第3号 2004.3.26〜順次
2004.3.25 送別会での卒業生の言葉(聞き書きメモにつき、記憶違いなどはご容赦を。文責:O)
W.K
陸上部に入ったきかっけは、その前は横高生物部に入って、復興させよう思っていたけど、逗子中が駅伝で全国大会に出場して、その応援の横断幕を見て、病気のために避けてきたことに戻ろうと思い、入部した。最初は親や医者にも黙って始めたけど・・・。自分は本質的な命というものに向き合ってきたと思う。追い込めていない自分を感じたとき、何を力にしてきたのだろうと今振り返って考えると、他人(ひと)の感情を力にしてやってきたと思う。春の中地区の大会が終わって、何も考えられない状態になり、はずみになることがなかった。が、夏合宿のとき、野尻湖で先頭につけなかったのが悔しくて、それから11月の駅伝まで頑張れた。苦しいことは相手のせいにしたりして逃げていることに気づくことができた。
I.Y
陸上を始めたのは、中学にサッカー部がなくて・・・それで幅跳びとか始めたが、けっこう跳べて、おもしろいじゃん!で続けてきた。伸び悩んだときもあったが、違う種目で成果が出せて、八種もやったり、3年になって県で幅跳び優勝できたのも、総合的な練習をしたおかげかなと思う。インターハイに行けなかったのが残念だったけど・・・。
A.K
自分は中1から陸上を始めたが、陸上を楽しめるようになればと思ってきた。進路は、福祉の専門学校に進む。みんなも自分のやりたい道を見つけてほしい。練習についてはライバルをつくることが、いいと思う。あと、怪我は、それまでが台無しになるので気をつけて。
N.I
自分が走ったことで周りの人に、どういう影響を与えるか考えて目標を立ててほしい。人間は80%の力で止めている。だから他の人の力を借りて出し切ることができる。自分にはこの陸上部で過ごした時間は貴重だった。引退した後、ここでの生活がきいてくる。部活でここまでやれたから勉強もやれる!と。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい。〜「運命とは、努力している人に偶然という橋をかけること」〜先輩の期待をプレッシャーと思わず頑張って。
T.Y
Wと同じクラスで仮入部したのがきかっけというか・・・中学のときにも特にクラブ活動はしてなかったし大学に入ってもしないと思うけど、横高は部活次第で生活の仕方が変わると思う。3年の夏休みに300時間勉強しようと目標を立てた。計算すると約1日10時間。でも、「1日10時間勉強より、セット走3本のほうがきついや」と思えて頑張れた。(笑)
M.H
自分にとって陸上部は9割以上を占めていた、1割は勉強(笑)。中学から陸上を始めたが、ただ入ってただけ、今のこのままじゃ、メニューこなしてるけど、目標なく、やってるだけじゃダメだと、あるきっかけで思った。ただダラダラ過ごしていると、「少年老い易く学、成り難し」のごとしだ。「ここまでいけたからいいだろう」じゃ、止まってしまう。陸マガなど調べて練習してきた。メニューひとつひとつは意味あるものだから、練習の本質を理解しないと強くなれない。なのに1年の冬に脱臼で、流れが変わってしまった。が、これも、この人にはもっと苦労させたほうがいいという(天の声というか)、そうなるのも人生かな。でも、その中で、できることは何かと考え、できる限り筋トレやったりした。目標を持って頑張ってほしい。どんなに可能性が低かろうが、あきらめないでほしい。自分は、よく遅刻をすることがあるけど、家から、あと3分で電車に間に合うと思って、練習でもしないくらいダッシュして間に合うときもある、間に合わないときもあるけど(爆)。奇跡は起こる!
U.T
卒業生のお笑い三人衆の最後です(笑)ほんと申し訳ないです。テーマは「ちまちま」です。みなさん軍隊アリを知ってますか。これがコワイ!いわば陸のピラニア、大群で襲撃、動物を骨だけにしてしまうわけです。だから「ちまちま」はコワイんです。センター試験の時に、英単語を覚えるなど毎日30分ずつは必ずやったから自信があると言っている声が聞こえる。これは確かにコワイ。「ちまちま」です。毎日休まず継続ということです。自分は1年の9月から1年間休部しました。その前は1日しか練習は休んでません。その休んだのも「先生、夏の制服つくりに行ってきます」と(爆)。高2の後半に回復して戻ってきたのは、暇だから・・・。これで受験じゃ、つまらないじゃないですか。周りには反対されましたが。で、戻って、そこそこ記録が出せたのは休部してる間も「ちまちま」走ってたからです。無理せず休むことも大事です。大学入試の後期試験が終わってから「継続は力なり」とは、いい言葉だなと思いましたよ。卒業後、北海道に行ってしまいますが、みなさん、「ちまちま」です!
K.S
いま、バイトをしていて自分は役に立たないなあと思うことが・・・部活で臨機応変の力をつけたはずなのに・・・。でも、頑張ることが大切なんだなと思う。心配なのは後輩に顔を忘れられないかと。K.Iと区別が付いていない人がいるみたい(笑)。再来年のIHは見に行かれないので今年出てください。
M.S
大学は埼玉にあって、国体でみんなが来てくれれば見に行かれるなと。志望に沿ったところなので大学院まで行こうと思っている。冷静に後輩を見てきたが、3年生に比べて今の2年生は、しっかりしている。人間性に問題なく、経験でカバーできるなと思っていた。頼れる2年生を中心に、みんなは能力もあり環境も整っているから国体に出るしかないよ。
K.I
違う意見でも自分にプラスになるものだ。中学からパン職人になりたくて専門学校に決めていた。来年には就職する。つらかった経験も役に立つと思う。みんなには自分のつくったパンを食べてほしいし、よきアドバイザーになってほしい。
K.H
センター試験で自分の志望校に対して100点近く下回ってしまった。でも、志望校に受かることができた。センター試験結果で予備校はじめ、いろんなところから見放されたが、目標をもてば、あきらめるもんじゃないなと思った。人間は、運というものがあるが、センター試験後は、いいことをして過ごそうと思った。布団を自分でたたんでみたり(笑)、部屋の掃除や悪いことはしないとか、早起きを心がけるとか・・・意識して。運って、自分から呼び込むものだと思う。1年前に父を亡くした、何もしてあげられなかったとポッカリ穴があいたようだったが、高校に入れたのも陸上ができたのも、いろんな人のおかげだと思えた。自分はいろんな人に支えられていると思ってほしい。
S.N
陸上は中学から始めたが常に前を向いていようと思ってきた。悔しい思いをいする時のほうが多くて、落ち込むのは当たり前。沈み込んだら、視点を変えて心いのバランスをとることが、大事なことだと思う。上を見すぎても、つまずく。下を見すぎても、はいだせない。人間として成長できる、分かり合える仲間を増やして、成長できる過程を増やしてほしい。
A.F
みんなの応援・サポートがなければ、手に入れられないものが多かったと思う。そんな皆に伝えたいこと3つ。
1.みんな目指すものをしっかりもってほしい。高いところに理想の自分があって、それに向かい、日々考えることを知った。中学のときは目の前にある試合をこなすだけで、与えられたものを吸収していくだけだった。これが変わったのが、高校で福間先生と話してから。「宮城国体の少年Bに出よう・・・インターハイでもって全国で上位を争える力をつけよう」という話など。目の前のことをこなすだけでは行き詰まる。道を目指していれば、どこでつまづいたか、立て直しだってできる。
2.競技をするのは自分自身だということ。人間は弱く、誰かのせい、まわりの環境のせいにして逃げやすい。そこを切り抜けてほしい。先生やOBからいい話を聞いても、こなしていくだけだと、自分を見直すことはできず、責任転嫁してしまう。教えてもらったことが、どうつながるかとか理解して。わからなかったら教えてくれる人はいるんだから。
3.自分に自信をもてるものを見つけてほしい。短所を知ることもいいが、長所を伸ばすことも大切。光るものを見つけて、もっと光らせて。明後日の朝、福島へ向かう。走ることが好きで、横高で楽しかったし、力を伸ばすため鍛え直して記録を伸ばしていきたい。
I.K
純粋に陸上を楽しんでほしいというのが、中学からやってきて思うこと。この競技のこういうところが好きという思いを大事に。苦しいときに苦しい表情をするのは簡単。笑って場を和ませたりできるようになってほしい。陰から応援しているので。
S.M
2年の秋から部長になったが、どさくさまぎれに決まった感じで自分にできるか不安だった。何度も先生を怒らせ、うまく指示が出せず、チームが機能しないときに、本当に自分が部長でいいのか悩んだ。仲間が辞めた辛い時期も誰かが支えてくれて、こっちに文句を言いたいときもあったろうが協力してくれて、仲間が良かったから部長をやりとおせた。他の人にはできない部長という経験をさせてもらったので、これを活かしていきたい。
一番の思い出は県駅伝。2年のときは納得できない走りで、来年は絶対に、いい走りを、また丹沢湖を走りたいと思った。駅伝は7人でタスキをつなぐ責任感があるぶん、みんなの力で、つなぐ気持ちが、一人一人の走りを変える。そういう駅伝の魅力を感じた。走り終えた充実感もよかった。また丹沢湖で走れた嬉しさとともに。誰もが受験勉強をしてる中、11月までやってよかった。くやしかった部分もあると思うが、今年につなげて、いい記録を目指してほしい。こんなふうに後輩を先輩が見守ってくれるところが、いいところ。深瀬コーチには、ひぱってもらった。杉森コーチはじめ、声をかけてもらい力をもらった。いろんな支えによって充実した3年間だったが、福間先生の影響が大。納得できずに反抗したりしたが、今になると学ばせてもらったと思う。小・中学校からの自分の中にあった甘さを知り、世の中の厳しさを教えてもらった。岡花先生にも顧問を途中からだったが感謝。
0B
「厳しさが自分を成長させてくれかも。やるか、やらないかだ。楽は、“それだけ”の人間しかつくらない。自分として生き生き、将来に向かってほしい。」「今日は、みんなの話が聞けてよかった。(山本一力さんの本を読んだ話をひきながら・・・時間を守る、信頼してもらえる努力をするetc.)重要なことを言ってくれる人は大切にしてほしい。」
コーチ
3年生は“3年生に”なるんだなと、うれしい・・・入学した時と比べ、大人になるんだなと、泣きそうに・・・巣立つ小鳥を見る親鳥のような気持ちだ。私は今度、大学のパンフレットに載せてもらうことになった。自分の大学生活は何だったか考えてみた。、無駄なことは何もないよと言われ、大学に入ったのだったが、1年で故障して・・・前に進んでいる実感があるときは楽しい、やってて、よかったと思うが、立ち止まっている時は、つらく、毎日が重い。順風満帆ばかりの人生はないわけだから、あの時間も無駄じゃなかったと思う。自分が決めたことをやっていたわけだし。大学の仲間と沖縄合宿で話し合ったことがある。「幸せになることと、夢がかなうことと、どっちをとるか」という話になった。たとえば、戦いに勝ち、夢がかなった将軍。貧乏だったけど、幸せだった人。結局、全員が「幸せ」をとったが、では、「幸せ」って何?〜他人が幸せなのを見ることを言うのか、自分が満足していることを言うのか〜他人が幸せなのを喜んであげられる人間になってほしい。あの人がいたから楽しかったと思えるように。
1・2年生へ。今日の送別会は段取りもよく、いい会だったね。3年生は、これからも顔を見せに来ないと、怒るよ!
福間先生
去年は、この会で、いきなり怒ったんだよな(笑)。俺も聞きたかったのに、先に始めちゃってるし・・・今年は全員の話が聞けた。アラカワに1年のとき、そんなことを言ったっけとか、ケンジは、グランドで最初に「先生、ノビルって食べらるんですよ」って言って、俺の目の前で食べたんだよなあとか、カミヤマに名前の由来を聞いたら「聖書を読めば分かります」と言われたとか(笑)・・・いろんなことを思い出しながら聞いていた。
卒業式の日に「読んでおいたほうがいい本はありませんか」と聞かれたので、立花隆著『青春漂流』を紹介する。成功者が、もがいていた時代に何をしていたかが載っている。ソムリエの田崎真也さんは、やっぱり普通じゃない。無理なことをやっているが、突き抜けている。社会に出るときの決断、人の生きるとは?ということを知ることができる。「ものになるには6000時間かかる」話もあるが。自分自身を振り返ると、父を亡くし、高校を出たら働けと言われてきた中で、田舎で終わる人間なのかどうか自分を試したくて大学受験を決意した。合格したときは、うれしかったというより「道が開けた」という思いだった。「俺は、すごい!能力があるからだ」と有頂天になっていたら、母親が「何を言う!あんたを育ててくれた人間がいたから、いまのお前がいるんだ」と怒った。わかっていたのに人間は調子に乗るんだなと気づいた。油断をして中途半端な生活を送るか、ここから、さらに自分を磨いて、「成長したな」と言われるか、それぞれの行いで決まる!卒業生は、これから4年・3年・2年・1年と経って世の中へ出ていくが、社会に出るってことは180°変わる〜何かをしてもらう立場から自分がしてあげる・他人に対して何かをする立場になることだ。だから、してあげる準備期間にいることになる。たとえば、「してもらう」ままで大学を過ごすと、どうしようどうしようということになる。そこで焦っているようではダメ。遊ぼうと思えば簡単だが、あとで後悔しないように。
さて、1・2年生にも。君たちも、このことに気づく年齢である。「してもらうから、してあげる」に。「自分ひとりでやってるんじゃない」と。その境にいる。自分の枠の中に閉じこもって、そこから踏み出していかない状態から、新入生に対して、してあげる立場にまわることで、意識を切り替え、きかっけがつくれる。大人になるとは、してあげる立場になること。
宣伝:以前、いくつかの学校と協力して「死んだらどうなる」というアンケートを実施して、これにまつわる授業実践を発表したことがある。その内容が『生きがいの教室』(飯田史彦福島大学経済学部助教授著3/26発売)という本に載る。読んでみてほしい。
お願い:卒業生はOBとして走友会のメンバーとして後輩の応援を。ホームページの掲示板を活用して輪をひろげてもらってもいいね。
今日は、いい会だった。
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