるものもあったけど、どうも全体の意識になってないんじゃないの。雨が強くなったので、福間先生の話もなく、解散がかかったところで、あまりに不満だったので男子だけ集めて言わせてもらいましたが、わかったかなあ?それに、この「つぶやき」を生徒で読む奴いるのかなあ。こんな奥まったところまで普通見る人も少ないだろうけど、もし読んだら、生徒はわかってくれるかなあ???あっ、あと今回は若村先生ありがとうございました。それから、「どういたしまして」、もう雨が降って来ちゃったから早々にしちゃったけど、フクダとネガミへ、わざわざ挨拶ありがとう。まあ怒りを静めて今日の3年女子の凛々しい姿を載せておきましょうか。福間先生も「せっかくだから記念に女子だけで撮ればいいじゃないか」とおっしゃっていたことですし。男子はまだ引退しないし、でも、頼むよ。(2007.7.16)


 なんだか忙しゅうて忙しゅうて。去年も負荷のある仕事を任されて、今年はナンタラ教諭とやらにさせられてしまったので会議も多く、下手すりゃ練習より長いときがありますから。ああ、いかん、ここは“つぶやき”でした。とにかく台風が近づいております。近年最強とか。地区総体ですが、去年の地区新人に続き雨にたたられとります。消耗します。が、部員たちは競技はもちろん、大会運営にかかる手伝いなど雨の中でもよくやってくれてます。引き継いだばかりの2年生による段取りはまだ手慣れぬ部分もあるようですけど。先週水曜日には、去年は行わなかった引き継ぎ会を開きました。新部長、新ブロック長からは今後を期待させる決意表明がしっかりと述べられていたかと思います。三浦先生から、これからクラブの中心になっていく2年生に対して「4月から見ていて気に入らないところがある!同好会じゃないんだから」と、競技をする志を高くもつようにとの話もあり、緊張感をもって受け止めてくれたかな。3年生とも折に触れ話してきました。ホシノとは南関のときに、今年は宿舎が温泉宿だったので、風呂に入りながら2年生への引き継ぎについて話をしたのもちょっとした思い出になりました。まあ、綿々たる伝統の重みも励みにしていってほしいものです。その重みといえば、地区総体の打ち合わせ会議の夜、今年横須賀総合高校定年退職を迎えられた石井先生を囲む会もありました。インターハイ総合優勝を果たした昭和39年の国体に出た一週間後に新潟地震があった話にかかわって諸々、興味深いお話も多くございました。なんか、まとめ書きをしちゃいますが、日本選手権もイトウのお陰で引率かたがた観戦の機会を得ました。毎年、生徒たちのお陰でインターハイもそうですが、レベルの高い試合を目に焼き付けることができるというのはありがたいものです。イトウも卒業までに高く定めた目標を果たすのを楽しみにさせてもらいます。イトウと同じくインターハイ路線は逃したものの、オクデラもこのところ何かスキルを新たにつかんだようです。アダチの力強さといい、ウエノの試合運びは見ていて実に気持ちがいい。元気を与えてくれるような気がします。ここで名前を挙げたくなる部員の活躍が増えることを、わざわざ“つやき”まで読んでくださる方々も楽しみにしていただければなによりです。そうそう、今日は雨にもかかわらず今年の卒業生がけっこう来てくれました。先週の県選は小田原にもかかわらず、ヨコヤマの姿、ひっさしぶりだったなあ。ナリタは南関でも会ったけど。いやはや、昨日は指定年齢健康診断で病院まで出向かねばならず、壮行会はマネージャーのオクダに写真撮影を頼んでおきました。このまたオクダがたいしたもので、3月の卒業生を送る会でも、会議で中座した間の話をメモっておいてと頼んだら、しっかりやってくれました。最近は1年生のタナカですかね。不入斗での写真判定関係の設営準備ではこれまでカワゴエをイチの子分として(笑)よくやってもらいましたが、もう3年生なんですね、なんとなく寂しさも感じます。今日も雨の中、2年のクラモトやハットリ、1年のハタケヤマといったところがタナカも含め動いてくれて。ビームやタイマー設営が任せることができると、こちらはカメラやPCに回ることが出来るので、かなり時間短縮がはかれ、助かります。昨日のうちに雨の場合の準備段取りをタナカに伝え信頼してみました。ちなみに、ちょっとビックリしたんですが何のご縁か彼とは同じ誕生日でして・・・。ふ〜、腹のバリウムも少し軽くなってきたので、久しぶりにつぶやくことができました。でぇはまた。(2007.7.14)


 やっと、つぶやきたい気分です。毎年この時期の部員の活躍は、私にとっては何よりの誕生日プレゼントですから。県大会初日、男子が楽しみです。まずはホシノが横高記録を更新!2年前の推薦入試の面接官が、たまたま私でした。高校での目標はと尋ねると「7m跳びたいです」と、きっぱり答えたのを覚えています。その公約を今日、果たしてくれました。試合前にも、もう「7m跳びたい」という漠然とした思いではなく、「7m跳ぶんだ」という明確な意志を持たなければいけないと伝えました。そのとおりの様子で、なんの迷いもない感じで、見ていて気持ちがいいです。最後の4継は、女子は100分の1秒差で決勝進出を逃し、男子はみんな突っ込んでいく勢いを感じましたが、惜しくも8位同タイムで抽選となりました。番組編成の部屋へ呼ばれて入るホシノを見送りながら、福間先生は相手の法政二高の顧問の先生に「ジャンケンしてみようか」(笑)と。するとチョキで勝ったとたんに、すかさず三浦先生が「そこで運をつかっちゃダメだってぇ。ここは負けとくんだよ」(爆)。当のホシノは、くじ引きで頭かかえちゃってました・・・。まあ、抽選落ちという結果は結果で仕方がありません。久々に動画もアップしてみました。競技役員の記録情報の仕事をしていると、おちおち試合を見ている暇がないもので、生徒が撮っているビデオを見せてもらおうと借りて帰って見たところ、なんと!踏み切ったあとの着地が映ってない!!見たかったなあ〜。まあ、これまた仕方がない。そんなわけでアップしたのも、あんな動画です。あと女子の方はオクデラ、アダチは手堅く?といったところでしょうか。でも、欲を言えば、もっと横綱相撲をとってほしい感じです。それから、イトウには全国高体連から全国10傑6位のメダルと特級のメダルが贈られました。いや、大会本部で配られたのを預かったんで、私から手渡しただけですが・・・。ベスト10と刻印されたメダルでした。彼女もホシノの跳躍を見て、やる気になってます。こういう雰囲気がいいですね。一人一人の活躍がチームを励まし、力となる。明日も楽しみにしながら、それでは。(2007.5.12)


 今年も有り難く頂戴いたしました。職員会議が長くて、その後、ピロティへ行ってみると「女子、ちょっと集合」とアダチの声がかかって、女子部員からですと頂きました。みんな一人一人が持ち寄ってlくれたようで、カラフルです。あと、イトウが大阪室内に行ったお土産ですと。試合の方は残念ながら記録なしに終わってしまったようですが、これからです。今日は春一番が吹いたようで、春に向かって勢いを付けてほしいところです。昨日は卒業生が来て合格の報告をしてくれました。1年間の浪人生活も無駄ではないはずです。ほかの58期もどうしてるかなあ。59期生も受験に今がんばってます。(2007.2.14)


 昨日は陸上競技部保護者会懇親会、楽しいひとときを過ごさせていただきました。学校での様子も少しは伝わりご安心いただけたことと思いますが、こちらも部員ひとりひとりの像がより鮮明になったようにも感じました。知らなかったなぁ、忘年会があったのかあ・・・おっと、内緒の話でしたか(笑)。福間先生からは「一瞬の風になれ」(佐藤多佳子著 講談社)のご紹介がありました。よろしかったらどうぞ。さて、会計後の残を、ありがたくお預かりいたしました。幹事役の方々、ご苦労様でございました。また、みなさま、夜分に横須賀まで遠方で、たいへんだった方もおありでしょうが、ほんとうにありがとうございました。これからも支えてくださいますよう、お願いいたします。また、今日は朋友会の新年会で。ケニアに行ってらっしゃる13期の小林さんもお見えで、まあ声の大きな方で・・・校内幹事なので受付を担当して、終わると今度は横須賀陸協の新年会へ。14期くらいでしょうか馬淵さんや22期の田中さん小島さんから昔の懐かしいお話などをうかがいました。田中さんからは「僕らの時からユニフォームが今の色になったんですよ」と。馬淵さんが「なんで、あの色にしたの」と聞くと「知りませんよ、本間先生が決めたんだから」と田中さん。そこで本間先生にうかがってみると、「いやあ目立つと思ってねえ。でも石井くんからも『なんで変えたんですか』と叱られましたよ」と笑っておっしゃってました。馬淵さんの頃にはライン入りを初めてはいたんだとか。インターハイに行っても、そんなのは見かけないので、かっこ悪いなあと当時は思ったそうですが、本間先生は「『画期的ですねえ』と言われたもんですよ」と懐かしそうにお話くださいました。本間先生は今回横須賀陸協の会長職を交代され、新しく斉藤幸次先生を会長に新体制で運営します。斉藤先生には馬堀中学校のときに教わりましたが、馬淵さんも田中さんも、たまたま近くに座った皆さん、私も含めて馬堀中学校だったと改めて知りまして、「昔の馬堀中のグランドはねえ」とか近しくお話をうかがえて楽しくもありました。ではでは。(2007.1.27)


 2007年が明けました。今年もよろしくお願いいたします。今日は練習始め。諏訪神社へ初詣。OBも毎年のように来てくれる人があるのはうれしいですね。今年の絵馬には「勇往邁進」をベースに「愚公移山」でいこうとのことで、この言葉(「愚公山を移す」とも言います。「どんな難事でも、志をもってそれに専念してひたすら努力すれば可能となるたとえ。」中国・戦国時代の『列子』に見える故事による。愚公は愚直一途に徹する性格にちなんだ人名。昔、黄河下流に二つの山がそびえ、人々の出入りの妨げとなっていた。そこで九〇歳の愚公が山の除去を思い立ち、わずかな手勢で作業をはじめる。周囲の中には老いの身で出来るわけがないと嘲笑する者もいたが、愚公は「自分が死んでも子や孫、またその子や孫へと引き継いでいけば、いつかは必ずできる」と実際にやり始めたところ、天帝が愚公の心意気に感心して、二つの山を神に背負わせて運び平らにしたという。「こざかしい人知にとらわれることなく、人としての誠心誠意を尽くす努力の尊さが表されている。」とは岩波ことわざ辞典による釈)を選んだそうです。おみくじを引いて吉だ大吉だと大騒ぎ。
ちなみに私は、ここだけの話、引いてみたら凶でした。今年は慎み深くいきたいと思います。戻ってから練習後は恒例のお汁粉。なかなかよくできてました。そうそう、昼飯は喜よし食堂へ。今年も正月休みは箱根に行ったそうで、箱根駅伝は「ちょうど順天堂の今井君が東海を抜くとこ」を見たそうです。それでは、今年もぼちぼちやっていきますんで。(2007.1.4)


 カウンターが100,000(壱・拾・百・千・万・10万ね)を回りました。その刻印の意味も含めて、つぶやいておきます。今日は大掃除、ここ数年のうちでは早く仕上がったほうだと思います。去年出来なかった排水溝の中もさらうことができましたし、トラックとフィールドの間の側溝も、ほぼ一周さらうことができました。おかげで腰が痛いです。03年の11月28日の活動報告の画像に載せてもいますが、以前はよく奈良場などが機会あるごとに掃いている姿を見たものです。テスト期間付近の空いた時間に、試合で使ったシート類を洗って干したりと日頃の心配りが見られて感心したもんです。今年最後の解散前に『夢をかなえる「そうじ力」』という本の話をしました。「マイナスを取り除くそうじ力」と「プラスを引き寄せるそうじ力」という2つのパワーについて書かれた本です。成功を阻むマイナスエネルギーを取り除かなかれば、いくらプラス思考を持ってもサイドブレーキを引いたままアクセルを踏んでいるようなもの。「換気」「捨てる」「汚れ取り」「整理整頓」そして、総仕上げとして「炒り塩」によるフラットな磁場の完成。さらに、成功に接続するプラグとして「感謝」の磁場づくりなど示唆に富む内容です。それでは、支えてくださった皆様に感謝しつつ、本年はこれにて。(2006.12.28)


 今年は関東合宿や強化練習へ行くメンバーもあるので、例年よりちょっと早めの○○芋でした。職員室で朝から仕事をしてて、ゴトウから「それそろ」ですと電話が入り、オクデラから「できました」とメールが入り、行ってみると、今回はヤカンも登場。なかなか火がまわらず、タカハシが一生懸命あおいでました。出来上がって、みんなが群がってる頃も、口にせず頑張ってて、ずいぶん長丁場になりそうだなあ・・・という感。フクマ先生も「あきらめも肝心だよ」なんて、・・・見かねてショウコなどを応援に行かせて、ようやく・・・、フタを取ったときに沸騰したあぶくを見たときは、ちょっと感動。タカハシも大喜び。紅茶やコーヒーを入れてくれて、あたたまりました。アダチが「これは絶対においしいと思います」と手渡してくれたサツマイモは、まぶしいような黄色に輝き甘くておいしゅうござんした。最初にホシノが私に取ってくれようとしたんですが、ほんのちょい先を越して女子のスズキが「先生、どうぞ」と手渡してくれたのをホイルをむき、どんどん小さくなるなあと思ううちに、さらに新聞紙にくるまれているのでそれをむき、ますます小さくなったと思ったところで出てきたのはジャガイモ。でも、これが塩など振りかけずに十分いただけました。サツマイモにハチミツかけて食べてる生徒もいて「すっごくおいしい」とは言ってましたが、なんかそのままの味がきえてしまうようでもったいないなあとフカセくんと首をかしげたり。あとはいつからか定番になった里芋とリンゴ。ややリンゴは余り気味?もう充分というところへカワゴエから、コンドウからと立て続けに薦められて、やや閉口。マネージャーのオクダは、いいタイミングで、お茶など持ってきてくれます。それからイイジマの人文字?なんだかなあ、いや、それよりサングラスのほうがインパクトがあったかな。片付けたあとは、最後に「車を拭かせてください」と、みんなできれいにしてくれました。今年はグランドへの坂の途中に駐めてあったのでフクマ先生の車はいちょうの落ち葉が積もって手強いことになっていたり、私のは自宅の車庫で猫に踏まれてボンネットからフロントガラスにかけて足跡がついたりしてたのもスッキリ。ヨシオカは「先生の車、きれいでしたよ」って言ってくれましたが、秋にフクダたちが掃除してくれたりもあったし、ほんと、みんな、ありがとう。これからも頑張ろうね!こちらもまだ3年生のテストをつくらなきゃいけいけないし、明日は出張しなきゃいけないし、ここんとこ、いろいろ仕事に追いまくられて部員の顔を全然見てなくて、繁忙な谷間のちょっとうれしい日でした。(2006.12.16)


 関東駅伝の競技場近くに関戸神社というのがあるということで参拝に。行こうと言い出したときにオチアイは「え〜御利益はぁ・・・??」なんて言うもんですからセキドは「絶対ある!少なくとも私にはっ!」と憤慨(笑)。まあ、ご利益はあったのでしょう。私にはありませんでしたが、なにしろ災難でした。関戸大神と掲げられておりましたが、ごく町中の小さなお社でした。さて、そのほか今回は、「かわいげがない」など失言というかキーワードというか、けっこうありまして・・・あっ、書いちゃいけないって言われてたんでした・・・爆
。とにもかくにも、今回も保護者の方々はじめ、応援・ご支援ありがとうございました。帰りに風土村に寄って、みなさんと一緒に食事。ポニーがいたり、豚がいたり、竹馬したり。そうそう、銚子で食べた魚もうまかった!宿の風呂もよかったし。なんて書くと、何しに行ったんだかわかんなくなっちゃいますね。(2006.11.25)


 雨です。季節も立冬を過ぎ冷えて参りました。雨と言えば、地区新人も雨でコンディションとしてはよくない中・・・なにしろ朝から雷は鳴るは・・・結局ポールは延期したり・・・なによりも何と言いましょうか市記録会の時もそうですが、写真判定周辺機器類のトラブルがここのところ多く、まったくもって疲れさせられます。もう人為的なものではなく、機械の方の都合ですから、訳が分かりません。要らぬ緊張感でへとへとでした。なんとか地区新人では、へんてこなトラブルは起きず助かりましたが。あとは部員の方では、天候はおいても、来年へつなぐ士気の高まりというのを期待したいところでしかたら、力も気も強くあってほしいものです。さて、今日は横須賀市陸上競技協会創立70周年記念式典・祝賀会ということで市長をはじめ多くの来賓をまじえての会でありました。会長の本間先生は最初のご挨拶もやや緊張気味。来賓の祝辞のあと、関係の古株の方から往年のお話をいくつかうかがいましたが、いやあ、昔話は尽きないようであります。そりゃあ、それだけの歴史があるわけですから。どのへんで終わるのかなあと総合高校のA先生はタイムキーパーみたいになってましたが、司会も苦慮しながらも和やかにお開き。さてさて、明日は健康診断なので、お酒の方は控えめに、そして夕食以降は飲食禁止、とほほ。(2006.11.19)


 県新人3日目、男子は初日のホシノに続き1年生のウトが関東選抜へ駒を進めました。競技役員をしていると表彰の写真を撮ることもまま成らず、あとで生徒が撮ったビデオなどを借用し画像として取り込んだりするのですが、必ずしも揃いません。あるいはアングル。表彰台の1・2・3という数字も写し込んでおきたいところなのにアップばかりだったり。今日も、やり投競技中に表彰が始まり、オクデラの分は撮り逃したとのこと。仕方なくNEWS欄にはウトの写真だけを掲載。久々の男子の活躍に、うれしくもあり、ひいきだと言われれば、はっきり「ひいきしてます」と言い返すことに臆しない心境でもあります(笑)。文化祭の真っ最中、自分のクラスに後ろ髪引かれる思いはあるものの、それを振り切ってまで来た甲斐があったと言っても良いような心境でもあります。う〜ん、それに、こう言うと変かもしれませんが、率直に、オクデラの分の写真は、彼女にふさわしい記録での優勝を華々しくご紹介できるときを期待しつつ。(2006.9.30)


 県新人2日目を終わりました。初日は学校の施設を会場に地域の敬老会があり、毎年ボランティアでバレー部女子の寸劇や室内楽部の演奏に加え、私は落語を頼まれるものですから、午前にそれを終えて、昼過ぎに小田原へ向かいました。前日の練習の折、ホシノとウトに「学校で午前中ひと仕事あって見られないから、必ず跳んでベスト8に残ったうえで関東で見られるようにしておいえくれよ」と言い置きました。その場に居合わせたサトウは「じゃあ、僕は表彰台ということで」なんて言ってましたが、棒高跳8位タイに付けて、ホシノは見事1位で約束を果たしてくれました。幅跳びはまだ関東で見られます。そしてゴトウも3000mSCで決勝まで進み、「決勝では9分台狙います!!」と公約を果たしました。まさに有言実行の姿を見せてもらうとともに、男子に楽しみな動きがやってきました。女子七種競技も1日目を終えたところで1位が同点で二人という珍しい展開。2日目の今日、アダチが1位を死守するか、幅跳び、やり投げは先行するも記録はトントンのいい勝負。最後の800mまで目が離せない運びとなりました。ゴール上でもつれて1着は2'24"28、2着アダチは2'24"29。相手も逆転をかけて必死に迫ってきました。オクデラは3位につけて表彰台でツーショット。さらに決勝へ進み、点にからむ活躍も、円盤投げのフクダ、400mHのタカハシ(せっっかくの決勝、水壕あたりでころんでしまったのが惜しかった・・・)と続き、勝負強い雰囲気を醸し出してくれたと思います。さあ、熱い闘いが続くと思いますが、後半もホシノ、アダチに続いてほしいと思います。
(2006.9.18)
追記:雨に濡れたまま車に乗って汚してしまったのでと、フクダが他の部員たちを連れて翌日、車を掃除してくれました。感謝感激雨霰。


 先日もらったプレゼントの中のクッキーをつまんでいくうちに、ふと・・・なにやら型が押してあるような、そして横向きとおぼしき形のクッキーも。これは、もしやと、作り主というミウラに念のため聞いてみました。“あれ”って・・・?
「はい、モヤイなんです」
がーん、まいりました。そうきたかと。おいしいモヤイでしたけどね。まあ今回のつぶやきは、それだけなんですが。夏休み終了で、明日から授業です。(2006.8.27)


 さて、今年も福間先生の誕生日に併せて私も部員たちからプレゼントをいただきました。「今年はモヤイじゃないだろうなあ」って言っちゃいましたが(爆)、「つかってください」と言って手渡してくれたので、たしかに使えるものでした。デリケートなお尻を包む、じーんわり低反発の円座クッション(ラベンダーの香り)。ダブルウォールグラス。そしてクッキー、手作りのかな。さて、どこで使おうか・・・学校にしようか、自宅にしようか・・・。う〜ん、学校じゃ汚れやすいかなあ、やっぱり家かなあ、と迷いつつ、とりあえず持ち帰り、尻に敷いて更新作業。なかなかよいです。ありがとう。渡されたときも部員のみんなを前にお礼の言葉とともに「“古豪復活”という言葉に象徴されるように多くの人が期待して見つめているチームのサポートができることを嬉しく思っているし、そのメンバーのみんなからの気遣いをありがたいことと思う」と一言。主役の福間先生の方は、呼びに行った2年生のミウラに「プレゼントよりもチームがしっかりすることのほうがうれしいよ」と告げ、それを伝え聞いたアダチは素直に「そりゃ、もっともだ」と早い反応、賢いですね。受け取ってもらえず残念そうな表情もみんなにありましたが、練習の後は、関東選手権で遠征の段取りを福間先生から叱られ叱られ仕込まれたアダチとイ藤の陣頭指揮の下、テントの張り方練習。てきぱき手際よく、ぼーっとしている人間をつくらない、手が空いたらすぐ「○○してっ」っと指示がとぶ。新チームは、しっかり始動の途についているようです。あと今日は鈴木徹さんが練習のためグランドに訪れていたのでサイトのリンクの了承をいただきまして、彼にちなんで関東選手権で山梨を訪れた時の写真もupしてみました。場所は分かる人にしか分からないと思いますが。(2006.8.23)


 やっと地区総体の結果をupしました。なにしろ役員業務で忙しく、選手の活躍をビデオにおさめることはおろか記録を控えておく余裕さえありません。特に地区総体は審判・役員が少な過ぎます!2日目は写真判定審判が1.5人(?)。私は記録と兼務させられて、てんてこ舞いでした。22期の田中俊郎さんが判定員で一緒にいてくださったから周回確認はじめ、なんとかなったものの・・・。今年から追浜高校に赴任した大石昌広くん(45期かな。前任校で陸上部の顧問をしていた時に鈴木浩先生にお願いして合同練習をさせていただいた当時、彼は部長でしたか、きりっとした姿を覚えてます)は投擲審判から出発係に回されて「3人で回す大会なんて聞いたことないよ!もう来ないよ!!」なんてぼやいてました。おまけに暑かったし。一方、合宿のほうは梅雨明けが遅れているあおりか雨にもたたられ、初日は寒いくらいでした。それにしても、どうも上から下へのつながりが年々いまひとつというか。OGの52期イワタさんが「先輩から合宿は県横が引っ張っていくんだよと言われてきた」と、よく後輩に話していた姿を思い出しますが、現役時代に上が伝えていく、下が学ぶという関係性が希薄になっていることを憂えてしまうのはどういうわけか・・・横高に赴任したばかりの頃は3年生や2年生を見て、ただただ感心するばかりでした。それとも傍観者的な立場から、より部内部に立ち入る位置に私が立てるようになったから、授業で生徒に感じるような不満を部員にも感じてしまうのか。でも実際、合宿から横須賀に戻って20時には解散して見送ったはずが、帰宅が0時近くになった部員がいたために何かトラブルでもあったかのような誤解を招いてしまう・・・個人的にも遅くなるなら家庭と連絡をとるという基本的な生活習慣というかそういうものが身に付いていないというか以前なら横高生として当たり前すぎて気にかける必要もなかった部分が目に付いてしまう・・・。天候に左右され合宿の予定が急遽変更になり、それに加えて疲労もたまってくる頃にぼろぼろっとボロが出ることに見かねて合宿4日目の夜に私の独自の判断でミーティングをもたせてもらいました。その場で折しも2年生のアダチから「県横として恥ずかしいことはしちゃいけないんだよ」的な戒める発言がありました。最近、私は授業やクラスのホームルームで帰属意識の薄れた今の子たちに向かって横高生としての「恥を知れ」という言葉を発するのですが、このとき、成長した県横陸上部のニューリーダーの姿を見て、たのもしく思ったものです。どうぞOBの方々、現役に直接、古の姿を語ってやってください。そうすれば「坂東武者」も「勝利を目指し」も伝わっていくはずです。いや、歌うぐらいは私でもできますが。田中俊郎さんとも判定室の中で「横高からもっと理系に進んでほしいよね」「勉強ばかりじゃなく読書もしたなあ、文学作品とかね。部室でもけっこうみんな本を読んでましたよ」などのお話を伺ったのも私としても楽しい思いでした。本間先生は競技場では必ず部員に声をかけてアドバイスをくださっていますし。ありがたくもすてきなことと
感じ入っております。さて、今日は結果的にあいまいになってしまった合宿の目標も再確認してから練習を始めました。@秋シーズンに向けての強化トレーニングAチームワークの強化。あらかじめ予期して臨んだ部分は合宿中ちゃんとこなせたんだから、力はもってる横高生。ということは必要なのは、来年の自分はどうなっている、自分はどういうふうにやっていこうという具体的なイメージを持って、いま何をやらなければならないか何を見ておかなければならないのかという心構えだね。新しい横断幕が届いて今日お披露目もありました。福間先生が探してきた言葉で「横高陸上部の昔からのものというわけではないけれど」と福間先生も前置きされましたが、まだ意味を知らない部員は先輩から聞いて、この精神をかみしめ新たな気持ちでいくようにとの締めくくり。私には53期タカハシ君の声で耳に残ってます。だからOB・OGはありがたい。(2006.7.29)


 神奈川選手権も終わり手前味噌ですが、担任クラスのミヤガワ・セキドそろって関東選手権へ進むこととなりました。ミヤガワ曰く「まだ引退しません!」っと。セキドは故障上がりで高総体には間に合いませんでしたが、ここへきて調整が成ったようです。横須賀選手権でも1500m・3000mともに大会新。やはり耐えて頑張っていれば報われますね。先週の5000mは7位ということで残念でした(本人も「やっちゃいました」と悔やんでました)が、今日は満面の笑顔でした(あっ、そうそう、画像に見えるように関東大会に向けて横断幕をあしらった揃いのTシャツをつくったんですよ)。10000mのラスト5周あたりから、ミヤガワの200m決勝にも間に合いましたし、午前中のクラス保護者懇談会を終えて平塚へ駆けつけた甲斐がありました。福山の顔も見ましたし、先週は築野にも。6本目で1位に猛追するも2cm差で惜しくも2位。愛ちゃん応援団の加藤・高橋、それから小島・笠原なんかも懐かしい顔でしたね。出水は筋膜炎とかで一発にかけて3位入賞を果たし、田中由布子からも挨拶もらって、宮井、川名、東谷などの活躍もあって賑やかな感じでした。それにしても日本選手権での醍醐くんの日本新の跳躍には、あとで録画を何回か見るたびに、ため息が出るというか、実になんとも。おめでとうございました。昨日は福間先生が陸マガの取材ということで、寺田さんにお目にかかりまして、リンクをはらせていただくことに。先週は2年生が修学旅行から帰ってきて、お土産に定番の北の恋人を足立から受け取りました。ありがとう。その最中には、今年退職された大森先生を囲む会などがありまして。横高時代の写真を拝見して、一緒に写っていた石井先生には、やっぱり横高記録保持者だなあと改めて実感。地区の顧問の先生方からはもっぱら「本間先生に髪の毛がある!」という点にばかり反響がありましたけど。私の高校時代も、本間先生が体育祭や陸上記録会で朝礼台に上がると決まって生徒からは「帽子っ、帽子っ、帽子っ、・・・」のコール。本間先生も心得たものでズボンの後ろポケットにはさんだ鳥打ち帽をさっとかぶってくださるという。そんなことも思い出しつつ、まあ、この間もいろいろありました。(2006.7.8)


 関東大会も折り返し地点です。やっと初日が出たような印象です。福間先生も「ねらった試合で、こんなふうにはずしたことはあまりない」と、仕上がりも良かっただけに残念な結果の幕開けだったもので。今年は地元神奈川での開催と言うことで、遠征ではないですが、やはり4日間連続の試合(調整練習、場所取りを入れればそれ以上)ですから、消耗はします。競技力ばかりでなく意志力・調整力・段取り力と、あらゆる面での力が要求されるわけですから、部員たちも大変です。こちらも競技役員をまかなわなければなりませんので、大忙し、神奈川の高体連や陸協のメンツもありますから、はずかしい運営はできません。おかげで、おちおち選手の活躍を観戦もしていられません。ひとことでもいいから生徒のほうから詰め所に報告に来てくれるだけも、うれしいものなんですが。うれしいと言えば、今回も小田原での県大会同様に卒業生が助っ人に来てくれました。前回はテント張りなどに大いに貢献してくれたのですが、今回は場所取りからですよ!記念に写真を撮らせてもらったものの、「寝起きだから・・・というか寝ていないから、髪の毛も顔も恥ずかしいんですが…」と言うので、じゃあ、あまり目立たないところに載せておくよと(笑)。まあ、この{つぶやき}まで読んでくださる方は、そうはいらっしゃらないでしょうから。にしても、永原曰く、「現役時代は、してもらうことが多かったので、役に立ちたいと思って。」と。ありがたくも、うれしい話です。ふと「ありがたい」と綴りましたが、古文単語で「ありがたし」は「珍しい」という意味です。なんだか、ほんとうに、こういうことが珍しいことになってきてしまっている向きがあることを憂えてもしまいます。気遣い、つなげていくということが。自分の落研での部活動の経験からも、こういう部分は運動部も文化部も同じだなあと共感してきたことなのですが、それとも落語というものが徒弟制の伝統芸能ゆえに、いわゆる体育会系に近いクラブだったのか。いずれにせよ、私も先輩たちから言われた「自分が先輩たちに世話になったぶん、後輩たちに投げ返すことで間接的だが恩返しになる」というようなことを心に留めています。また後輩から連絡もいただけるのがうれしいところです。「こんど新しく会長になりました3年生の赤麿亭半平太と申します。行事があるので、お忙しいとは思いますが来ていただけませんか」など電話をしてきてくれると、今はどんな様子なの?「はい、今年は新入部員が何人で、上は4年生のほかに5年生もいます」(爆)などと会話を交わせるというのが実になんとも。そうそう、来週は新1年生の初の公演会の日、新人顔見世落語会だそうな。残念ながら、横須賀選手権で文字通り忙しくて伺えません。でも、そんなこんなで今でも大学のクラブのほうへも出来る限りは合宿をはじめ、顔出しをするようにしています(そうだ、せっっかくこのページに、ご訪問の方だけに、私が原稿を書いた落語を知ってもらおうというページ『落語いろは長屋』をご紹介)。えっ、落研も合宿あるんですよ、朝早く起きて、正座稽古からはじまって・・・。ううん、でも変わってきましたね。以前は、というか自分らが学生の時も、食事の時はOBの様子を察しながら、おかわりなんかには、さっと立って給仕させてもらったもんですが、いまの大学生は平気でもくもくと食べてますね。もっとも上が教えないのもいけないんでしょうが。しかたがないので「昔はこうしたもんだよ」と話して聞かせるのですが、単に昔話と聞き流されてしまうのか、それとも昭和30年代生まれの“ぼやき”なのか。このへんは近い世代で福間先生と同じ憂いを抱いてしまいます。とにかくチームづくりも課題。若い世代に期待するからこそ。明日も楽しみ。今日は会場で「真剣勝負」と書かれたスポーツタオル買っちゃいました。(2006.6.17)


 県大会初日、終わりのミーティングで福間先生からお叱りがありました。「まだチームになっていない。勝負に来たところで勝負にならん」と。自分がどうすべきなのか、その動きがまだ不十分。そうならないために、かわら版
どうも第8号らしい 2006.5. 4月2930日の県高総体中地区予選会を終えてのミーティングでは「ベストタイムだが、勝負しなきゃいけないところで情けないレースをしてしまった。県大会では勝負したい」「ラストに相手に近づけず逃した」「県大会では汚名返上する」「女子総合優勝を目ざす」「1分以上の大ベスト、県大会でもベストを出したい」「納得いかないが楽しんでできた。県大会では決勝に残る」「ベストだったが関東へはまだまだなので頑張りたい」「あとちょっとだったが、踏み切りの感覚もどってきた」「ひざを完治させ勝負したい」「3月からしばらく走れなかったが、ようやく。県大会ではいい走りをしたい」「力を出し切るようにしたい」「ダメダメだった、県大会では頑張りたい」「すごく跳んだ子がいて、すごく悔しかった」「ラストで離された。県大会では点にからむ」「県大会出場の権利を無駄にしたくない」「レース展開はムチャクチャだった。県大会の決勝では、みんなを楽しませるレースをしたい」「この2週間でバトン練習も積み闘える形にしたい」「県大会ではベストを出して、みんなを喜ばせたい」「チームとしては課題ばかり、勝負ができるようにしていきたい」をはじめ悲喜こもごもの決意などを聞くことができました。さらには58期のハセガワ「見に来るのを楽しみにしていた、自分が引退してからの成長が後輩に見られてよかった。また元気な姿を見せてほしい」オカモト「後輩の頑張りを見て1年前に戻って若返ったような気がする。みんなはこれからいくらでも変われると思う。期待している」アライ「後輩って、かわいいと思った」タカハシ「今日は元気をもらった。県大会は学校対抗だという意識をもって」カトウ「上向いているようで、うれしかった。自分が何ができるかを考えてのぞんでほしい」防大生姿のソウマ「(こういうかっこをしている人を中央でよく見ると思う…)1年生は、そのうち出るようになるからサポートをしっかりして下級生に教えられるようにしておくこと。気をつけ、礼!」←福間先生「おっ、成長したねえ」(爆)ナガハラ「暇人なんで応援に来るからね」57期のオザワ「チーム一丸となってすすんでほしい」ノグチ「勝負に行く人はしっかり」イワハシ「横高が先頭を走る気持ちいいレースを見せてもらったし見たい」ヒガシタニ「中地区から県へは気持ちの持ちようが肝心。『〜したい』よりも当たり前のように目標達成できる状態を」など駆けつけてくれたOB・OGのことば。いつも練習をともにする先輩からは、カワナ「忘れたくなるような記録でも覚えておいて、あと声が小さい。県まで時間があると思って、しっかり」フカセ「自分はひとつ桁が違うOBだが(笑)、OBがこれだけ来てくれて話をしてくれるのは素晴らしいこと、大事にしてほしい」などのことば。良くも悪くも可能性の見えた試合、その可能性を自分でつぶすようなことはあってはなりません。弱気にならず勝つために。杉森コーチからは「勢いがまだ足らない。緊迫感が足りない。本気でやらないと望みない」と。福間先生からは「マイルのときに、これが最後のような応援の仕方の学校があって、違うなと思った。どこに狙いを置くのか、チーム全体の理解がないからだ。中地区は、ひとつのステップだと思う。一昨日、学校で1年生もいるから説明したが、スタートは大事だが、一段上って、また一段ある、という流れがある。力と役目を考え、チーム全体は『こう』、自分はその中の『こう』、と使い分けること。県大会はかなりレベルは上がる。あと2週間が本当に大事、日常生活も。審判長をしていた石井先生、大森先生、三浦先生は三人とも横高陸上部のOBで、石井先生と大森先生は昭和39年に全国優勝した時のメンバー。その大森先生が『自分は素質はない、頂点には行けないが貢献できる可能性はあると思った。自分の出る400mは初日、期待はされていなかった。だから自分が点を取ればチームの空気は変わるはず。決勝に残りビリだったが、残ったことに意味があった』と謙遜して話してくれた。自分の役目を認識し優勝に貢献したということだ。上級生は自分の存在感を手にし、1年生に引継ぎ秋に向かう。去年言ったが、『2番の積み重ねは所詮2番』。通過すればいいんじゃない!中地区は9割の力で、さらっとベスト通過してほしかった。2週間でつくり直さなければ、新人戦の二の舞になる。最後の試合では詰めを誤ることがないように、1番にこだわれ!優勝しようと思ったら各自がだ。去年いやな予感がしたのは、2日目にツクノの7種が2番に終わったときだ。あのとき放送が一旦とぎれた。6種目でリードされていたことを聞き取れなかった。最後の800mで秒差を詰めるためには必要だった。この1点が0.5点差に…。誰か記録をチェックする者がいて、確認する奴が必要だった。福間へ、ツクノへ作戦を確認する必要があった。3・4日目でも誰かがあと1点を取っていればとも言える。誰かを責めるわけにはいかないが、全体として詰めが甘かったことは確かだ。やるべきことはすべてやる!あと2週間、ぜひ、やるべきことをやって迎えてほしい」と。そして「横高が総合優勝したインターハイは大阪の長居競技場。今年のインターハイもそこ。来年の世界選手権も。なにかいいことありそうな年になるといいね、因縁で」と最後に一言。】も、つくって配ったんですが・・・。毎年この時期は関東への出場の報が、なによりの誕生日プレゼントと思っているものの、どうも表情からして、いまひとつ真剣さというか(去年「真剣勝負」の話題もありましたっけ)必死さというかが他校と比べても見えずらい・・・OB諸氏からの叱咤激励もよろしくお願いします。毎年この時期には誰かしらが言ってはくれてるんですよね。かわら版を見返すと・・・(2006.5.13)


 今年度も最後の日。朝の打ち合わせ前の職員室に築野がやって来て「今日が最後なので」と言うもんですから、それじゃあ、あとでグランドに行くよとは答えたものの、忙しくて・・・。今年度は二つも委員長をつとめさせられて、ろくにグランドへ練習をのぞきに行く時間もありませんでした。特に冬は・・・まあ寒いからというものありましたが(笑)。とにかく、やれやれやっと終わるかと思ったところへ、校長がやってきて、まだあれもやってほしい、これもやってほしいと放してくれません。とりあえず今日は最後の引き継ぎ仕事をこなして、それから地区陸上専門部の仕事で振り込みにも行かなきゃならないわ。合間にちょっとグランドにあがって、築野の幅跳び練習を何本か見せてもらって、練習が終わってグランドから降りるときに居合わせた何人かと記恩ヶ丘で写真を撮りました。そう、ちょうど去年卒業した伊藤も浪人生活を終えて来ていたんですね。そういえば、このあいだの送別会には同じ代の岩橋・野口も来てました。小澤はちらと姿は見せたのですが。野口とは久々、ライダー話となりました。野口いわく、「いやあ、浪人中でしたが、仮面ライダー響鬼だけが、唯一の楽しみでした」と。私などは世代的に、エンディングテーマを布施明が歌うということで興味を引かれ、ときたま見たりはしたのですが、ライダー自体よりも、それと交わる少年の成長の物語なんだなというのも印象的でした。それにしても野口から「プロデューサーが途中で代わったの、わかりましたか」と聞かれても、これは知りませんでした。なるほど、コラムで力説のあった平成ライダーシリーズ第1作「仮面ライダークウガ」を立ち上げた高寺成紀氏がプロデューサーとして久々に復帰して打ち立てられたものの第29話あたりでシナリオライターを含め交代劇があったそうな。それでも、日本特撮ヒーローものに類例のない“ヒーロー主体でなく、少年主体の物語にヒーローが絡む”というスタイルの挑戦軸は最後まで全うされたんだとか。どおりでクウガ同様、新生ライダーものという感じのある異彩をはなつ番組だったわけです。よろしかったらクウガ・響鬼あわせて見てみてください。響鬼の主人公的少年の名は「明日夢」です。さてさて、送別会の折の「かわら版」の更新がゆっくりめなんですが、なにしろ忙しくて。ご容赦下さい。実は、今日の分は、入力するうちに睡魔に襲われ寝入ってしまいました。だから更新のupは翌日になってしまったんですが、年度末にということで・・・。(2006.3.31)


 「あけましておめでとうございます」に続いて「卒業おめでとうございます」という時期になってしまいました。今年は初めて記恩ヶ丘走友会から卒業生への記念品贈呈の場に立ち会わせていただきました。さすがに部員数の多い58期ですから応接室にいっぱい。学校長にもご挨拶いただき、山本会長はじめ三澤名誉会長からもお言葉をいただきました。特に三澤名誉会長からは、OB会報の『朋友』にどうしても書いておきたいということで寄稿が載ったばかり、期待の大きさを重ねて語ってくださいました。OBの皆様には、『朋友』は、お読みいただけましたでしょうか。記念品は饗場さんからひとりひとりへ。保護者の方々からも、ご丁寧にもご挨拶いただきまして。現役の方は毎年のように色紙を渡したんでしょうね。今年はそちらのほうの様子がまるで分かりませんでした。しばらくしてから、あらためて卒業生がそろって職員室へ挨拶に来てくれました。お礼の言葉と花をいただきました。あとは国公立受験者の「おめでとう」の報を待ちたいところです。(2006.3.6)


 2006年あけましておめでとうございます。今年は部員と一緒に初詣。今年は絵馬に「有言実行」と書いたそうです。そして学校に戻って、お汁粉をいただきました。今年の餅は大きかったですねえ。暮れには○○芋もありましたが、よく食べます。男子の方が小食な感じですかね(笑)。このときは車も丁寧に拭いてくれて、下手なスタンドで洗車するより、よっぽどきれいにしてくれて感謝感激雨アラレです。それにしても今年の冬は寒い!故障者も心配ですが、この冬の練習を経て春に向かうことを楽しみにしつつ。それにしてもOBのほうが張り切って練習してるような初日でした。ううん、ちょっとまだ現役は、お子ちゃまかな?そうそう、今日、年頭のご挨拶もかねて、横高生ならよくご存じの喜よし食堂に昼飯を食べに行きました。お店のあかあさんは正月は箱根に泊まって箱根駅伝を見たそうです。復路の応援に沿道へ出るとちょうど亜細亜大学が大勢いて、応援してくださいと言われて旗とか渡されたそうで、お店に國學院のと一緒に貼ってありました。優勝候補の学校ならいいけど亜細亜じゃねえと内心思いつつ6位くらいの通過を見送って帰路についたそうですが、昼頃に1位だと聞いてビックリしたそうです。「あっという間に通りすぎちゃうんだけど、やっぱりテレビで見るよりいいもんだね。また行きたくなっちゃった。優勝校の旗がもらえて、今年は良い年になりそうよ(笑)」とは、おかあさんの言葉。福にあやかりたいものです。喜よしにお立ち寄りの節は今のうちかもしれませんが、どうぞご覧下さい。(2006.1.4)


 いっやあぁぁぁ、すっかりご無沙汰をいたしまして。なにしろ秋はほとんどの土日に予定が入るような状況で、つぶやく間もなかったと言いますか、そうこうするうちに関東駅伝まで行ってしまいました。鬼怒川が会場ということで温泉に入って少し疲れを癒せたたように思いますが、戻れば、生徒は出ませんでしたけど(11/23ということで翌日から中間テストでしたから)シーサイドマラソンの競技役員が待ちかまえておりました。遠征などの会計処理も滞ってしまい、学校の来年度行事計画の見直しや組織改編の会議に次ぐ会議やらキャリア教育関係の出張、中間試験の問題作りに採点と追われるうちに、後回しとなってしまい、保護者の皆様にはご迷惑をおかけすることとなってしまいました。申し訳ございません。一昨日は保護者の方々に忘年会の場を設けていただきまして、その折にも、お詫び申し上げたところではありますが、幹事役を務めていただきました方々には感謝でございます。ちょうど、この日は部員の推薦入試合格の知らせもあり、うれしくもありました。ずいぶん熱心に小論文対策もすすめていたようで、こちらも添削をしたかいがあったという思いから、ひとしおでした。その場で聞いて改めて知ったのですが、衣笠商店街で作ってもらった横断幕の字に誤りがあったんですね。いや、気づきませんでした。福間先生からは飯田史彦福島大学助教授の『生きがいの創造』をはじめとした著作の話を引きながら、どのような思いで生徒に接しているかを保護者の方にも知っていただく機会として、こういった場を多く持ちたいとの意向も語られたところでもありました。いやはや、まったくもって師走に入る前から目の回るような忙しさだったのですが、さて、そして今日の市民駅伝。はじめて上級生とともに走った1年生の、表彰あとの笑顔をはじめ、マスダ・フクヤマの笑顔での襷リレーなど印象的な表情が数々ありました。男子が故障者の回復待ちで棄権とは寂しいところではありましたが、新チームでの結束を固め始めているところには違いないものと感じております。(2005.12.11)


 関東選手権は新チームの立ち上げという意味では良い経験を積む機会となったと思います。最終日は福間先生の誕生日にあたり、深瀬コーチや荒川郁穂らがお祝いに花を添える活躍を見せてくれました。深瀬コーチは毎年、念が入ったもので近くに不二家があるかどうかをチェックしてケーキを調達してきてくれます。おまけに「それじゃあ、『つぶやき』用に去年と同じポーズでケーキを持って下さい」なんて、仕切ってくれてました。ということで今回の写真はPHOTOのほうに載せてあります。
さて、戻ってから学校で、練習前にみんなから改めてプレゼントを渡し、私の方も、宮川から「遅くなりましたが」とプレゼントを受け取りました。今年は、お手玉にもなりパームレストにもなるというかわいらしい代物と蚊取り線香入れ(イースター島の・・・と書いてありました。←ごらんのように火山から煙が出るようになってて、そのまわりにモアイ像もどきが)ということで、去年と比べて実用性は高い方かなと。
それにしても言いたいのは、なぜ「モヤイ(モアイ)」なんだ!?去年は、おもしろティッシュケース「モヤイの鼻」!→ウケをねらい過ぎているというかなんというか、結局つかいものになってません。理由は去年書きました。
モヤイはそんなに生徒達にインパクトがあるんでしょうか。もっとも、私が大学生だった時分に渋谷駅にモヤイ像が置かれたばかの頃か、新たな待ち合わせ場所のように話題になっておりました。そこで、大学の落研に入ってきた1年生に名前を付けるときに、場つなぎで決まったように(「ちゅう軒はちこう」はあまりに在り来たりで、なかったかもしれませんが)「あさおき亭ぽっくり」というのはどうだろう、「もすら家もすら」はどうだなんて、「亭」や「家」がついてりゃいいってわけじゃないんですが、(まあ、横高の落研も新入生に名前を付けるときは似たようなもので、「さんりゅう亭こべんりゅう…漢字をあてると、しょう○○ながれる」となるもんで、どうもいけません・・・でも、先輩達は何とも風流な名前だろと強要するんですなあ、同じ流れでも大違いなのに」ってのはどうだとか「うめの家どくのすけ」ってのはどうだ、粋な名前だろとか。おもしろいから、それでいいですと毒の助を名乗ったのも一期下にいましたねえ。池中出身の三人組の一人で、あとは本名が平和だったのでそれを「ぴんふ」と読ませたり、生徒会長だったので「怪鳥」としたり。いま走友会事務局の米山さんと同級でゴリちゃんというあだ名の先輩は「御利之介」とまあ単純なところから、かわったところで「めいたん亭ほーむず」という先輩。漢字でどう書くのかと思ったら「家達」と。「達」が複数形をあらわしてズと読むんだとか。結局わたしは高校時代は松の家小花、大学時代は夢廼家木馬と無難な名前となりました。)その中に「しぶ家もやい」って名前はどうだろうと、けっこう先輩達は大受けだったのを覚えてますけど、なんとも不可解でもあります。あっ、たわいもない話にお付き合いいただいて…。今日は台風が接近中です。(2005.8.25)


 もう7月が終わってしまいます。なんだか夏休みなんだかどうだかわからないうちに日々が過ぎていくような気がします。やっぱり3年生の多くが抜けた風景はやや寂しいものも感じさせますが、新チームの成長が楽しみです。個人の力量ばかりでなく、チームという集団としての意識ができあがっていくのも。
昨日はインターハイ組だけの練習でしたが、そこへ1年生の新ジャージなどが届きました。基本の配色は近い形で新デザインとなります。それと女子のセパレートのユニフォームも。さっそくインターハイ組は試着してみることに。用具倉庫の中で着替えを始めたとたんに中から「わー、キャー、ぎゃははは」と・・・恥ずかしそうでしたが、動きやすいと好評で、たしかにインターハイに向けての仕上がりはよいようです。これを着ての練習中は、なにげにラグビー部の視線も集めていたような?一応お披露目の記念写真を。恥ずかしそうなので、ちょうど来合わせていたOGにも一緒に入ってもらいました。いつもながらに露出の多い彼女ですが、いや、肌がじゃなくて、この場でネタにされることがですが(?)「現役の時だったらだ着てみたいと思うよ」「一番輝いてるときに着られるんだからうらやましい」とかいろいろのたまわっておいででした。あっ、また失敬なことになるといけませんね。それでは、明日から行って参ります。(2005.7.31)


 どうもご無沙汰をいたしまして。なにしろ忙しくて。学校長が替わり、高校改革の波が新校長によってもたらされ、横高改革が提唱され、なにやかやと2つも委員長を任されて難儀の毎日であります。もちろん日々の授業準備にも追われる毎日で、すっかりHPの更新ペースは落ちております。どうぞ気長におつきあい下さい。お詫びに、めったにお目にかかる機会のない見られないF先生の背広姿を載せときます。歓送迎会で、お世話になった前校長とのツーショット。
さて、地区総体が終わり恒例の卒業アルバム用の写真撮影。今年は3年生が多いですから、さみしくなります。ミーティングでも引退する3年生から後輩へ一言ずつ。女子は、まだインターハイにのぞむ者が多く、カサイとイトウだけでしたが、ちょっぴり涙も。男子からは、ソウマの「後輩に言いたいことは、僕みたいにならないでくださいということです」と言う言葉を聞いて、福間先生から「そう言えるようになるだけ、成長したんだね」と。ヨコヤマからは「前向きに。そして反省を」という2点が明快に語られました。ナリタは「勝ち続けてほしい。勝ち続けることで世界が変わる」と、もう一息ということがが多かった自らの過去を振り返っての言葉。それにしても、今大会800m決勝でのヨコヤマ・ナリタのデッドヒートは、最後の最後までこの2人の競い合いの軌跡を物語るようなものでした。結果は0.03秒差。ヤマギシからは「仲間の大切さを学んだ」と。あとは、残念ながら、やや聞き取れないものが多くて…1年生も初めて、みんなの前でコメントを述べたという者が多かったんですが、みんな堂々と大きな声を出そうよ!別にイ○タほどとは言わないけれど(笑・おっと失礼)。最後は福間先生から「先々のビジョンをもて!」と。とにもかくにも、我が陸上部は2年生を中心にがんばり始めてますから、今後とも、ご支援のほどを。(2005.7.17)


 今日、関東大会から戻って来たものの、明日から修学旅行の引率で出かけます。とりあえず、間に合わせに更新していきます。それにしても、女子のマイルがゴールしたときに素直に泣いてしまいました。涙がジーンと。競技後、選手入退場口でカトウとナガハラが駆け寄って来たときも涙を抑えられませんでした。2年前の関東大会でカトウが荒川にバトンを渡す直前で転んだ姿、去年、ツクノがゴールして仰向けに倒れ、のたうち回るような姿、その悔しさが今日につながったと思うと・・・。男子もステップアップして、ここまで来ました!まずはこのへんで。(2005.6.20)


 まずは、県大会前半終了。個人的な話題でありますが?私の40うん回目の誕生日に、担任をしているクラスのミヤガワを含む女子4×100mRメンバーが関東大会への進出を決めてくれたというのは、うれしいプレゼントと勝手に喜んでおります。また男子のリレーも5位入賞でアベック(もうあまり使わない言葉かもしれませんが)進出というのも、実に、うれしいところ。男子を団体で遠征引率したいと悲願でありました(ちょっと大袈裟ですね)。後半、波に乗ってくれることを期待していますが、中地区予選が終わったところで福間先生からは「悪くはないが危なっかしい」とのコメント。奮起を促すものの一週間前に至るも、やや不十分な意識に対し、福間先生は松下幸之助語録(PHP研究所刊)を引用して叱咤激励。
「剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある。打たれても死なないし、血も出ないからである。しかしこれが木刀で試合するとなれば、いささか緊張せざるを得ない。打たれれば気絶もするし、ケガもする。死ぬこともある。まして真剣勝負ともなれば、一閃が直ちに生命にかかわる。勝つこともあれば、また負けることもあるなどと呑気なことをいっていられない。勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。真剣になるとはこんな姿をいうのである。人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。もちろん窮屈になる必要はすこしもない。しかし、長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。これは失敗したときの慰めのことばで、はじめからこんな気がまえでいいわけがない。真剣になるかならないか、その度合によってその人の人生はきまる。大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない。おたがいに心を新たにして、真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。」この松下幸之助氏の言葉を部屋に貼っておけと!そうして、“お母さん”を名乗る52期OGのイ○○さんも先日、学校を訪れてくれました。どうも彼女の顔を見ないと高総体ロードが始まった気がしません(笑)。毎年、威勢のいい声を聞いているもんですから。OBが煽られるくらいですから(爆)。さっそく掲示板のほうにも結果を受けて書き込みをしてくれました。「悔しさを噛み締めることから逃げてしま」い、ちゃんと振り返ることをしなかった自らの体験を語り、現役に今ここで甘えることを許さない、大きな支えの言葉を。その他の方々からも、ほんとに多くの支えをいただいていることと感謝です。これに応えてくれんことを祈りつつ。(2005.5.15)


 いま、送別会の聞き書きメモをおこしているところですが、ちょいと大変です。福間先生は体調を崩されて欠席という、卒業生には少しかわいそうな会でしたが、こちらも福間先生に代わるだけのことを話せるわけでもないのですけれども、一応、締めの言葉をということだったので、少し言い足りなかったところをついでに「かわら版」にしておこうということで、まとめているところです。しかし実に卒業生諸君は後輩に対して話をしてくれました。それが伝わればというのもありますし。
先週の土曜日に不入斗で電子計時機器の扱い方を教わってきました。大森先生のサブにということだったんですが。競技場に行くと、写真判定用のカメラのタワーが立ちまして、その横にコンピュータなどが設置されたボックスができてました。おわかりになるでしょうか。冬期講習会を利用して少し試してみたわけです。今日は4月の第1回市記録会に向けてのプログラム編集代表者会議で久里浜中学校へ。これまた福間先生がまだ本調子ではなく代行。それが証拠に(?)、三浦高校の中村先生から私へPCを持ってきてくれと言う伝言があったようなのですが、福間先生からは伝え聞いていなかったもので・・・まだ、お辛そうですね。さて、市陸協の理事長の挨拶でも電子計時導入に伴い注意事項が強く訴えられました。便利になるはずなのに、実はなかなか手間がかかります。周辺ではテントの設営や通行、応援も制限され、ご遠慮いただくことも多くあります。私もどういうわけか白羽の矢を立てられてしまい、本当は高体連専門部の会計を預かってますから庶務か、従来の記録役員でと思うところを、大津高校の福井先生から「箱に入ってもらいます」と(苦笑)。中学校の先生方と一緒のぶんには手は回りやすいですが、高校の先生だけとなると、従来以上に手が足りなくて、横三地区外に移動されてしまう先生もありますし。とにかく、いよいよですね。ううっ、実は昨日から喉が痛くなって・・・風邪?戻ってから医者に行きました。薬をもらって、あまり無理をしないようにと言われたものの、そうのんびりもしてられませんよね。(2005.3.30)


 活動報告とPHOTOとの明確な区分がないというか、まあ気分でなんですが、今日は53期のタカハシ君が来てくれましたんで(更新のネタがなかったからというのもありますが?笑)。学年末テストの採点が済んで成績も付け終わったところで、久しぶりにグランドへ立ち寄れたところへ。大学を卒業して、4月から社会人。高校生同様、様々な旅立ちがあるわけですね。JTB系列の東京の広告代理店に就職するそうで、観光パンフの作成などなどの仕事のようですが、「大学で地理を学び、マスコミ方面にもあこがれを持っていたので」と話してくれました。「しばらく顔を出せなくなるかもしれないから、久しぶりに練習を見に来ました」とのこと。そうそう、タカハシ君と言えば記恩が丘走友会50周年のときのエールをはじめ活気づけてくれる姿が印象的ですが、高総体時期には必ず現役の応援に来てくれて横断幕に込められた思いを後輩に熱っぽく語ってくれる姿も目に焼き付いてます。「横断幕にある『勇往邁進』とは!目標に向かって、恐れず、まっしぐらに突き進むこと!これぞ、横須賀魂!」という名台詞と言っていいでしょうか?「福間先生に、明確な目標をもて!と言われたのが支えとなりました」という話を聞いたり、一緒に練習を眺めながらのひとときをもちました。OB・OGみなさまから、またいろいろなお話がうかがえるのを楽しみに。(2005.3.15)


 卒業式後、グランドで卒業生から、これまた素敵な御花をいただきました。ありがとうございます。ほんとは、こちらから贈らなきゃいけないのかもしれませんが。記念写真はペンキを塗った思い出のあるという白い壁の倉庫前で。人数は少な目なものの、いい代だったと思います。ノグチから「個人的に記念に写真をお願いします」と言われた時は、うれしかったですね。まあ陸上とは違ったところで趣味的なつながりといいますか、わかる方には、わかると思いますけど。まずは、卒業おめでとう。
それにしても、先週にかけては風邪で難儀しました。一週間ぐらい微熱が続いて、ひたすら寝るに努めたという感じです。実は、この風邪、感染源はどうも福間先生であるらしいと・・・いや、体育準備室からの、信頼できる情報で・・・同じ症状になった人がいるんですよ。福間先生の隣の席の体育の先生が、同じ症状だよねえ!っと。いやはや、まんまと、うつされてしまいました(爆)。(2005.3.2)


 今年も恐縮です。ハッピーバレンタインとか言って拍手付きで女子部員からカラフルな手提げ袋を手渡されまして、杉森コーチからも入ってますとのこと。そのほか今日はお客さまから皆に差し入れなどもいただきまして、さまざま有り難うございます。
2月11日は大阪での日本ジュニア。女子3000m第1組では周回の誤りで1周多く関戸は走らされてしまって・・・再レースとのことでしたが、選手と協議の結果、再レースは行わずということに・・・事後の判断として再レースというのは間違ってはいないものの、はるばる大阪まで来て、こんなことに遭おうとは。総体的には大会記録なども数々出て見応えはありましたが。光明相模原のスズキくんは高跳で自己記録を更新しての1位など。来年度の神奈川勢の活躍が本校を含め楽しみです。福間先生は大阪で花粉症混じりの風邪を召されたようで、お大事になさってください。まだまだ寒い時期ですから。ところで、前回は校内駅伝大会
にふれ、クロカンにまで話題が及びましたが、掲示板の書き込みとともに横高の今昔物語を交わせるのは、これまた楽しみなものですね。(2005.2.13)


 今日は節分。豆まきはされましたでしょうか。それはそうと、今日は校内駅伝大会がありまして、我がクラスは・・・惜しくも入賞は逃しましたが、よくつないでクラスの団結も徐々に育ちつつあると思いたい・・・どうして「思いたい」なのかは後ほど。まずはセキドで先行逃げ切りというパターン。出走前に「あわよくば、ツユキをかわして前に出ろよ」と言うと、一言「無理です」と返事が返ってきて、欲を出してほしいところではあるのですが。まあ1秒差できっちりついて。ミヤガワは緊張したのか思うように走れなかったようで。「スズカに負けるなよ」と、これまた出走前に声をかけたのが余計だったか?その他の短距離メンバーも各クラスで、よく走ってました。ユウナは淡々と。ツクノは力走という感じの2−5。力走と言えばヨコヤマ・ソウマ・ナナセの2−7が苦戦していたんですが、ナナセがけっこう盛り返す走り。個人賞は1位ツユキを筆頭に出場した女子長距離メンバーはほとんど、男子はナリタが1位で荒イ・安ベにソウマ・ヨコヤマも入賞。昔はクロカンと呼んで公郷から佐野を回って曹元寺あたりの心臓破りの坂を過ぎてやれやれのところへ最後にグランドへの坂・・・閉口したもんです。全校生徒が一遍に走ってたんですよねえ?横高の体育の授業というと、よくまあ、やたら走らされて、泳がされてという思い出が・・・「されて」と感じるのが弱いとこですが(笑)。今じゃ、代表選手が走って、あとは応援、中には我関せずなんていうのも。これはいかんと、何とか応援側も盛り上げるために前日「応援の幟旗でも作るか!放課後手伝う奴はいないか」って言ったら誰も居やしない。頭に来つつも、とにもかくにも、にわか仕立てで作りまして。翌朝、出来上がったものを見て「すげー」なんて喜んでるのもいましたが、どうも行事の楽しみ方というのを知らないようですね。自分の高校時代には何かやらなきゃ気の済まないみたいなところがあったんですけど。気質が変わったのか、受け身で育ってきてしまっているのか、なんともはや、ブツブツつぶやきつつ、またぼやきですね(汗)。(2005.2.3)


 2005年も明けまして、おめでとうございます。つぶやき始めて一周年といったところでしょうか。今年は正月早々、藤沢高校の森先生からのお声かけで長距離女子を引率して伊豆大島へ(3日から6日。まあ、行くについては昨年暮れまで管理職との間で、いろいろ・・・行かれるかどうかと・・・どうも不自由なもんです)。初日は山頂口まで、2日目は東海岸を、3日目は島を一周、最終日は火口一周道路(お鉢めぐり)を走って・・・。練習の合間、さまざま森イズムと言いますか、話を伺うこともできました。また、森先生は2期上の先輩でもありますので横高の昔話などしながら、ひとときをもたせていただきました。大島は2度目ですが、前回は水産高校の実習船で波浮の港に立ち寄った程度。今回は、おかげで、ほぼ一周。大島公園の動物園に立ち寄り、漫画『ガキデカ』で、こまわり君がポーズをとる「八丈島の・・・」でお馴染みのキョンを初めて見ました。→
波浮の港にある見晴台には『あんこ椿は恋の花』の歌碑が。↓
といっても、どちらも生徒は知らない話?『伊豆の踊子』にゆかりのある旧みしまやでは映画のダイジェストが用意されていましたが、田中絹代・美空ひばりはもちろん、吉永小百合や山口百恵も知らないみたいですから、都はるみはねえ・・・(笑)。まあ、それはおいといて、ほかの部員は4日の日に例年のように初詣をしたでしょうから、波浮比当ス神社を参拝。学校での恒例のおしるこも、食べられないのをフクヤマがすっごく残念がっていたので餅と小豆を持参。練習の空き時間につくるつもりでしたが、なかなか時間を見出せず、帰る直前にフクヤマが頼み込んで宿の人に作ってもらって藤高の子たちといただきました。いやはや、それにしても、よく走りました。さて勢いつけて飛翔の年にしたいですね。(2005.1.7)


 昨日、福間先生から今年の〆の話を部員に。来年1月1日いい機会だから悪い点は改めようと。
今日は大掃除。福間先生は帰省なさったので、私と杉森コーチから一言ずつ。いや、ちょっと疲れましたが、みな綺麗にしてくれました。大掃除は心の大掃除の意味もあると伝え、杉森コーチからは人生には三つの坂があると。目標に向かう辛い上り坂、油断すると転げ落ちる下り坂、そして、「まさか」というサカ。良くも悪くも「まさか」はあるが、来年は良い「まさか」の年にと。
来年1月4日は諏訪神社初詣とお汁粉ですが、3日から長距離女子の引率で伊豆大島に出向きますので次の更新は戻りましてから。それでは、どちらさまも良いお年を。(2004.12.28)


 だんだんと今年も押し詰まって参りました。今日は練習後、毎年恒例(?)の○○芋。それからジャガイモと里芋も。さつまいもは甘くて、でも、ジャガイモもけっこう評判がよく、たしかに私もジャガイモが気に入りました。おこしから出来上がりまで、そして後始末の処理と一連の動きの中で、福間先生に「先生は誰が使えるか見てるんですよね」と深瀬コーチ。出来上がるのを待っているだけというのでは日頃の家での行動も察せられる(?)。久しぶりに一緒に練習に参加した3年生の伊藤からは「競技の練習ばかりでなく、こういうことをやるのは心の練習というか」みたいなコメント。つくって食べて身も心も暖まると言うか心も温かく育っていくんでしょうね。片づけ後は、福間先生の車を拭きたいと女子部員がそろって・・・そしたら私の車もお世話になったからと拭いてくれました。(実はこの秋、試合などの時のお役に立てばと荷物もたくさん積めるよう車を買い換えたんです。)おかげで再び新車のようになって、涙が出るような嬉しさを感じました。私も○○芋で暖まるとともに、こんな温かな心にふれて・・・どうもありがとう。感謝カンゲキ雨嵐です。嵐と言えば昨日誕生日のメンバーが・・・おっと話がそれます。さてさて残った灰はあとでEM畑へということで、コラムにEMについてUP。さて、来年は皆どう成長するでしょうか。(2004.12.25)


 どうもどうも「一週間のご無沙汰でした。ロッテ歌のアルバム。司会の玉置宏です」というのが昔ありましたけど、一ヶ月近く、ご無沙汰をいたしました。更新を待ちかねた方も多いことでしょう。申し訳ありません。まあ、忙しいにかまけて、11月後半は後期中間テストで問題をつくり、生徒は受ければ、やれやれで練習に没頭しますが、こちらは採点に没頭せざるを得ず、12月の頭くらいまでは・・・で、ようやっとホームページに手をつけたような次第です。今日は市民駅伝。これが実に大変なんです。こういった交通事情ですから、競技者の安全確保にも配慮したコース選定で狭い周回コースですから、着順把握など裏の方では例年てんやわんやで、それでも今年はスムーズに判定作業は流れたほうなんですが、閉会式に上位入賞結果を間に合わせるのがやっとでした。おかげで、なかなか生徒たちの方へ向かうこともできず、撮影機器を生徒に預けて任せてみたものをupしました。なかなか臨場感があるんではないかと思います。選手宣誓を男子がやったようなんですが、その映像がないのは少々残念か。
一昨日は陸上部保護者の皆様の懇親会ということで、福間先生が着任されてから初の試みとのことでしたが、私の方にもご挨拶などいただきまして、ありがとうございます。保護者の方々が福間先生から直接お話を伺う機会というのも貴重だったと思いますが、皆様とお顔あわせができまして、圧倒されつつも(笑)、こうした家庭からの支えがあって生徒・部員が頑張れているんだなと実感もいたしました。このホームページも貴重な情報源であるとのお声もいただきました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。(2004.12.12)


 いや実にどうも、ここ数週間は休日なしといった動きでした。こたえますね。でも味わいの多い日々でした。昨日の県高校駅伝は、女子が惜しくも7位。6位までに入って関東へ行くとフクヤマも決意をもってのぞんだと語っていましたが・・・。1年生もベストを尽くし健闘したものの、やはり勝ち上るためには、さらに一段、上の努力と精神力が求められるということでしょうか。それでも1年生のセキドの活躍を見て、これは担任の欲目なのかもしれませんが、なにか急に大人びたような、たのもしげな表情にも見えてきました。もちろん日頃から学習面も怠らず、国語での暗誦テストなども一番乗りを目指しているかのように、すすんで取り組んでます。さて、3年生のイトウからは「3年生になって残ることを決めて、いろんな人に『えらいね』って言われたが、自分は普通のことだと思う。いままでたくさん自分は、いろんな人にお世話になって迷惑かけて、1年の時には西ヶ谷先輩が残ってくれて、去年は謙二先輩・柴田先輩・一平先輩が残ってくれて、ここで自分が辞めたら恩を仇で返す行為じゃないか・・・それになりより1・2年生と一緒に駅伝を走りたい・・・予選通過も危ぶまれたが、去年サポートしてくれた奈良場とかいろいろな人を県大会で走らせて上げたいという思いがあって残ることに決めた。ほんと残って後悔はしていない!楽しかった」という思いを語ってくれました。また、3日の浜松では杉森コーチが「今日で私の大学生活での競技は終わり。大学にすすんでから、ほんとに思うように走れず、一時は歩けないほどで、みんなには先輩らしいことをしてあげられなくて・・・」と涙ながらに。福間先生もしばらくは胸に詰まって声が出ない様子で「みんなに杉森の3年の時の走りを見せたかった」と一言ポツリ。私も幸いに行政へ出向する直前であったので、彼女の凛々しいというか、あの颯爽たる姿は焼きついてます。陸上は門外漢の私ですが、朋友の一人として、ひとりひとりの成長を願って止みません。
うん、学力もね。掲示板の書き込みにあった「後輩の皆さんに言いたいことは、時間を有効に使ってください、(勉強もしっかりやってくださいよ。陸上だけできる人なんてのはいくらでもいますから。)そして、チームの仲間に対して敬意を持ってくださいということです。誰だってがんばっているのです。それを認めようとしなければ何も始まりませんね。こんなことは今すぐにどうなることではありませんが、これからの高校生活で少しでも考えてもらえたら光栄です。」(10/30)という言葉も受け止めさせていただきました。(2004.11.7)


 なんと台風接近中。ここ10年来では東日本を襲う台風としては最大なそうな。9日の駅伝予選は中止となりまして、予選に申し込んだチームは、すべて県駅伝出場の資格を得ました。10日に延期になった横須賀選手権第2日目のほうは天気も回復して大丈夫でしょうが、日本選手権リレー予選のある9日は・・・すでにメンバーは8日に現地入りしていますが、後発の私は台風を押して、明日、出発します・・・(汗)。ところで、7日に産経新聞の記者が学校に来て、福間先生が取材を受けました。なんでも指導者の特集を組んでいるのだとか。来週あたり掲載されるそうです。(2004.10.8)


 横須賀選手権で、本間先生にお目にかかり、直接お祝いの言葉をいただきました。斉藤幸次先生にも声をかけられたり。馬堀中学時代に体育を教わったんですが、陸上はやっていなかったものの、なんか昔から陸上関係の先生と御縁だけはあったんでしょうか。記録の仕事で、主任の鈴木浩先生と並んで競技を見ながら・・・さて、試合のほうは、なかなか面白かったです。男子の4×100mRも、バトンもスムーズで記録もまずまず。福間先生からも「にわかチームにしては上出来だ」と。さあ、明日も楽しみだなあと思ったところへ雨で延期という・・・。はてさて。(2004.10.3)


 今日、学校に寄ったら事務室で「本間先生が『おめでとう』と、おしゃっていました」と言付けを受けました。ありがとうございます。県新人のマイル決勝の動画をUPしてみましたが、どうもうまくいかなくて・・・軽めにはしたのですが、時間が長いですし、また例によって見られない向きもあるかもしれませんが・・・今回は生徒が撮影してくれました。でも1日目のテープが先週行方不明で。実は、何を勘違いしたか文化祭のクラス映画の編集途中のテープを1日目に渡してしまい、返してもらおうと思ったんですが、誰も知らない。そしたら翌週三ツ沢で「先生、ありました!」と元気な声。どこにあったのか尋ねると、落し物で届いていて放送で呼ばれたと。おいおいっ。編集部分は重ね撮りされて消えていましたし、いずれにせよ一週間放置されて文化祭準備に間に合わなかったわけで、やれやれ。下にも書いたように、やり直し作業の毎日でありました。(2004.9.28)


 文化祭ですが、クラスのほうは映画上映ということで(撮影するはいいが、編集をIT作業できる生徒が今どきのことですから、いてもよさそうなものの、うちのクラスには名乗り出る者が無く、結局2日ほど夜更かしをして、文化祭前日に完成!下にも書いたクラス状況ではありましたが、そこそこの作品には仕上がって、まあ、あとは生徒たちに任せておいてもよかろうと)気がかりではありましたが、競技役員の仕事もあり県新人競技会へ。でもクラスのほうを振り切って来た甲斐があったというか見ごたえがありました。男子800m決勝のヨコヤマの走りなどは彼の成長を感じさせるものでもあり、最後のリレーも男女ともに大変興奮して見てしまいました。男子もマイル5位入賞で自信は手にしてきたのではないでしょうか。そして、女子は初の総合1位。本間先生が築いていらっしゃった伝統の上に新たな歴史が・・・といったところでしょうか。3日目を終えた時点で白鵬が1位で点差がある位置に、2位以下はそれぞれ2点差ずつで県横は4位。最終日の800m決勝を終えた時点では6位に。その後100mH・幅跳びと点を重ねて最後のリレーで逆転!46点。2位の相洋にアクシデントがあったものの点差は1点。(3位白鵬43点、4位荏田39点、5位新栄31点・・・)相手も相当くやしい思いをしているはず、まずは「勝って兜の緒を締めよ」とミーティングで福間先生からの言葉の後、全員で坂東武者を歌って解散。音楽クラス以外は歌詞すら知らないなんて生徒もいて、個人的には「けしからん!」と思い、これは今後のためにも歌っておいたほうがいいだろうと僭越ながら坂東武者の音頭をとらせていただきました。やはり昔取った杵柄というか横高体育祭で培ったものは忘れてないものです。まあ文化祭に魅力を感じないのも無理は無いか??ほんとは私はデコレ班長(ちなみにカラーはピンク)でしたから応援の振り付けまでは覚えてないのですが(笑)。とにもかくにも勇往邁進!(2004.9.26)


 関東選手権には深瀬コーチが3000mSCに出場をはじめ卒業生の姿も多く見られました。荒川郁穂も合宿的にやってきていて、中日(なかび)はちょうど福間先生の誕生日ということで深瀬・荒川でバースデーケーキを買ってきてくれました。「四捨五入すると50歳になっちゃったよ」とケーキを手に照れくさそうな福間先生。
さて、戻ってから昨日、部長から代表して「遅くなりましたが」と誕生祝というか、いつもありがとうございますということでとプレゼントをいただきました。3つもあって、中身は「おつまみこんぶ」「爽やかな気分になれるCD」そして一番大きなツヅラは(って、舌切り雀の話じゃなかったですね。でも包装も立派で、何かと思えば・・・)おもしろティッシュケース「モヤイの鼻」!これが取り扱い説明書にも“あまり強く又急激にこの穴からティッシュペーパーを引き出すと切れたり、次のペーパーが続かぬ様な事がありますので充分ご注意ください”とありましたが、ゆっくりティッシュを引き出しても切れます。鼻の穴の狭い部分からですから無理もないというか。さらに“日本で販売されているティッシュボックスは箱の規格が統一されていない為メーカーさんによっては弊社販売のティッシュケースに入りにくい物があります。上記で記述の大きめのティッシュボックスは両端を手で縮小すると入れられます。多少ティッシュボックスが曲がっても使用には支障がありません”とか書いてあって、さっそくつぶして、型にはめました。さらに“当製品はポリジンと言う素材を使用しており、製品の一部を強く引っ掛けたり、本体を落下したりしますと破損致しますのでご注意下さい。”ときた。それでもって“本製品は弊社のオリジナル製品で実用新案を申請致しております。”と。はいはい・・・実用的かなあ?まあとにかく使わせていただきます。
昨夕は合宿の反省会、興味深い話もいろいろうかがいました。(2004.8.25)


 記録的な真夏日連続記録も今日の雨模様で(なにしろ肌寒いと感じるくらいでしたから)途絶えたようですが、インターハイ中の島根も実に暑うござんした。福間先生も観戦中に熱中症になりかけたと漏らすほどでしたから。私もますます異常に日焼け。先日、大学のクラブの合宿に顔出しした折、風呂場の鏡に写った我が姿に唖然、あまりにも地肌の白と腕の黒さとの落差が激しくて・・・。
ちょうど先週は走友会50周年の懇親会でしたね。まああ、それにしても現役はよく食べてました。特に女子はケーキを食べ尽くしたって感じでしたね。とにもかくにも大OBの方々とともに若い走友会メンバーの支えに期待します。あっ、そうそう、事務局の方が会費も納めてもらうと助かるとおっしゃってました。なかなか直接に顔は出せなくても、金銭的な支えも大ですから。
オリンピックも始まって、朝起きて新聞の見出しで「えっ、もう金メダルを獲得してたの!」っと知ったような・・・。明日は登校日。私は明後日から3年生対象のセンター試験対策の補講授業です。こういったのも準備に時間はけっこうとられるもので、そうこうするうちに関東選手権で、新人戦が始まってと、夏休みも短いもんです。(2004.8.15)


 台風が・・・インターハイ開会式は大丈夫でしょうか?今日の練習には予告どおり、お母さん登場。練習後はセキドとミヤガワと私との三人で1年7組の教室の掃除。なんでも8月3日に教員採用試験の会場になるとかで、朝の打ち合わせで教頭から教室の整備をするようにと。そうは言っても部活やら何やらで担任が出てきていないクラスもあるわけで。無意味な朝打ち・・・。きれになったので「清掃終了済みにつき生徒立ち入り禁止」と張り紙をしておいたほうがいいなと思って教室に向かうと、遅かりし、ブラバンに使われてしまっていた。なんか悔しい。いや、使うのはいいんだけど、あと、ちゃんとしていってくれればいいんですけどね。昨日もゴミ出しをやったんですが、休み中なのに、けっこう教室のゴミ箱がたまってて。おまけに分別がきちんとされていない・・・。ちょっと腹が立ちますね。使うからには配慮がほしい。うちのクラスはまだ文化祭の準備が進んでませんから、そうは散らからないはずなんですが。合宿中にもセキドやミヤガワからクラスの文化祭準備状況を聞いたのですが、クラス分裂寸前というか大変そうです(汗)。遊びの経験の不足からくるのか、横高生といえども、こうした行事に向けて一枚岩とならないのは寂しいところです。さて、今日は「世界の中心で、愛をさけぶ」の放映日。先週は合宿中で、ちょうど顧問が集まっていた部屋でテレビがついていて、ヒロインの子がスタートするシーンを見て「鵜野先生、あのスタートはどうですか」「いただけないなあ」「でも監修してる人がいるはずだよねえ」とか、「競技場の外に、あんなにユニホーム着て歩いてる奴はいない」とか、スタートに遅れてしまったヒロインをかばって審判に抗議する主人公を見て、「あんなこと審判に言ったら大変だよなあ」「それ以前に2次コールしてないだろう」とか。試合に出られなかった代わりにタイムをとってやる場面では、「おい、笛つかってるぞ」「おまけにゴールで吹いてる」とか言いながら、いわゆる「お涙頂戴」のドラマ展開とは関係なく盛り上がって、「でも、いま日本中で、こんなに真剣にこのドラマを見ているのは、ここ以外にないよな」と、たしかにチェックきびしかった!それから、モンゴル相撲を紹介する番組を見ていて、福間先生が「モンゴルといえば、もうすぐ帰ってきますよ」と。「ああ、そういえば、あと1ヶ月ほどだと掲示板に書き込みもありましたね。『Jogぐらい一緒にやりたいと思っております。』というようなことでした。」と、こんな会話も。みなさま、夏の間に、お時間がございましたらグランドにお立ち寄りください。(2004.7.30)


 合宿から帰って参りました。そして昨日、このホームページも
1周年を迎えました。はたまた走友会50周年。パチパチパチパチ・・・と一人拍手をおくる・・・ということで、旬なところでクラブ紹介の言葉を差し替えてみました。今回は合宿にPCを持ち込み、男女の新部長をはじめ何人かに書き込みをしてもらいました。その他更新はぼちぼちと。まあ、合同ミーティングで青年体操を披露していた様子も撮ったのですが、見ていて少々冷や汗をかきました。福間先生も思わず前に出て指南しようかと思ったと言ってましたが(笑)。ニッタにだったか聞くと「練習したんですよ」と言うから頑張ってたとは思いますが、ツユキは「やばい、最初まちがえた・・・」なんて退場する折、聞こえるような声でつぶやくという?。タンタラタンタラタンタラタッタ、タッタタッタタッタタッタ、タッ、ターンタタタタッタラタッタターン、タッターンタタンタタタッタタッタッタン、チャーン(?私らの頃は、よく体育祭の時などに「シー、シー」とか言いながらやってましたが、あのシーは何だったんでしょう。)に続く出だしの問題というか。「やばい」といえば、これも合同ミーティングの折、久里浜高校陸上部のサカイ君に、うちの荒イの「やばくねッ!?やばくねッ!?」という連発する口調をネタにされてました。どうも、「やばい」という言葉は出自的な面で、いただけないのですが。では上品に〜今年の合宿にはフクマ先生が指導されている東京陸協所属の醍醐選手(走高跳)も参加、自分の高校時代を振り返る有益な話も合同ミーティング時に聞かせてくれました。また深瀬・杉森の両コーチとともに川名・村井といったOB・OGも参加。村井は学習院煎餅というのを手土産に持参してくれました。驚いたやら珍しいやら、大学の購買で売っているとか・・・(横須賀さいか屋の地下でも小泉純一郎の顔絵を押した饅頭を売っていますが、どちらもどのくらいの売り上げがあるのだろうか?)話の種に画像も・・・。それでは学習院風に「ごきげんよう」。(2004.7.26)


 ますます、お暑くなってまいりました。でも、梅雨は明けてないんですよねえ。さて、コラム等を更新。以前、誰かから小耳にはさんだので、「ノグチくんは特撮系に詳しいんだって?」とふってみたら、「あ〜、そうなんですよ。それでですねえ・・・」と、まあ話し出したら止まらないというか、あんな饒舌な彼を見たのは初めてで(笑)。向こうも、「いやぁ、先生と、こんなに熱く語れるとは思いませんでした」と。
世にティガからコスモスに至る「平成ウルトラマンシリーズ」というのがあります。幼少期にウルトラマンを見て育った世代がスタッフとなりテーマ性を深めた作品に仕上げていたわけですが、昨今の仮面ライダーシリーズも同様で、555などは暖かなテーマも織り込み、試合のある日曜日は録画しておいて毎回見入ってました。ノグチはクウガが一押しのようで、私も、今のようにトレンディー俳優として持てはやされる前のオダギリジョーが演じる主人公に魅力も感じ(エンディングテーマ「青空になる」の流れる中、彼の表情がなんとも癒される感じで。もちろんオープニングテーマもインパクトあり。あと、一条刑事役の葛山信吾もよかったですね。そして、おやっさん!おやっさんと言えば元祖はウルトラマンでキャップ役、もっと古くはジョン・ウェインの吹き替えで有名な小林昭二ですが、クウガでは、きたろう!あのシティーボーイズの。笑っちゃいます、たまりませんっ。)見たことはありましたが、最初からは見ていなかったので、レンタルしようと思ったら第1巻はいつもレンタル中で、とうとう買っちまいました。なるほど、「こんな奴らのために、これ以上誰かの涙は見たくない!みんなに笑顔でいてほしいんです!だから・・・見てください!俺の変身!!」というわけですか。
実は、私は仮面ライダー世代とは、ちょっと、ずれるので、やはりドラマ性やテーマ性というと、「ウルトラセブン」ですね。第42話『ノンマルトの使者』という話では先住民族論をモチーフにしており、“人類こそが、地球にもともと住んでいた本当の地球人を海底に追いやり地上を支配した侵略者だ”という訴えは衝撃的で、その人類に味方するウルトラセブンは正義なのか?という問いかけは平成のビデオで復活した「ウルトラセブンシリーズ」に受け継がれているほどです。薩摩による支配の歴史を有する沖縄出身の金城哲夫による脚本。彼に、こうした沖縄とヤマト(日本)とを意識させる脚本を手がけさせるほど影響を与えたのは同じ沖縄出身の上原正三ではないかとも言われます。金城が融和的な作品が多いのに対して上原は辛らつで「帰ってきたウルトラマン」ではヒーロー像に疑問を投げかけていて、まだ子供には不可解でした。主人公がウルトラマンに変身できる力を過信し、そのスタンドプレイのために他の隊員から孤立していくとか。第33話『怪獣使いと少年』という話は、いじめ・公害といった社会問題も底流にあり日本人の異端への差別意識(特に朝鮮人差別)に鋭くメスを入れるという・・・。あれっ、誰かさんのように熱くなっちゃいました。(2004.7.8)


 今日の県選手権最終日の映像等をUP。女子4×400mRの表彰式では、1位は走者4人、2位・3位は代表者一人と呼ばれていたのが、ちょろちょろっと・・・(映像参照)。関東大会のときに宿での食事の折、ジュンに、いじられている姿にその片鱗は見たことになるのかもしれませんが、あんなに、はしゃいだナガハラを見たのは私は初めてで。うれしかったんでしょうね。うれしかったと言えば、ムシガは最後のミーティングのときに「自分が、からんで県レベルの大会で勝ち上ることができるとは思ってなかった」と、3年間続けてきた万感の思いとともに本当に嬉しいと、みんなの前で涙ぐんでました。涙といえば男子はマイルの予選を通過し決勝に臨みましたが・・・でも、男子は、いま確実に階段を踏みあがっていると私は感じています。上っているからこその“つまづき”もあり、必ずしも容易な道でないことを身体に染み込ませていると・・・。粘り強く!粘りと言えば、私も先週の火曜日は実力テストの問題作りで夜10時近くまで学校に居残って粘ってしまいました。前期授業も残りわずかとなり、試験範囲を終わらせなければなりません。また明日から実力テストの採点処理や小テストづくりにその採点、そして授業準備と忙しくなります。ふ〜、おっと、つぶやきに、また、ぼやきが。(2004.7.4)


 今週は会議詰め・・・月曜日は文化祭担当者打ち合わせ、火曜日は第1学年担任の打ち合わせ会議、水曜日はプロ編成に顧問会議で大津高校へ、木曜日は職員会議、金曜日は組合の定期大会で横浜へ。ちゅらちゅらちゅらちゅらちゅらちゅらら〜てな感じで、土曜日は保護者会なんですね。だから火曜日は新体制への引継ぎがあったんですが、肝心なところへは立ち会えませんでした。会議が終わってから行ってみると杉森コーチが話してて、福間先生が「あそこに負けたのなら仕方がない」と言われる良いチームになろう!っと、まとめて、最後にノグチが「それじゃあ、終わります・・・あぁ・・・『お願いします』がいいのかな、『ありがとうございます』で終わればいいのかなあ・・・」なんてところは聞けたんですが。部長にナラバ、男子短距離長にヤマギシ、長距離長はハセガワ。女子短距離長にカトウ、長距離長はフクヤマといった布陣ですか。で、またまた恐縮なことに、2年生修学旅行のお土産をいただきまして。北海道土産はホワイトチョコやらなにやらもいいですが、千秋庵の山親爺(やまおやじ)が私はお薦め。サクサク感といい、親指大の熊のマスコットもついてるのも愛嬌のあるところ。あっ、またこの手の話で。そうそう、今年も半分過ぎたんですね。今朝、出勤簿に判を押そうと思ったら裏側に回ってましたから。今日は実力テストだったので、我がクラスをモデルに画像をUP。陸上部員も二人ほどいますが、どうだったでしょう。両立はできる力はあるはずですが。横高生なら、よくご存知の数学解答用紙も画像UPしました(笑)。これが白いままで、恥ずかしながら、なかなか埋まらなかったんだなあ〜。横高落研が毎年暮れに文化会館中ホールでやってた師走寄席の大喜利に「世の中で無駄なものとは?」という題が出て、「ダムの逆立ち」っていう馬鹿馬鹿しいの(ダム→ムダ)もありましたが、「実力試験の数学の解答用紙」っていう答えは大いに内輪受けしてましたね。おあとがよろしいようで。(2004.7.1)


 2年生は修学旅行から戻るや否やの県選手権。昨日はナガハラがシートのところの1年生らのところへ向こうからニコニコしながら近づいてきた姿が妙に印象的。第一声が「ここ来ると、うれしぃ〜」と、みんなに会えるのが、うれしいくてうれしくてといった様子。こういう気持ちがチームとしての入り口でしょうか。2年生同士でも2コース別行動だったのでナガハラはさらに2年同士で「うわー久しぶり」なんて言ってました(なんとも微笑ましい)。さて今日は見所が多い試合でした。来週に向け、じっくり練習とともに戦略も練りたいものですね。そうそう、3年生から2年生への引継ぎも週明けに。一人一人が自分が主人公でもあり、チームの一員であることを自覚して邁進を!余談ですが、競技場を出たのは午後6時も回り、大船で降りて、以前の芝居仲間が店長をしている店で食事。前任校の教え子が働いているとのことだったので立ち寄ってみました。最後に担任したクラスなので元気そうな姿に安心。ほろ酔い気分で帰宅して、更新作業。あっ、TAPAというアジアちっくなお店です、よろしかったらどうぞ。それにしても、ふ〜、平塚は駅から競技場までちょっとあるんだよね、歩いて歩けない距離じゃないから。でもまあ平塚までの車中けっこう読書ができました。そういえば木曜日に帰りの電車で白鵬女子の陸上部の子と乗り合わせて、その子がエンデの『モモ』を読んでいました。横須賀からの通学時間を思うと、けっこう読めるだろうなと、あの大き目のハードカバーの本も、もう終わりのほうにさしかかってたみたいでした。『モモ』も、読んだことがない人は是非どうぞ。今回は余談からお薦め話になっちゃって・・・(2004.6.27)


 台風一過、お暑うございます・・・というところでしょうが、昨日まで熊谷に居たおかげで、今日は職員室に戻ってくる先生、先生、口をそろえて「今日は暑くて授業にならないなあ」なんておっしゃってましたが、私には、なんちゃないです。「さわやかな暑さだ」ぐらいな感じで(笑)。昨日の夏至から神奈川県職員は軽装月間ということなので、半袖ノーネクタイで行ったのですが、生徒に「先生、焼けましたね」「どうしてそんな赤いんですか」とか言われたり、朝のHRで袖をまくって、地の白さとの落差をちらっと見せたら「おおっ!」とか声があがって、「先生、もう1回見せてください」って言うから見せたら、また「おおっ!」って一斉に声があがる・・・ファンキーなクラス(爆)。それにしても、あの暑さの中、よく、しのぎを削りました。選手はもちろんですが、サポートにまわっていてくれた部員も、よく動いてくれました。去年は小島・笠原といったところが見事に仕切ってましたが、今年はムシガを頭にイトウ・オカモト・タカハシといったところが、時に、とまどい、テンパりながらも、選手を気遣ってくれてました。そういうことに本当に感謝できるかできないかで選手として人間としての質も問われるのかなあと。チームとしての意識を個々に埋め込んでゆくことも大事なことで。こんなところも勝敗を分けるのかなと他校を見ながら感じたり(また、1年生などに、こうした動きも伝えていく大切さ。1年生自身も自ら見て動いて学ぶ意識が必要とは思います。ヒガシタニが、後片付けのテントをたたむときに「たしか、こうだったと思うけど〜あれっ、俺、あんまり片付けをやってなかったんだなあ、サボりっ子だ」なんて、つぶやいてました。これまた、ご謙遜を。いつも投擲練習しながら全体を見渡して仲間の成長振りを把握してるムードメーカーですから。謙虚なつぶやきで)。悲喜こもごもでしたが、少し映像をUPしてみました。ツクノの幅跳びは、2回ファールのあとの3回目は本当にハラハラしました。本人も「生きた心地がしなかった」と言ってましたが。マイル予選組1位でゴールした後、ふらふらのツクノの姿。決勝でゴールにばったり倒れこんだツクノ。目に焼きついてます。「また出直し!へこたれてる暇はありませんから」と福間先生。2年生は今日、修学旅行で北海道へ。台風の影響で飛行機が飛ぶか心配しましたが無事に。ナラバからのメールによると、今夜は雨も上がり星が綺麗に見えているとか。雄大な大地がひろがっていて、のびのびした気分。それから飯はうまい!とも。男子も、どんどん強く、大きくなってほしいと念じつつ。
(2004.6.22)


 いやもう、バテバテです。結果の更新も遅れて申し訳ありません。五月後半の土日休みなしというのは恥ずかしながら、こたえます。おまけに県大会翌日からの中間テスト。生徒も大変だったでしょうが、こちらも問題を仕上げるのがおっつかず。県大会中も、補助員の生徒たちは教科書やノートを広げている子も多く、私のすぐ隣でも、どこぞの学校の生徒が「な・に・ぬ・ぬる・ぬれ・ね」なんて口ずさんでました。どこの学校も同じ試験範囲なんだなあと思いつつ、翌月曜日、7時に出勤して、そんな内容を含む問題を印刷して、出来立ての試験を1年生には受けてもらいました。さらに最終日の3年生の試験問題もそんな有様で。そして採点も。実は道楽で2年ぶりに芝居なんぞにとりかかっているもんですから、勤務後、稽古場に行き、帰宅してから、日ごろの準備不足がたたってか教材研究など含めて毎日1時過ぎまでかかって床について、朝は7時そこそこに出勤して一仕事終えて、また夕刻には稽古、帰宅後に持ち帰りの仕事といった調子で慢性的な寝不足です。一応、6月5日・6日の横須賀市青少年会館ホールでの公演が終わると一区切り、安堵できるのですが・・・これを察して、記録をまとめてくださった福間先生からもデータは受け取っていたんですが、余裕ができてからでいいですよとの言葉に甘えてしまい、さて、明日いよいよ初日、本番です。(2004.6.4)


 奇しくも私の誕生日に県大会初日。ちょっと歴史的な日付でしょ?それはさておき、さっそく関東大会出場を決めた選手もありますが、ともに2位と、惜しい順位です。とはいえ、他の部員の大きな励みになってもらいたいもの。特に1年生には目に焼きつくでしょうから。「勝つ」ということを学びながら。競技役員としてデータ入力に追われ、競技を見過ごしてしまうこともあるのですが、飛び込んでくる記録から熱く熾烈なものを感じます。明日以降も期待!掲示板のほうにも、みなさまからの応援・激励メッセージをよろしくお願いします。
私への誕生祝いのメッセージはいいですから[笑]・・・(2004.5.15)


 風のえらく強い日でしたが、最初のサーキット練習はなかなか活気を感じました。上級生が1年生にそれぞれ付いて、教え上手あり、そうでもないのあり。こういうのがいい機会なんですよね。いままで自分がどの程度理解してやっていたのか見直すことができる。教えるというのは改めて自分が理解するチャンス。『斉藤孝の相手を伸ばす!教え力』という本にも「何をどう伝えれば相手が伸びるかを考えることによって、自分の中でも整理ができるから」「教えるという機会は、学ぶための最大の機会」であると書いてありました。「教えるということを前提として自分がやってきたことを学び直」して先輩として成長してくれることを願ってます。福間先生も今年のチームとしての成長について腐心をされているようで・・・。私は今日のサーキット練習を見ながら、杉森コーチに「あの片足で30秒っていうメニューはどういう狙いなの?」と質問してみたりしましたが、なるほどひとつひとつのメニューに、どういう意味・効果が込められているかを理解してやるとやらないでは大違いだなと。3月に聞いた卒業生の言葉にも「メニューひとつひとつは意味あるものだから、練習の本質を理解しないと強くなれない」というのがありましたよね。そういえば数学の参考書に『本質がつかめる』シリーズというのがあります。『大学への数学』やラジオ講座でも知られる長岡亮介氏の手になるものです(ラジオ講座というのも、もう時代を感じさせる言葉になってしまいましたね。物理のラジオ講座で聞いた独特な声と語りが懐かしい竹内均東大名誉教授も先日お亡くなりになってしまいましたし・・・)。多くの参考書が公式の適用方法の解説(マニュアル)に熱心なのに対して、基礎概念の数学的核心や公式の数学的意味など“数学の心”を大切にしていて、文系の私にも今頃になって「なるほどそうだったのか」と得心が行く内容です。生徒にも、ちょっとお薦めかな。文武両道。勉学のほうも伸びてくれることも期待しつつ。いや練習が終わった後にナガハラが「昨日久しぶりに数学を勉強してみたら頭が痛くなっちゃいました(笑)連休明けにテストなんですよお」なんて言ってたのが耳に入ったもんで・・・(2004.5.4)


 今日も平塚へは出かけておりません。福間先生からも「まだ無理しなくていいですよ」というお言葉に甘えてしまってます。とにかく今週も眠いです。始まったら始まったで、いろいろ、そのうえに、全定併設ですから、一応、朝早く教室を点検して軽く掃除したり、黒板を拭いたりして、生徒を迎え入れたいという、性分でしょうか、自分で余計な仕事を増やしてばかりいるようなわけで。まあさすがにそうは続かないかもしれませんね。早く登校した生徒などに、こういった動きが習慣づいてくれると助かりますが。習慣というとへんですが、学校のほうにも最近、行政的な仕事の流れが浸透してきて、保護者向け文書なども起案して稟議に回すようになり、まあ私は行政に出向した経験で、そのへんは習慣付けられたといえばいうほうなので、部費徴収の案内作成などは私のほうで請け負わせてもらってます。昨日も起案したものを福間先生に目を通してもらって印をもらおうと昼に体育科準備室にうかがいましたところ、福間先生がうつろな目でソファーに腰掛けていらっしゃいまして・・・。ああ、やっぱりお疲れになるんだなあと変に感じ入ってしまいました。生徒も疲れを溜め込まず、うまく仕上げていってくれるといいのですが。今年、滝の沢中学校から来た生徒に昨日「通学には慣れましたか」と話しかけたところ、「やっと慣れてきました」という返事。でも、けっこう時間はかかるようで。とにもかくにも新しい顔ぶれもそろってきました。私は裏方ですが、みんなを応援してます。(2004.4.17)


 今日は夢の島まではうかがえませんでした。組合の会議に出席しなければならなかったもので。明日も・・・ちょっと。いやもう寝不足で。今週は忙しかったぁ。担任となって準備作業でバタバタするうちに、授業が始まるというのに何もこれまた準備ができておらず、あわてて・・・結局、連日9時過ぎ、朝は7時から一仕事やって、なんとかどちらも間に合わしたような感じです。明日は申し訳なくも寝不足解消をさせてもらおうかと。というわけで記録会の結果は週明けにゆっくりと。授業準備もまだ不十分だし(汗)。かわりにと言っちゃあなんですが、新コーナーを立ち上げてみました。活動以外の学校の様子を垣間見ていただければと。これも7日あたりにはupしたいと思ってたんですが、どうにもこうにも時間がなくて、毎晩もぉお眠くて。7日といえば写真は撮りませんでしたが、クラブ紹介は2年生の活躍で、特にクラブ一のパフォーマー(?)ナリちゃんの動きにアライちゃんがマイクで声をあてたんですが、「あ〜あ〜」なんて、嘆息めいた台詞にはアラ居ちゃんの声はピッタリですね(笑)。新入生に感想を聞こうと思ったら、「あっ、それ言うとホームページに載せられちゃうから言わないほうがいいよ!」って、すぐさま警戒してそばにいた○○○が・・・(って、ここで名前を出すと、まぁたまたまた怒られちゃいますので)おっとっと、眠いし、今日のつぶやきはこのへんで。内緒にしてくださいよ(爆)!(2004.4.10)


 いよいよシーズンが始まりました。昨日は第1回記録会。よい天気で、審判してて、さっそく少し日焼け。すぐ鼻が赤くなっちゃうんです。計時の係でしたが、タイムを表示する大時計の調子が悪くて、1500mのときに操作が少し遅れたみたいで、ツユキが「あの時計押した人、遅かったですよねえ。勘弁してほいいです。もお、自己ベストかと思ったのに・・・ショックぅ〜!よく言っておいてくださいよぉ!」と、ぼやいてました。おまけに「あっ、インターネット載せないでくださいね。」と念押しされましたが、また載せてしまいました。でも、話題提供してくれるのが、彼女だからしょうがないんだよなあ。言い訳にはならないか?まあ、「つぶやき」ですので聞き流していただいて。100mは、風の関係でバックストレートで行うことに。こちらから持っていったビデオ類を設置していたんですが、巻き戻して再生がうまくいかない。大森先生が携帯電話で「福間先生をバックストレートに呼んで。大至急!」と、呼び出しをかけて、いつも使っている機材と操作の勝手が違うようで、「ここが、こうなってほしんだよな」と言う大森先生に、福間先生も「ふ〜む、なるほど」と、うなづきつつ、まあなんとか進行。そうこうするうち、800mのときに時計を競技場のものから市横の時計に変えてみたところで、私が押す番になったんですが・・・押しても動かない?大森先生が飛んできて「こんどはどうしたんだ。勘弁してくれよ。」と、いじってみたら電源スイッチが入っていなかったという。2組目の出走から、やっと動いたかと思えば、分表示の右下の縦線が消えないもんだから、1や4はいいんですが、2だか3だか分からない表示のままという・・・どうにもこうにも。また「ぼやき」になっちゃいましたね。さて、みんなの走り出しはどうだったでしょう。リレーはAチーム・Bチームと総出な感じで、見ていても楽しんじゃいました。「かわら版」を完成、profのページにユニホーム写真など載せてみました。さて、明日は始業式。こんど私は担任をもつことにもなりました。今年度も、よろしくお願いします。(2004.4.4)

 
 今年度の終業式、そして卒業生を招いての送別会。この場で、今年度部費の会計報告を配布させていただきました。また、「2003県立横須賀高校陸上競技部記録集」も配布。データのほか、掲載した写真は、このHPに載せたものが重宝となったようで、提供いただいた方にもお礼を申し上げておきます。もっとも現役で、このHPを見ている者は少ないので、写真の使いまわしは、あまり気づかれていないようです(笑)。とにもかくにも、すてきな会でした。持ち寄られた料理も、おいしくいただきましたし。それにしても、よく食べますねえ。名前を出すと「先生、私の名前、HPに載せないでください」と今日、怒られたばかりなので、やめておきますが(笑)、「おまえ、がめついな」なんて、ある男子に言われてましたけど・・・(そうしたら、この「がめつい」という言葉を知らないという子が何人かいたので少し驚きました。ある意味、いまの若者の状況を知る機会というか、今後の国語授業展開の参考になりました。)卒業生の言葉も素敵だったので、そこで、記録に残しておこうと、かわら版に。思い返せば、顧問になって自分にできることはないかと、先輩・OBの言葉を部員に、あとあと味わってもらうために、つくってみたのが最初でした。聞いた話を忘れてしまっては、もったいないし。せっかくなので第1号・第2号も載せてみます。
学校での送別会が終わってから、泰同門(噂には聞いていましたが、なかなかのお店で・・・)で卒業生と一緒に食事をして、更新作業をして、また夜更かしをしてしまいました。もう眠いので、今日は、ここまで。順次更新していきます。というわけで日付は回って(2004.3.26)

 
 今日は合格者説明会で、終了後そのまま練習に参加している子もいました。さて、先週、学年末試験が終わり練習も本格再開という日に福間先生から練習についてとクラブの一員としての心構えとについて話がありました。練習は各々がこうかな、ああかなと考えながら自分で続けていくこと。クラブの一員としては、例えば上級生や部長がどんなふうに行動しているか普段から見ていること、それができない者は例えば自分が部長になってから、どうすればいいんだろうと困惑することになると〜もっとも、そんな奴は部長にしないけどねと福間先生(笑)。そして今日にちなんでというか、この時期には必ずする話ということで、練習後、全員を集めて福間先生が、こんな話を〜
“尊敬される、慕われる先輩とは?どういう先輩になっていればいいんだろうね”と。そこで、Z高校のO先生から聞いた話。O先生は横高男子が全国優勝したときのメンバー。そのときO先生は「俺が点をとれば、決勝まであがれば、あいつがやったんだからと、みんなも奮起するだろう」という切り込み隊長のような思いだったとか。そして見事チームは全国優勝。そのO先生が横高に入学したばかりの頃、部室を訪れると先輩たちが部室で勉強していた・・・その先輩たちに連れられてグランドにあがると、みんな追い込んだ練習をしている、吐きそうになるほど・・・荷物などを持たなければならないときは先輩たちが「お前たちはまだ体力がないから荷物は持ってやるよ。だから練習して早く体力をつけろよ」と言ってくれた・・・この先輩たちはスゴイ!と思った、この中でやっていたら自分も強くなれる!そう思ったと。
後輩から、どう思われるかが大事!例えば、部室でグテーとして漫画を読んでたら、どうだろうね?見られていると今日から意識しろ!これは競技場でも同じ。どう動いているか、テントでどんな話をしているか、見られてるよ。
この先輩、スゴイな、頼れるなと思われることを毎日考え、それをしろ!そうすれば、後輩は自然に育つ。まだ自分はできていないと思う人は今日をきっかけに考え、変えていけばいい。聞いたらすぐに変える行動する。そして習慣化すること。こうしたほうがいいと気が付いたことは部長に話す。
新入生だって、ただ行けばいいってもんじゃない。いまアラカワには毎日のように懇々と話している。
それぞれが努力して、みんなが引き上げる。各自が努力して、いいチームづくりを!
逆に悪い例で言えば、年上であるということだけを盾にして力で押さえつけて、後輩にやらせようとする先輩・・・云々。
いやあ、長くなってしまいました。よく横高のミーティングは長そうだねと言われることがありますが、こうしてみると、なるほど?でも、それをこうして書いている(打ち込んでいる)私もスゴイ!?(爆)
(2004.3.16)


これまた恐縮です
 卒業式の日、グランドでの送る会が済んで職員室に戻っていたところ、3年生が「先生、ちょっと」と呼ぶので、廊下に出てみると3年生全員がいて、囲まれてしまい、びびりました(笑)。顧問として途中からなのに、お礼の言葉とともに、素敵な御花をいただきました。ちょっとびっくり。ありがとうございます。卒業生の、これからの新たな活躍を期待してます。(2004.3.2)


 カウンターが
10,0001万〜くどいですね)を回りました。ありがとうございます。その記念に・・・それほど、つぶやくネタもないのですが。いや、つぶやいてばかりではいけないようで・・・最近出た岩波新書の永六輔著『伝言』を読みました。二〇〇三年、師走。国会で、イラクに対する自衛隊派遣についての「歴史的な」小泉発言が、永さんの筆を走らせたように受け取れました。憲法つまり日本語をどう理解し、どう曲解したのか・・・小泉さんは、憲法の前文の一部を、全体の文脈から切り離して読み上げ、・・・。そこで永さんが聞き集めた巷語録の中から「そもそも憲法というのは、夢でいいんです。みんなで夢に近づける、それでいいんです。夢を改正することはありません」〜私には、うなずける一言でした。理想を語っているから現実とはあわない。でも、その現実が肯定すべきものでない部分もあるならば、理想を大事にするべきだと私は思ってます。こんな話をすると「奇麗ごとを言うな」と野次られることもありますが、「奇麗ごとの存在しない世の中ってイヤだな」とも思ってます。そんなこんなで20日はデモに参加してきました。時を同じくして岩波ジュニア新書から森英樹著『国際協力と平和を考える50話』が出ました。「まえがき」には、こう記してあります。゛どうしてこうなってしまうのか、これが「平和のために国際協力をする」ことなのだろうか、憲法が戦争と軍隊を禁止しているのはもう時代遅れなのだろうか、テロと報復の連鎖はどこで断ち切れるのかーみんなのなかに渦巻いている疑問や心配を、ひとつひとつ解きほぐしてみた本です。”と。高校生にも読みやすい本だと思います。
さて、『伝言』には、ほかにも味わいのある言葉が多いのですが、永さんのコメントに「<声が小さい>と言って、<耳が遠いんじゃないですか>と言い返されたことがある。小さな会場でもマイクを持って、電気の音量に慣れてしまい、肉声の魅力は忘れられつつある。若い連中は、音声を失い、同時に文字もパソコンまかせになって、漢字を知ろうという心も失ってきた。」と・・・。伝えるということについて考えさせられる一冊です。パソコンを利用しての、このホームページも伝える手段。「パソコンまかせ」どころか、まだパソコンに遊ばれて(?)思うようにならないというのもあるけれど、生き生きと伝わるものにしたいなと。(2004.2.29)
閏年


恐縮です
 今日の昼休み、職員室に女子部員が4人ほどやって来まして、いわゆるバレンタインの贈り物を持って来てくれました。私のようなサブ顧問へも、このような気遣いをいただいて誠に恐縮です。それにしても、このハート型の煎餅は受けました!福間先生にも受けたようですが。ところで、先週は私も風邪にやらてしまったようです。休みはしませんでしたが、鼻に来て満足に眠ることもできませんでした。微熱は続くし・・・どうもまだ本調子じゃありません。(2004.2.16)

 2月に入り、やっと昨年の浜松遠征の旅費還元の精算を済ませました。3日に銀行へ行って人数分の小銭を用意して、封筒に入れて渡そうと思ったら、部長ほか数名に会ったものの、今日は早あがりで、みんなもういないとか・・・普段、練習に顔を出してないと、こういうときのタイミングが悪いもんです。浜松には行かなかった部員には時節柄、でん六の小袋パックになった福豆を渡そうかなと銀行の帰りに西友で買い込んどいたんですが、それも渡せずじまい・・・ちょうど校内駅伝大会の日でして、短距離陣も走ってました。「ムシガさんの頑張りで、2−8は優勝できたようです〜」と、お気楽な担任(前サブ顧問)K先生がおっしゃってました(笑)。さて、翌日、精算金と福豆も渡し、めでたしめでたし。そして今日は、練習を最後まで見させてもらいましたが、7時をまわって、これから家に帰って9時頃になる生徒もいるんだろうなあと、改めて思いを馳せました。おなかもすいてるだろうし、あたたかい遅い夕飯が待っているんだろうか。その前に、「おかえり」と温かな声をかけてもらってるんだろうか。そのまた前に、元気よく「ただいま」と言っているんだろうか。親しき仲にもなんとやらじゃないですが、挨拶は大事だし、当たり前のように思っていることに感謝することも大切なんだよなあと〜改めてつくづく。うれしそうに「いただきます」と・・・いや、心配ないでしょうね、なにひとつ技術指導はできない私にも、たまに立ち寄って私がグランドを下りるときに「ありがとうございました」と声をかけてくれる部員たちですから。(2004.2.5)


 三浦半島駅伝、前日は雪ということで危ぶまれましたが、天気は回復、駅伝日和(?)となりました。横須賀市チームが優勝ということでしたが、アンカーは平塚の高山選手が2分差をグイグイ縮めてきていて、けっこうハラハラしている人も多く見受けました・・・そして翌日また朝から雨となり。実に外で競技審判をやる身としても天気に恵まれ、ホッとしました。今日は放課後ひと仕事終えてグランドに様子を見に行き〜なかなかグランドまで足を運べないのですが〜その度に、ほんと暗い中そして寒い中、練習に励む姿に感心、でも、こちらは寒さがやはりこたえます。立っているだけで体が縮んで腰にきますね。今日は幸い寒さも厳しくなく・・・ところが、練習をしている男子部員の数が減っているような。インフルエンザ1号、2号が出たようで、今日、福間先生からも3号は出すな!とお達しが出ました。「3号になった者は坊主だな」「女子は刈上げで勘弁しよう」と(笑)。まあ、どちらさまも風邪にはお気をつけになって。以前、TBSはなまるカフェで山寺宏一が、「おー、はー」と言って、うがいをするのが喉にまんべんなく届いて良いと言ってました。さすが、「おはスタ」の山ちゃん。そのとき紹介があった大根生姜飴っていうのを探してるんですが、なかなか見かけません。どなたかご存知の方はありますでしょうか。

あっ、あと今日はグランドでアライグマを見ました。排水溝からちょろちょろっと出てきて・・・いるんですねえ。タイワンリスも棲みついてるんだとか。(2004.1.20)


 成人式ですね。新成人の方々、おめでとうございます。ええっと、54期あたりの方々でしょうか。これからですね、どのように社会参加していくのか。この1年弱の間、いまの横高生と授業で接する限り感じたことに、見識というか視野というかが狭いなあということが・・・。たとえば授業選択の感覚ひとつにしても、こんなに絞り込んで他を捨ててしまっていいものなのか?無駄をたしなむ余裕ももってほしいものだと・・・まあ、そういうものへの魅力を伝えきれない、こちらの責任もあるのでしょうが。もちろん、ついてきてくださる生徒さんもいらっしゃるわけですが。前任校は職業高校で、授業意欲の喚起に苦労をしましたが、定まってしまえば、きっちりとしたもので。それでも普通教科は生徒ばかりでなく専門教科の教員側からも軽視されがちなものの、専門教科の先生の中でも生徒に「専門馬鹿」にはなるなと訴え普通教科習得の重要性を説いてくださる方もあり、国家試験受験のための卒業後二年間の専攻科でも、専門の授業しかないので国語の授業などを時々やってくださいと折にふれ特別に時間を割いてくださる方もありました。なかなかこのへんに意識が及ぶようになるには難しいとこですね。さて、映画「ラスト サムライ」を見ました。ハリウッド映画としては日本を題材に丁寧に描いた作品で、渡辺謙なども話題にのぼりますけれども、私は天皇役の中村七之助が印象的でした。彼自身の役者としての成長ぶりもあるのですが、登場人物的にも、世界に視野を開きつつも日本人としてのアイデンティティーと自我を確立していく一人の青年の成長の物語とも見て取ることができました。ある意味、新成人にお薦めの映画かもしれません。(2004.1.12)


 年が明けて2004年、今年はゴジラ生誕50周年。1954(昭和29)年3月1日ビキニ環礁での水爆実験による死の灰を第五福竜丸が浴び、死傷者が・・・広島・長崎に次いで核の被害を受けた日本から全世界へ反核の祈りをこめて11月3日に「ゴジラ」が封切られました。もし東京に核爆弾が落ちたらこうなると、ゴジラが核の象徴として東京を破壊する。やはりハリウッドのゴジラはゴジラではないのは、この原点の違いでしょうか。
三箇日は駅伝テレビ観戦で身動きが取れませんでした。それにしても瀬古の解説は面白い。元日の実業団のときは、「私はこうでした」と、なにかと自分のことを引き合いに出すことを忘れていない。そうかと思えば、箱根では「私は山のことは分かりません。・・・金君に聞いたらこう言ってましたね」と度々言っていた後、スタジオの谷口から「平地になってからの走りの変化を教えてください」と聞かれて素で「え〜!」っと動揺を隠さない。そのほかには「ブレーキは起こしていないようですね」と言う船越アナの言葉を受けて「顔がブレーキですね」とか、最後に「二日間を振り返っていかがでしたか」との問いに「3区から独走であくびが出ちゃいました」などなど、瀬古語録をつくりたくなりました。
さて、練習始めに当たって、私も、おしるこをご馳走になりました。なかなかいいもんですね。54期を中心にOBも集まってにぎやかでした。それにしても元気ですね。1年生も「先輩はどうしてそんなにテンションが高いんですか?」なんて、つぶやいてましたが(笑)
、特に52期の・・・まあ、今年もどうぞよろしくお願いします。(2004.1.4)


 いやはや、暮れになって一週間毎日、よからぬ書き込みが掲示板にありまして。ちょうど勤続○○年対象のリフレッシュ休暇とやらをもらった頃で旅先にもPCを持ち歩き、削除対応はしていったものの、どうしたものかと思いあぐねた結果、掲示板を閉鎖することにいたしました。
が、書き込みは少なかったとはいえ、どうしたんですかとのお尋ねもいただき、けっこう皆さん気にしていてくださっているんだなと。
やはりホームページとしての物足りなさも感じ、再開してみました。現役の利用は少ないようですが、OBなどの皆さんの声を届けていただくには必須のアイテムですから。まったく姿の見えないネット上というのは、やっかいなものです。今度の掲示板は一応セキュリティー対策ができるようなのですが。
それはそうと、うっかりオプション付の有料掲示板を申し込んでしまいました。まあ一週間の試用期間の後、送金しなければ無料の形に戻るそうです。アイコンはそれまでのお楽しみということになります。
そうそう、マニュアル本と首っ引きでロゴというかバナーをつくってトップページに貼ってみましたが、あんなもんでいかがでしょう。ご勘弁ください。
いろいろたいへんなもんです。と、ぼやきになってしまいましたが、不定期に何かつづっていこうかなと・・・。(2003.12.31)


管理人あいさつ
 昨年(2003年)4月から本校に赴任、サブ顧問となりましたオカハナ(高31期)と申します。在学中は新聞部他のクラブに所属し、現在は新体育館となっている場所にあった(いわゆる旧クラブ棟)生徒会館3階の文化部室領域を根城としておりまして、競技経験などはないのですが、なにかお役に立つことがあればと、ホームページ作成に取りかかってみました。
 部員たちの日々精進する姿に感銘を受け、まだまだいろいろと勉強させていただいているところですが、今後、福間先生からもデータなどいただきながら、このサイトの充実に努めたいと思っております。

 なにかご要望などございましたら、ご連絡ください。参考にさせていただきながら、部員たちの活躍の様子など生き生きとお伝えできるものになればと存じます。


〔2003年7月25日開設〕

kenyokorikubuあyahoo.co.jp
(「あ」を@に読み替えてください)

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